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エネルギーの感じ方 その3



前回の続きから・・・・


ハッピーなんですけど、思考で止まってしまうというか、なにか考えたわけでもないのに


考えたわけでもないんだ


感じると止まっちゃうっていうか、ハッピーな状態を感じると止まってしまうみたいな


それはね?

企てたんだよね

それ以上を望むっていう企てが働いたって事なんだよ

だから、企てが働いたって事を認めるっていうことなの、まず、第一ステップとしては

ファ〜〜とキテ ああ〜いいぞ〜と思ったら、おお〜もっと行くかな?っていうのがマーヤになっているわけだから、そのもっと行くかなって思っちゃたマーヤがあるんだなって思えばいいんだよ

そうすると、その企ては良いことでも悪いことでも無くなるわけ

それはタダのマーヤになるわけ、企てたことは

そうなると、後は御心次第でまた出てくるのか、それより先にいくのか、今日はもう終わりなのかってことだね

とにかく、マーヤっていうのはどこでも働くから、そのマーヤを取り除くっていうのが大事になってくるわけ

ね?

わかりました


そのハッピーな感じっていうのは凄くいいわけだ
 
例えばね、俺なんか神社とか良く行くんだけど、伊勢とかは凄く神様の気があるんだよね

神々様だよね

伊勢神宮とかお参りすると、凄くいい感じになる

でも、帰りとかに長野の方とか行ったりして、凄い景色のところいっちゃたりすると、伊勢の方よりそっちの方が俺、好きなんだよね

すげーや これ 

ここ凄いぞってね

例えば、伊勢とかで神様をおまつりしているところは神様ってあるんだけど、でも、建造物建てたりとか、そこのお参りの場所にしようとかは人間の企てって入っているでしょ?

でも、信州だったりの手付かずの自然だったりは人の手が入ってないっていうか、計算されてない、企てられて無いものを感じるっていうか

そういう場所の方が自分自身のエネルギーがよりスパークされるっていうのもあるよね

まあ、色々なパターンがあって難しいんだけどね


外からやってくるんじゃなくて、内からスパークするんですか?


これはね?

ニワトリが先か卵が先かっていうやつでね 笑

クルから自分が目覚めるのか

目覚めるからクルのか

どっちとも言えないんだよ

でも、俺の認識からしたら、どっちにしろ神がやっていることだから、結局、原因は神なんだってところなんだよ

自分なのか神なのかっていったら、神ってことだよね、俺の中では

でも、明らかに色々な経験っていうのは、自分の中でスパークしている時にしか起こらないからね

だから、私だとも言えるんだよ

でも、私だにしても「それ」の意志じゃないかって事で、俺としてはOKにしちゃっているんだけどね
 
今日、この瞬間にこうなってとか

夜、こうなってとかは俺からしたら決まっていることなんだよね

うん

それは、あたかも自分が物凄くスパークしたかに感じるんだけれども

でも、それの意志っていうのが無ければ何も起こらないってのが同時に解っているから

俺っていうよりも「それ」っていうか、そっちの方みたいなね

まあ、でも、それにしたって、俺がそう感じているだけの話だけであって

T君にしたら、T君がどう感じるかはわかんない

先生がこう言ってたから、これは違うのかな?とか思わなくていいんだよ

自分が経験した事っていうのは、自分にとって全てだから

どんな仕方で経験したってね?

その人の経験に勝るものは無いんだよ

例えば、ラマナが言っている事と全然違う方向性の言葉になっちゃたとしたって

それが自分にとって答えなら答えなんだよ

それがラマナと違うからってマーヤにならなくてもいいんだよ
 

自分はあっているのか、間違っているのかっていうのが凄く気になるんですけど



続く・・・・・・・・・




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エネルギーの感じ方 その2



前回の続きから・・・・・


ハッピーが湧き出てこなかったり、愛が湧き出てこなかったら、まだまだハズしているって事ですか?
 

まだまだアレだな

まずね、最初にね、エネルギーの高揚って必ず起こるから

そのエネルギーが ガーーッて内側からの気のエネルギーがね

上昇して来ないと、やっぱ頭は覚醒しないんだよ

っていうか、丹田とかにある気が頭に入っていった時に頭がバキバキになるわけ

だから仙道とかは小周天だったりで気を頭に入れちゃって、頭でスパークさせるって事なわけ

それがバキバキ

なにもしないで、ジーとしていると

お腹のあたりや胸のあたりにエネルギーがガ〜〜って上がってきて


それはあるんですけど、ハッピー感が無いっていうのは、まだ足りないんですかね?


足りない

あとは人によるんだよね

まあ、その人に向いているやり方ってあるんだよ、絶対

でも、その人に向いているやり方が解った時っていうのは、その人がわかっちゃた時だから

ハハハハッ

だから、わかるまではとにかく、下手な鉄砲じゃないけど闇雲なんだよ

色々やってみたらいい

やっている事が大事だから
 
他に質問?

僕は仲のいい木がいて、根っこの方に焦点を当てた時にブワ〜っと春ですね、みたいなのが来たんですけど 笑
そういうのをハッピーって言うんですか?

そうだよ

で、そういうハッピーが出てきた時にパッとその瞬間に神を思うのか思わないのかっていうのは個人差だと思うけど、なんか「ありがとうございます」みたいな感じになるじゃん、やっぱり

そのありがとうございますみたいな感じを神様に向かって返すだとか

木でもいいんだよ ありがとうみたいのは

そうなった時に巡るんだよ

もらっただけじゃなくて、返す時にね

そうすると、もっとバキバキになってくるわけ

そのハッピーな時にキラキラキラっていうの? なんていうの?

まあ、そういう感じになってくるわけなんだよ

それがね、なんかこう、起こってくるっていうのは

俺からすると大事なんだよ

神の想い方って2種類あると思うんだよね

一つは物凄く苦しくなった時に神を思う

もう一つは凄くハッピーになった時に神を思う

俺はどっちかっていえば後者の方で、神様〜ありがとう〜でガ〜〜ってハッピーになっちゃう

そういう神の想い方っていうか、それが出来ていると自然に螺旋状に上がっていく感じ

それは最初は木かも知れないし
宇宙人かも知れないし 笑
仏像かも知れないし 
動物かも知れない

きっかけはなんだっていいんだよ

結局、その状態になるのが大事だからね?

木っていうのも結構凄いからね

木もいっぱいはえているけど、全部がいいってわけじゃなくて、なんか出会いみたいなもんがあるからね

それに出会えた時に繋がるっていうか、意志を感じるっていうかさ、そういうのあるんだよね

ブッダだって菩提樹の下で覚醒しているわけだからさ

あれは木とのなんかがあると思うんだよね

とにかく、なんにしたって中からね

なにがなくても、ハッピーになってくるっていうのが大事なんだよね

ハッピーっていうのは自分の内側からね

湧いてくるの

ね?

楽しい〜〜〜 ってのが湧き上がってくるの

そういうのっていうのは、物質的な物に依存しすぎちゃったり、外側から与えられるのに慣れすぎちゃってると、自分の内側からハッピーを感じる事はなかなか難しくなっちゃってるのね

人間に飼われた動物っていうのは、自分で狩りが出来なくなっちゃうっていうのがあるじゃん

野生であれば獲物を捕る事が出来るけれども、人間に飼われているとエサを与えられるわけだから、狩りが出来なくなるっていうのと一緒で

もらったり買ったりすることで喜びを感じるのに慣れてしまうと、自発的に喜びが出てこなくなる

そういう人は山の中に入ったりして、いっぺん、なんにもない状況に置かれるとリセットされると思うんだけれどもね

そういう、なにがなくとも内側から喜びが湧いてくるっていうのは大事な事だよね

だから木と会話が出来て、木と繋がれてっていうのは特殊なケースでね 笑

俺がみんなに容易に出来るのは子供とか赤ん坊だっていうわけ

見ただけで、ファッ〜とエネルギーが湧く感じとか解るでしょ?

そのハッピーを利用するっていうの

もうたまらないじゃん?

保育園とかか知らないけど、乳母車みたいのに大勢載せてるのとかさ

超可愛いよね

ああゆうのを見かけたら、これチャンスだと思って湧いてきたもんを神様ありがとうってやるんだよ

内側からハッピーが湧き上がるような環境を自分で創る、ないしは見つけていくってのは大事だよね
 

わけもない幸せが日常で起きてくるのは、頭がおかしくなったわけじゃないんですか?

おかしくなったわけじゃないよ、いいんだよ、それで

あっ そうですか
 

ハッピーなんですけど、思考で止まってしまうというか、なにか考えたわけでもないのに

考えたわけでもないんだ

感じると止まっちゃうっていうか、ハッピーな状態を感じると止まってしまうみたいな


それはね?


続く・・・・・



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酔いを待つ? エネルギーの感じ方




2013年も始まったということで、そろそろお話のアップでもしようかと思います。

今回のお話は酔いとかエネルギーとかのお話から始まるんだけど、なかなかアレだよね〜


来る時は来るし、こない時はこないから不思議ちゃあ不思議だけど、まあ、そんな中でも来やすくする方法っていうか、こんなのもあるよ的なお話。


質問
マーヤ解きって受身じゃないですか?

攻める感じのは無いんですか?


うん、やられなかったら解かないからね


攻めだと修行マーヤになってしまうじゃないですか、どうしたらいいんだろうという。。


攻めの技だと瞑想になると思うんだよね

とりあえず、メディティーションは攻めだよね


でも、瞑想の場合は特定の感じを求めてしまうっていうか、ある感覚が出てくれば「良し!」みたいな

例えば、やりこんでいれば呼吸停止とか自然に起こるじゃないですか、でも、それってあれじゃないですか



あのね、攻めの方法っていうのはあるんだよ


まあ、表現のしようが無いんだけど


自覚的に待つ


例えて言うならばだよ?


頭痛で頭痛い時って痛いのに集中しているでしょ?


もう、他の事出来ないわけ


頭イテテッてなってて、薬飲むとまだ痛いわけじゃん?


30分とか1時間とか効いてくるまで、自分の状態とかみてるじゃん?


これはドラッグとかもそうなんだけど、やった後、効いてくるのを待っているみたいな


絶対、インターバルがあるわけ


とったら30分程は効いてこないっていうのはあるわけ


その30分、待っているんだよ、みんな


俺なんかも18歳のヒッピー時代は、そういうのやって、みんなで黙ってロウソクの灯りとかみてクルの待ってるの 笑


あの感覚に凄く近いものがあると思うんだけど


結局、我々にとっては今の感覚や知覚は我々にとって全てじゃん?


自覚 認識状態


これを超えたところでは過去も未来も入り乱れて、時間も無いっていう概念のところに行くわけだけれども


我々にとっては自覚出来るのは今、この瞬間しかないっていうことなんだよね


今のこの瞬間っていうのが


普通の意識状態なのか


ブッ飛んだ意識状態なのか


っていう事だよ、例えばマーヤ解きしていて、今、自覚的にぶっ飛べる時間帯だよっていう時にはぶっ飛びたいわけじゃん、いったら


だからマーヤを解いてぶっ飛ぼうとするわけなんだけれども


マーヤもないし、ぶっ飛びもしないな〜って時あるじゃん


そういう時は、とにかく自覚的に「それ」が来るのを待つわけ



その目安がバキバキでしたっけ?

そのバキバキってなんなんですか?


頭がバキバキになる

それはね?

まず、酔っ払って脳がバキバキになってブッ飛ぶっていうね


ハイになるね


普通の人間の知覚状態ではありえないんだよね


酒を飲むとか、ドラックをやるとかしない限りは、そういう状態にはならないんだよね


それを、このエネルギーだけでイケるようにしようと


そういうわけなわけだ


じゃー どうしたらいいかっていうと


待っていればいいんだよ


覚醒するっていうのを長い年月をかけて待っているんじゃなくて


とにかく、今夜、待つ


きてバキバキになるのを



それは凄く明晰になるとかじゃないんですか?


明晰にもなる


酔って、醒めた後、スカーンて明晰になる


別の言い方をすると


しないことをするって事なんだよ


それって攻撃的じゃん?


ハハッ 何が攻撃的だよみたいな


しないことをするっていうのは、マーヤ解きをする時にもベースになる状態でもあるわけだよ


頭だけ動いているっていう感じだよね


しないことをするんだから、なんかしちゃいけないんだよね


携帯見たりだとか、PC見たりとか、仕事したりとか、本見たりとか


一切しない


しないってことをする


明確な自覚が伴ったぐーたらっぷりなわけなんだよ


ね?


そのしない事をしているあいだにね?


こうやってジーと待つんだよ


自分の感覚に全てをこらしてね?


でね、一つの方法としてあるのはね?


聞くとか


そういうのもいいわけ


別に何を聞こうとしているわけじゃないけどね?


ミラレパってチベットのヨーギなんかも、こうやって描かれているわけ


「鳥の歌を聞くミラレパ」っていうタイトルになっているんだけど

ミラレパ


こうやって音を聴こうとしている姿なんだけど、人間は音を聴こうとするのが実は一番集中力が高まる


一点を見つめようとかするよりも


思考を止めたかったら、これをやればいい



そうすると、腹の底からハッピーが湧き出てくるから


ワ〜〜〜〜〜ッってクルから



ハッピーが湧き出てこなかったり、愛が湧き出てこなかったら、まだまだハズしているって事ですか?






続く。。。




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自分で選択したと思っているから、誰もが苦しむんだよ



前回の続きから・・・・



例えばね?


今日はいい天気だけれども、朝起きて曇ってるとするじゃん?


ああ、曇ってんなとか


ああ、雨かとかね?


でも、その背後には何が隠れているのかっていったら、今日みたいなお天気でしょ?


ね?


みんな望んでるんだよ、毎日こんなお天気だったらいいなと思ってるんだよ


ポカポカあったかいし、昼寝とかも出来るし、欝っぽくならないしね


それは脳の中で基本的に設定されてる状態だと思うの


だから、朝、カーテン開けた時に雨とか曇りだと嫌そうな顔して空を見上げたりする理由っていうのは、誰もが晴れてポカポカした日っていうのを忘れているわけじゃないって事


今日は雨だからブルーだねっていうのは、これが前提になっているからなんだよ


これと比較して雨だからブーなんだよ


みんなの認識の中に太陽がポカポカしているっていうのは無くなって無いって事なんだよ


例え曇っていても、雨が降っていても


エレベーター乗ったり初対面の人との会話でも天気の話とかするじゃん?


誰にとっても身近で重要な事だからなんだよね


エレベーターに乗って、今日はうんこ出ましたか?とか聞かないじゃん 笑


とにかく、雲の向こうには太陽があるっていうのは誰もが潜在的に認識されている事なんだよ


そう言われてみれば、そういう気がするだろ?


今日なんかど真ん中だろ?


こんな桜が咲く日に 
(春の勉強会)


一年で数日だよ、こういう日はね


みんな出てきて当然だよね


逆に今日は外に出ないで家にこもっているのはバカじゃないみたいなね


そのぐらい、今日の天気はど真ん中なんだよ


でも、これがど真ん中だっていうのは誰もが知っているんだよ


感覚的に、五感的にも色々な感覚でど真ん中だって解るから、曇りや雨の日はがっかりするんだよ


ホントだったら桜も咲いてるのに、雨で散っちゃうなだったりとかさ


ホントだったらこうなのにって比較の仕方をしているってことなんだよ


だから、俺、こんなんだけど、本当はこうなんだっていう認識をみんな持っているって事なんだよ


だから、俺、こんなハズじゃないって思うんだよ


やる事なす事上手くいかないとかね


でも、やる事なす事上手く行くって誰が言ったんだって話だよね 笑


誰が上手くいくって教えたんだよ 笑


でも、みんな言うんだよね、ちきしょ〜 上手くいかないな〜 って 笑


それは何でそう思うかって言ったら、俺なんだから上手くやれるハズなんだっていうところってのを心の中のどこかで持っているって事なんだよ


本当は自分はもっと確かな存在だって確信をどこかに持っているんだよ


ところが、世の中に出ればへこむ事多いし、自信もどんどんどんどん無くなっておかしなことになっていっちゃうんだよね


その確かな確信ってのが真我だよね


ホントの私の部分って事だよね


だから、本当は我々は真我の状態っていうのをどこかで解っている


太陽と一緒でね


曇りだろうが雨だろうが太陽は無くならない


ドロドロだろうがグチャグチャだろうが無くならないんだよ、ただ、表面的に曇りだったり雨だったりが表に出ているだけ


自分もドロドロやグチャグチャが表面に出ているだけであって、その向こうに太陽が輝いているっているっていうのが、まさに真我なんだよね


だから、自分を見なさいってなってね?


僕、ドロドロなんです。。。。。


いいじゃないか、ドロドロでも、その向こうに真我が在るって解ればいいんだよ


って事なんだよ


で、それに留まりなさいっていうのがラマナが言う事だし、別の言い方すれば神に留まりなさいっていう言い方だよね


ね?


だから、答えはつねに「ここ」にあるって事だよね


自分の存在しているところに在るって事だよね


自分の存在していなところには無いって事だよね


自分の認識活動のあるところにしか


「それ」はないから


だから、当然、向かいのマンションの部屋にも「それ」は在るんだよ


真理は在るんだよ


でも、そこに住んでいる人が「それ」を認識しなければ、それは明らかにされる事は無いって事なんだよね


「それ」は在っても観られて無い状態のまま置かれるっていう


ところが、ここの部屋の中では、この在るものについて話されていて認識されているって事なわけ


ってことは、認識されているって事は、「それ」は現実であるって事なわけ


そこで、自分が車に乗っても真我は明らかになるし


自分が電車に乗れば、電車の中で真我は明らかになる


家に帰れば、家で真我は明らかになる


恒に自分の認識と共に「それ」が在るならば、自分の行くところどこでも在る


パチンコ屋でも在るし


病院でも在るし


葬儀場にも在るし


無いところは無いわけだ


でも、はたしてその認識を自分がするかしないかなんだよ


ただ


ただ、その認識がなされているかなされていないか


ただ、それだけのこと


だから、その認識をすればいいって事



その認識を



それは



ああ、ここに「それ」は在るんだって



「これ」なんだって



ここに「それ」が在るんだって捉え方



その認識っていうのをつねに持っていればいい


ただ、自分がマーヤだったり


まだ足りなくて、解るってところまでは行ってないけれども


今、その事考えているって事はそこに留まっている事だなっていう風に理解すればいいよ


つねに、「それ」と共に在ろうとすれば



「それ」はそこに必ず



自分が認識しなければ、「それ」は無い



認識すれば「在る」



これは何度も言うけれども


それはわかっちゃたって事もある


でも、それはわかっちゃて無くても、その認識に留まるっていうのが大事な事だから


ラマナはそう言っているわけ


だから、ラマナからすれば悟りなんかどうでもいいわけ


ラマナの本を読んでみればわかるけど、悟りとか覚醒についてはあんまり語ってないよ、あの人は


自分はチャチャカと子供の頃に解っちゃってるからね 笑


どうでもいい話なんだよ 笑


とにかく、ラマナの関心は今どう在るべきか


どれだけマーヤになることなく、今、在ることが出来るかって事だと思う



他になんかない?




さっきの主観と客観の話なんですけど、やりたい事ってパ〜ンと上がってくるじゃないですか?

客観視していると、後悔とか喜びとか何でもいいんですけど、それに追従してしまってとらわれている感じがあって、やっちゃた事に対して思わないようにしようとする方がよりクリアなのかなって。。。


結局、マーヤだと思えばいいわけ


やってしまった事に対してですか?


反省する事をマーヤだと思えばいいんだよ


反省以外は?


後悔もマーヤ


喜びとかは?


喜びもマーヤになるよ


結局、起こっちゃた事は御心で起こっちゃたんだから、我々にはどうすることも出来ない


起こっちゃたんじゃなくて、選んじゃったは?


選んじゃったのも、起こっちゃた事なんだよ、それは


それは自分で選んだかのように見えているけれども、別に選んではいないんだよ


起こったんだよ


自分で選択したと誰もが思うんだよ


それが人生での苦しみになっちゃうんだよ


だから、人間っていうのは生きてくると後悔ばっかりになってくるわけよね


でも、その後悔ってのがいっぱいになってきた時に、御心っていうのが解ると、その人はもう救われちゃうわけ


だって後悔ばっかりだったんだから、それが御心だって解ったら大救済だよ 笑


俺なんかは、どっちかと言うと人生後悔ばっかりで、あんときちゃんとやっておけばよかったなとか、こうしておけばよかったなとか、そんな事ばっかりだったんだよ


すっごい後悔して生きてきたよ、さっき言った旅行とかでなんか食べようかなみたいになっても、俺が選ぶ店はブーな店ばっかりとかね


ほんとに旨いものにありつけない?


最悪、食いものにもありつけないみたいなね、何故かなるの


ホント運が悪いの


もうね、ホントに昔は嘆いていたよ、クジ運が悪いっていうかね、今の俺を見てると、そんな風には見えないかも知れないけどね


その貧乏クジを引き続けて、もう後悔と失望の中で生きてきた中でね?


全て御心だって解った時にどれだけ解放されたと思う?



面白い事に、そうなってからは貧乏クジ引かなくなった


だから、それが解る為にひたすら貧乏クジ引かされたんだなってのが経験として解った


何故ならば、貧乏クジ引かされ続けるのが経験なんだよ


この悪い連鎖から抜け出したいと思うわけじゃん?


その思い続けているって事が、答えにいたる原動力になるわけだし


僕からしたらね?


そういう選択とかがあるかに見えているけれども


実は全然選択とかして無くて、その結果が悪いっていうことを経験させる為にその選択をさせられているって事が起こっているんだよね


それはなんでかって言ったら


結局、最終的には自分じゃないじゃんってのが解る為にだと思うんだよね


だから、後悔とかの経験値っていうのを積んでいくのも、人間にとっては大切な事なんだよね


いい? それで?




わかりました



なんて言うのかな、結局、人間にとって自分の心?


結局、真我に留まりなさい


ラマナは真我に留まりなさい


え〜? じゃー現象は?


それは神が創ったんだから、神が面倒みますってラマナは言うんだよね


神が創ったんだから、こっちのケアは神がしますっていうね


あなたは、ひたすら真我に留まりなさいってね


ここに2つの答えがあるわけ


ここに私っていう認識は外に向かうものと、内に向かうものがあるわけだ


さっき言ったように、外に向かう時は祈り


内に向かう時は瞑想だったり


外に向かう時はブラフマン


内に向かう時はアートマン


とにかく、自分の外で起こっていることなのか


中で起こっている事なのかっていう、その2つの認識しか人間には無いって事なんだよ


中間で起こっている事っていうのは無いんだよ


ね?


と言うことは、外に求められる答えっていうのは


この現象をどう認識するかって事なんだよ


で、内における答えっていうのは、ラマナが言うように真我に留まりなさいっていうね


真我に留まっている限り、我々は平安でいられるわけなんだよ


外で起こっている出来事っていうのは、神が創ったんだから、神が面倒みるでもいいし、御心でもいいんだよ


どっちでもいいから、ああ〜なんか必然的になっていて、我々の手のおよぶところでは無いんだなっていう事を理解する時に


この現象世界の問題っていうのも解決するんだよ


そうすると、内面の「俺はなんで生きているんだ」とか思っているかも知れないけれども


たき火があって火の粉がパチッて弾けるように、神からパチンと飛び出したのが我々の魂だから、我々は「それ」である認識は、このボロボロの俺を正しい認識に引き戻してくれる 笑


だから、どっちにしても完璧


御心だから完璧


私は「それ」だから完璧


そうなった時に初めて外も内も完璧になるの


完璧に成れば出てくる文句は何も無いじゃん


ね?


その2つがクリアになれば我々は幸福になるっていう事なんだよね


ということだ



教えは様々あるけれども、ラマナが言ったように真我に留まるとか、御心からこの世界を見られるようになるだったりとかも一つの方法だし、「それ」を神という言葉に置き換えてもOKなわけだし


逆にそっちの方が好ましいって場合もあるかもしれないし、日によっても違うかも知れないし


色々なバージョンを持っていていいから



ね?


色んなムードでやって下さいって感じで



おしまい


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真我とエゴがミクストアップされちゃってる



今日は少し暖かかったけど、明日から寒くなるらしいよ。

なんか、数週間前だけど・・・・

「あれ?? なんか正月っぽい空気感だな。。。」

と思ったら、やっぱり今年は平年より寒めなんだね。


ということで、前回の続きから・・・・・・


こんな話もあるよね


あるマハラジャがラマナのアシュラムに来て一日留またけど、ラマナと一言も会話しなかったんだよ


で、マハラジャが帰ったあと、ラマナがあのマハラジャ凄かったねって言ったんだって、弟子に


弟子は何もマハラジャとは話はしてなかったじゃないですかって言ったんだけど、解っている同士は何も喋らなくても解るみたいな話をしたらしいんだよ


で、弟子は「でもマハラジャは日々忙しいんじゃないですか?」みたいな話をラマナにしたんだけれども、解っている人は日々忙しくても大丈夫みたいな話になったんだって


禅とか仏教でも行住坐臥(ぎょうじゅうざが)って言葉があるけど、行為をしながら常にその状態にあるっていうね


その状態と悟りの解った状態とはちょと違うんだよね


わかっちゃうっていうのはね?


ファイナルアンサー


ファイナルアンサーなんだよ


自分の経験量だったり、経験値がMAXに達しないとファイナルアンサーってのは来ないんだよ、やっぱり


だって、経験不足だったらファイナルアンサーもへったくれも無いじゃん?


ね?


これは、やっぱり答えに至る為には充分に経験しつくさなきゃいけないって事


言ったら、大工の棟梁だったりは家を建てて何十年、家の事ならなんでも解っている


だから、彼は家を見た時におかしいところとか解るしね


兄ちゃん兄ちゃん、そんなやり方したらダメだ


って解るんだよね、でもその兄ちゃんは・・・


え〜なんでこれがダメなんだよ、考えうる限り完璧じゃんって言うんだよ


でも、棟梁は違うって言うんだよ



それは、棟梁が充分に経験した結果、結論っていうのがあるんだよ


でも、兄ちゃんは解って無いんだよ


それと同じように、悟りとか解るっていうのは、ある経験の臨界に達した時に爆発するようなニュアンスだよね


そこまで経験しないと解らないという


だから、経験を重ねていくしかないんだよ


だから、マスター達は修行しろっていうのはそういう事なんだよ


とにかく修行しろ、経験を積めと


経験を積んだ時に自ずと解るんだと


料理人だってそうじゃん?


これ完璧だよね、旨くない?って言っても全然ダメみたいなね


でも、何がダメなのかはわかんないんだよ、若造には


そんな話、いくらもあるじゃん?


なんで味見もしないで解るんですか?


いや、解る


みたいなね?


そんで、若い兄ちゃん怒っちゃてさ


越えられない壁がある


これは経験の差なんだよね


経験の差が積まれて、ある臨界に達した時に答えがポンっ来るっていうね


それと、さっき言ったラマナが留まりなさいっていうのは、また、別のニュアンスだという風に考えられる


っていうのは、ラマナは16才ぐらいの時に死の体験しちゃうわけでしょ?


それまで、何かの修行しているわけじゃないわけ


突然、あれでわかったわけだけれども、その後、アルナチャラに導かれるように行って、そこで毎日をただ生きてきたわけじゃん?


彼の場合、どう生きていくのかをさせられたかって言うと


ふんどし一丁で、食べるものも少ししか口にする事無く


生きる屍状態で生き


生きながらえるだけ生きながらえようかみたいな状態だったわけだ


そこに人が集まって来て、教えてくださいみたいになったから、ああゆう事になったけれども、もし、人が集まってなかったら、ああゆう状態でアルナチャラで朽ちていったっていう、ただそれだけの事だったと思うわけ


だから、解った事がラマナにとって大事な事だとしたらね?


言える事なんて何もないんだよ


ラマナは学生だったんだよ、それが突然、死の状態になってね?


何を教える事があるんだよっていう話じゃん


それは自然に来るとしか言えないじゃん?


だから、ラマナは覚醒とかの話をしているわけじゃないんだって事なんだよね


どう、自分がベストな状態に留まり続ける事が出来るのかっていうのを説いてる


ラーマクリシュナはちょと違う


マザー マザー 神様大好きって子供の頃からやっていて、なんで私の前に現れてくれないのって泣いてた時に、ある日突然、現れて解ったっていう経験したから


とにかく、マー マー ってやってれば来るからみたいな感じの教えになっちゃたっていうね 笑


そういうのっていうのは、それぞれの先生達の経験なんだよな


経験によって教える事は変わってくるって事なんだよね


でも、ラマナの教えは悟れって話じゃないんだよ


悟りなさいじゃなくて、留まりなさいなんだよ


真我の状態に


じゃー何が真我の状態なんですか?って


あなた今、ここにいないんですか?


いや、います


それじゃ、そこに留まりなさい


って教えなんだよ


え?? それが真我なの?


ってみんな思うんだよ


ラマナはそれでいい、それが真我だって


みんなは、これは真我じゃないって思うわけ


なぜなら、真我とエゴがミックトアップされているから、我々からすると、ここに留まりなさいって言われてもエゴっぽい感じがするわけだよね


でも、ラマナからすれば、そんなのはうわずみにしかすぎなくて、その下にはちゃんと甘露があるからそれでいいって事なんだよ


でも、その表現があまりにも曖昧すぎるわけ


だから、俺はそれをなんちゃって真我と名付けているわけ


なんちゃってだけど、ほんとうは真我だったっていうね


ただ、今はエゴと絡まっちゃっているから、どうしても真我のようには見えないんだけれども


あなたはここにいないんですか?


って言われたら、私はここにいますってなるでしょ?


それ以上の答えっていうのは無いでしょ? 結局


だって、私は私をハズして存在しないんだから、絶対に


私は私のいるところにしか存在しないのであって


私の存在しないところには私は存在しないんだよ


だから、私は今、あ〜だ こ〜だって考えていて、いろんな事で混乱して、なにかやりたいとか思っているかもしれないけれども


あなたはここにいるんじゃないんですかと


います、私はここにいます


それが答えだよ


そこにいるじゃないか、それが答えだよ


そこに留まっているのは今は、なんちゃって真我のように見えるけれども


でも、そこに留まっていればいいって事なんだよ


後でいろんな想念とかどうなんですかとか質問されるんだよね


想念とかは出ては消えていくもんだから、そんなに大事なものじゃありませんと


それに捕らわれるんじゃなくて、真我に留まりなさいと


例えばね?



続く・・・・・・・


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真我に留まりなさいとは



ついに久々のIMAXで007のスカイフォールを観てきた。

007超カッコイイよね〜 笑

前回のIMAXがバイオハザードだったから2ヶ月ぶりぐらいか?

う〜ん、やっぱIMAXだと大迫力だよね。

やっぱ映像と音が違うわ。


まあ、映画の話は次回かその次ということで、今日は前回の続きから・・・・




質問
その思考を落とすというかキレイにした状態と悟りとは別なんですか?


そう、別


別だという風に僕は解釈している


これは人によって一緒って人もいていいんだけど、結局、悟りっていうのは自己における完全なる解決


私は何ものなのか


何の為に存在しているのか


何をやっているのか、何をすべきなのか


これらの疑問って人様々じゃん?


多くを望む人もいるし、あんまり望まない人もいるし


でも、結局、その疑問っていうのがそれを理解した事により、解けてしまうのか解けてしまわないのかって事なんだよ


人によって解ったっていうレベルだったり次元っていうのは違うと思うんだよね


だから、悟りという理解が生じるか生じないかっていうのを煮詰めていくと


これは解るか解らないかっていうのは恩寵でしかないと


解る時にしかわか解らないし、解らない時には解らないんだよ



じゃー解らない時には同じ混乱を続けていくのかどうかって事なんだよ


解ったら終わるって事は解るんだけど、それが来るまでどうやって待ちゃいいんだって話なわけ


で、その時にラマナが言っているように、真我の状態に留まりなさいとか、仏教で言うような空性に留まりなさいとか、ラーマクリシュナが言うように神に留まりなさいとか


そういう風に自分の状態っていうのをより完璧に合致させる事によって自分を平安な状態にしておこうっていう事なんだけどね


そういう状態ですごしているうちに解る


もしくは、そういう状態すら留まれ無いんだけど解る



解るっていうのは関係無くやってくるし、やって来ない時はやってこない



だから、全然修行していな人でも解る事があるし、凄い修行している人でも解らない時は解らないんだよね


とにかく、来る時は答えが得られちゃうんだよね


でも、答えが得られたら全てが解決するのかっていうとね、またそうでもなくてね


解ったとしても、結局、生きていかなきゃいけないわけじゃん?


ね?


解ってから生きていかなきゃいけないわけだから、どう生きるべきかっていうのを日々生きていかなきゃいけないって事なんだよね


解ったっていうのは文字どうり過去形なものなんだよ


悟りっていうのは永遠性のものなんだよ


永遠性のものでなければ得る価値は無いからね


始まりも無ければ終わりも無いっていうのが悟りなんだけれども


でも、悟りの経験をした人っていうのは「わかっちゃた」っていう過去形の経験が起こるっていうことなんだよ


それってわかっちゃたけれども、今は現在進行形で日々動いているわけでしょ?


結局、今をどう生きるかっていうのが次の課題としてやってくるってわけだよ


ね?


僕はそこで、とにかく生きることっていうのはマーヤ解きでしかないっていう


どうせ御心で全てはおこなわれているわけだし


日々現象でこうやって起こって来るわけだから、そのマーヤを取り除いていく


アクを取り除いていくみたいなもんだよね


純粋に御心になるためにアクを取り除いていくっていう作業をしていって、常に御心が輝いている状態にする為には日々生きるという行為というのをし続けなければならないっていうね


わかっちゃたっていうのは、あくまで過去形のものだからね


だから、わかっちゃたって事は理解が至ったわけれども、心の状態


行為をしている時の心の状態っていうのを、どうしたらより完璧に出来るのかっていうのは、また、別でしょ


ね?


だから、真我に留まりなさいっていうのは、あらゆる行為をしながら「それ」でありなさいっていうこと


あらゆる行為をしながら、神の事を思ってカルマヨーガをして神に向かっていきなさいとか、それは先生によって言う事は違うんだよ


でも、大事な事っていうのは結局、解ろうが解るまいが死ぬまで生きていかなきゃいけないって事なんだよ 笑


ってことは、死ぬまでなんかしていなきゃって事なんだよ


ね?


その、なんかしている時にね? なんて言うの



解っちゃって事が過去形で自分にあったとしても、何の救いにもならないって事なんだよ


俺はわかっちゃたから、全部解決だな


と思っても・・・


「はい、これやっといて」とか言われてね?


いや、俺はわかったからさ


「解ったとかそんな事ブツブツ言ってないで、とにかくこれやっといて」



おかし〜な〜 俺は解ったんだけど、なんでこれやんなきゃならないんだろう。。。。



みたいなね?


そういう、生きていかなければいけないっていう事態はあるわけだから


そこで、なんにも思わないでやっていける心の状態を作っていくっていうね


それがよりパーフェクトな状態と言えるんじゃないかと


だから、ラマナは常に真我に留まっていなさいと



こんな話もあるよね・・・・・・・・・・・



続く・・・・・・・・


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油を油で落とすのがマーヤ解き



やっと週末だよね。

一週間お疲れ様でしたみたいな。。


先週、映画でも観に行こうかなとか言ってたけど、結局、エヴァンゲリオンQを観たぞ。

テレビで破をやっているのを観たから、まったくの予備知識が無いわけじゃなかったが、テレビシリーズは一度も観た事なかったし、なんていうか予備知識が無い状態で観にいったわけだ。

いきなり、巨人兵東京に現るみたいのが始まって、なんじゃこりゃ〜と思ったわ 笑

まあ、そんな話はいいとして、前回の続きから・・・・・・・



質問)
その客観者っていうのは潜在意識に置き換えていいんですか?


それはまったく別



結局、潜在意識というものが存在するならば、客観者も主観者も顕在意識上に存在していて、より客観者よりも主観者の方が潜在意識的と言える


なぜならば、潜在意識から上がってくる暗黙の欲求っていうのに素直に反応しているのが主観者だからね、だからどっちかっていうと主観者の方が潜在意識に近い


「あっ こんな事やりたい」 とか
「あっ こんな事思いついた」 とか
「こんなことやりたい、あんなところ行きたい」とか


みたいのは潜在意識からの影響だって事なんだよね


先ほど先生が「パン」とやった時に思考が止まりましたが、最初に現れたのは主観者ですか?客観者ですか?


「パン」ってやると一瞬、主観者が止まるんだよね


で、客観者もうろたえるんだけど、最初に動くのが客観者のハズなんだよね


結局、主観者にしても客観者にしても自分の中での意識の働きである事には変わりは無いってことだよね


それは、どのみち思考だからだって事だよね


それは、さっき言った無によって消滅する次元に存在しているものなんだよね


だから瞑想なんかにおいては最終的に主観者も客観者も消滅させていくっていうのを目的としているんだよね


でも、マーヤ解きなんかは客観者っていうのを有効利用するんだよね


結局、思考を使うのか使わないのかっていうね


想念っていうのは出続けているんだよ


それを思考を使って消すのか、無によって消すのかの違いなんだよね


それってどういう事かっていうとね?


床にこぼれている油を無かった事にするのか 


ヘヘヘッ 笑


それが無だよ 笑


油で汚れているのを見て・・・


「あれ?・・・・ 無かった事にしよう。。」


これが無だ


在るけど無いっていうね


油は油で落とすっていうじゃない?


灯油とか持ってきて、油汚れを油で落とすだったりとか


そっちがマーヤ解き


同じ思考なんだけど、思考によって思考を除去するってやり方


僕はなんで無による瞑想で消すやり方じゃなくてマーヤ解きを勧めるかっていうと、これでキレイに出来ると思っているからなんだよね


無かった事にしても、いつまでたってもネバネバして油汚れは無くならないじゃん?

100年ぐらいたったら無くなるかもしれないけど、古い油みたいなネタ〜て状態が続くわけじゃない?


それだったら、油で油をキレイにするっていう、思考で思考をクリアにする方法の方が良いと思うんだよね



その思考を落とすというかキレイにした状態と悟りとは別なんですか?


続く・・・・・


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ブディ 統覚器官と主観者 客観者



今日は少し暖かかったよね。

今回は主観者と客観者の意識から、どうマーヤが発生してくるかみたいな話や瞑想とマーヤ解きの違いみたいなお話だよね。

後半は「それ」の状態みたいな話になっていくわけだけれども、とりあえず主観者と客観者のお話から・・・・



質問)

意識が高まっている時って思考が目に見えるような感じになって、自分が在るっていう思考も見えるんですよ

そういう時って自分も思考で出来ているって解るんですけど、後で振り返ってみると、その観ていた自分っていうのはどういう風に理解すれがいいんですか?


基本的にインドではブッディとかね、統覚器官と呼ばれるものなんだけどね


僕の説明の中では簡単に客観者って呼んでいる


客観的に主観者を見ている意識だからね


主観者っていうのはこれが食べたいとか、これをしたいと思っているエゴの部分の働きだよね


それを客観的に見てて、ああ、こんな事考えているなとか、これはダメなのになって見ているのが客観者なわけ


で、マーヤになるのはこの客観者なんだよね、主観者じゃなくて


主観者っていうのは望むがままにやっているわけじゃん


自分の思うがままに動いているわけだから、マーヤにはならないんだよ、そんなには


逆に客観者がやめろって止めた場合、主観者も欲しいものを止められちゃったってマーヤになるよ


でも、多くの場合、主観者がやりたいと思った場合、客観者がやめろってなっても主観者が勝ってしまうんだよ


そうなった場合、客観者が敗北するわ


常に主観者と客観者は戦っているわけ、戦争しているわけだよ


で、問題なのは客観者が敗北した時に客観者がマーヤになっているってことなわけよ


自分たちからすれば、一番冷静に自分を見守っている客観者がマーヤになっちゃっているわけだから、糸の切れた凧みたいになっちゃているって事なんだよ


結局、じゃー主観者は・・・・・


「あ〜 腹減った、肉食いたいな、ステーキがいいな」


って言ってる


それを客観者は・・・


「いや、そんなのは食べない方がいいよ、瞑想に良くないよ」


って止めようとするわけ


でも、肉が食いたくていっちゃうんだよ


で、客観者はマーヤになるんだよ


「また、戒律を破ってしまった。。。。」


てね?


で、どっちがマーヤになっているかって言ったら客観者の方じゃん


肉を食ったらいけないって事を客観者が信じ込んでいるってのが、まずおかしいって話なわけだ


結局、客観者の方が一般的な社会的通念だとか、何が正しくて何が悪いとかの判断は俺の方が出来ていると客観者の方は思っているわけ、常に


ね?


だって主観者は善悪は判断していないもん


やりたいかやりたくないかだからさ


でも、主観者は善悪のジャッジをくだしているわけよ


ってことは客観者の方がマーヤになっているって事なんだよ


って事は、本来、客観者の方が冷静に見ていくべきなのに、マーヤにやられているって事なんだよ、だから、マーヤを解けるわけはないっていう話なんだよ


ね?


ここが一番の盲点になっちゃうわけ


例えば、ラマナの事を凄く信頼している


っていうことは、ラマナの本を鵜呑みにするじゃん?


ラマナの言ったとおりに生きなければダメだって思うわけ


100年前のインドのしかもアルナーチャラだって事は忘れてんだよ


時代も違えば、国も違うし文化も違うんだよ


物や情報の溢れ方も違う


それをラマナの言うとおりに合せようと思うと、ほぼ敗北


ラマナの言うとおりには生きられないから


ヤバイよ、ラマナはふんどしいっちょだから、俺もふんどしでやろうと思ったって出来ないから


無理でしょって


まあ、俺は腰巻いっちょで田園調布歩いていた時に補導された事あるんだけどね 笑


19歳の時にね


「君、君! ちょと! こっち来て なんだ、そのカッコは」


いや、僕は普段から腰巻だけですけど


「いや、それはいいんだけど、逆光でプラプラしたもんが見えるっていうのは公衆衛生状、良くないから、もっと下に履くかなんとかしなさい」


って言われたんだよ 笑


それでいかないとダメだって事なんだよ


まずそこからみたいなさ


無理だろ?


移動するときには何らかの手段使わないとあれだし、そうするとお金だってかかるしみたいなね


結局、理想として語られている事は無理なんだよ


俺達だって100年前にあの場所にいたら、そんなには難しくないんだよ


例えば、日本でベジタリアンになるのは難しいんだけど、インドだと簡単


っていうか、肉なんか食いたくも無い


気持ち悪い


だって、バザール歩けばわかるけど、肉とか解体しているわけ


ヤギとか、目とか内蔵とか転がっていててね?


マトンを注文した人はそれを切って渡されるんだよ


そんなの見てさ、肉料理なんて食いたいと思うかって話だよ


こないだもベジタリアンの人と話して、なんでそんあ不自由な生活してるだって聞いたら


子供の時に山の田舎の方にいて、親が動物をシメテいるのを見て、あまりにもエグかったので、それ以来、肉を食べれなくなっちゃいました


って言うんだよ、そういうもんだと思うわけ


辞めよう、辞めようと思っても、なかなかやめれないんだけど、エグいもんみちゃたらもう食えないみたいなさ


俺の友達も解剖見にいったらしばらく肉食えなくなったって言ってたけども 笑


せっかくだからベジタリアンになっちゃえば良かったのに、しばらくして印象が無くなってくるとまた肉を食いたくなるみたいなね


色々考え方があってね


自分でしめられるところまでは食っていいんじゃないのってね


そしたら、せいぜい鳥までかね、みたいなね


豚から上、大きいものはちょとみたいな


自分でさばいて食う気しないわね


そういう風に生理的に受けつけなくなるっていうのがあるから、インドではスガスガしいよね


あれもキモい これもキモいで唯一、神様だけが清々しいみたいなね


そうしう世界にいれば、あらゆる欲求が無くなってくる


女性に対する欲求も無くなってくるから、インドでは 笑


サリー着て腹だしているの見てるとね、普通に人間として接する事は出来るけど、なんかもう結構ですみたいなね


だから、おれは18〜19才の頃、インドで完全に性欲は克服したなと思ったよ


ね?


日本に帰ってきたらたちまちおかしな事になったけどね 笑


でも、それは、ここでは全てのそれらのものを美しく魅せる術があるわけ


肉も美味しそうに見せる


女性も美しく見せる


男もカッコよく見せるみたいなね


文明社会っていうのは、そういうものを美しく見せる事が出来るわけね


そこんところで、ラマナの教えはちょと難しいわけ


100年前のインドのアルナチャラでの教えだと思った方がいい


だから、客観者はこれが私が従うべき道と思っちゃうわけ、環境が違うのに


全然違っているにもかかわらずにね


そうすると、主観者っていうのは客観者が理想と思っているのとまったく違うチグハグな事をしでかしているように思うんだよね


でも、その主観者っていうのが本来の私なんだよ


客観者っていうのはラマナの本を読んで感化された自分なの


だから、ダメでしょって思うような事ばっかりを主観者がやるんだけど、その度に客観者がマーヤになってしまんだよね


だから、マーヤになっているのは誰なのかっていったら、本来、手綱を握っているハズの客観者なわけなんだよね


だから、上手くマーヤ解きが出来ないっていう意味なわけなんだよね


そこで、在るがままのリアルなものを経験出来るようになってくると、客観者がちゃんとリセットされるようになってくるんだよね


「結局、俺がジャッジしてたのか 俺が善悪の判断付けていただけなんだな・・・・」


っていうふうに客観者が理解をしてくるようになってくると・・・・


「ちょと主観者!それ、やりすぎ。。。 あ〜 でもやりすぎと思った俺がマーヤになっちゃうんだよな」


って思えるようになってくるっていうね、それが大事な事なんだよ


結局、自分の事を観察している客観者っていうのは、えてしてマーヤになりやすいっていう話なわけなんだよ、大きく話が脱線したけどね


より、客観者が正しい認識の状態に立てるように、自分を誘導していかなきゃいけないっていう


結局、この主観者と客観者が自分の行方をコントロールしているわけだけれども、ここに神という存在、概念が入ってくるようになると、客観者はそっちに寄るようになってくる


それまでは主観者に寄っていたんだけれども、神という概念が出てくると客観者はそっちに寄るようになってくる


そうなると、どうなるかっていうと、神様的な視線でみるように客観者も見れるように序々になってくる


それがコツになってくる部分だと思うんだけどね


それにはどうしたらいいかっていうとね?


なるべく、絶対的な存在っていうのを引き寄せるってこと


っていうのを日頃行なっていくっていうね


ジャパだったり、瞑想だったりお祈りだったりね


そうやって、自分の中に確固たるものとしてなるようにすれば、客観者というものはそれの影響って強く受けるようになってくる


そうなってくると、客観者の判断っていうのは、より正確になってくるっていう事なんだよね




その客観者っていうのは潜在意識に置き換えていいんですか?


それはまったく別


続く・・・・・


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ティローパとかのチベット系の話を少し・・・



昨日はまるちゃん正麺が美味かったという話をしたが、中華三昧も旨いという情報が入ってきたんで今度は中華三昧だな。

ちなみに、ラーメンの他は明治のMeltykiss くちどけラム&レーズンをこの前食べたらえらく美味かった。


今回は質疑応答が多かったみたいなんで、チベット系のお話しは少しだけだがもっと詳しい話を聞きたい場合は和平先生に質問すれば色々とお話してくれますんでよろしく。


ということで前回のつづきから。。。



質問)
頭頂部のエネルギーの状態なんですけど、先生に最初会ったときからちょっと
もわもわしてるような感じがあったんですけど、ずっと日常でも先生のCDとか
聴いたりしてずっと神様に意識を向けるってことを続けていたら、強い刺激になってきて
今年に入ってスッキリした感じも増えてきたんですけど、けっこう刺激が強いのですが
これはこのままでいいんでしょうか?大丈夫ですか?

そう、いいよ、それで。
バキバキになったほうがいい 笑

結局ほら、チベットなんかのポワなんかではさ、物理的に穴が開くまで瞑想するんだからさ。
てっぺんに。
穴開くんだぜ?頭のてっぺんに。
ポワっていうのやると。
俺あいたよ。

そういうのは物理的に穴あくまで瞑想やるわけだから、ポワなんてね、
やりはじめて2〜3日すると頭割れそうに痛くなるから。
それでも毎日10時間ぐらいポワの瞑想やり続けるわけ。
そうすると1週間ぐらいすると穴あく。

質問)
先生のお話とか聞いててこういう状態になることはそれと関係ある?

関係ある、いいよそれで。
もっとガンガンいって 笑

基本的にね、僕の話聞いてると頭のてっぺんが開くって人すごく多い、今まで。
その、わかったって感じじゃないとしても、上とつながるって感じってのを
得られる人ってのはすごく多いから。
そのままいっちゃってください。

質問)
この過程でちょっと不快な感じがあるっていうのはしかたない?

いいよ、それで。
体は不快よ。
体はなんだったって不快だから。
いいの、不快で。

もうほんとに。
たとえばこうエネルギーがあがってくるだったりとか
クンダリニーがあがってくるだったりとか
不快以外のなにものでもないからね。

へたしたら吐くから、クンダリニーあがってきたら。
そんぐらいもう体の中のあらゆる臓器がこう、浮き上がるみたいな。
こうなんていうの、遊園地の乗り物とか乗っててストンと落ちたりとか
こうGがかかって上がるみたいな感じがあるじゃん、
そんな感じの不快さってのもあったりするから。
OK?
いいそれで。

じゃ次。

質問)
先生がこないだ教えてくれた「84人」って本、ネットで調べて買おうかなと
思ったけど高くて、中古で出品者からしか買えないからなんか見られるサイトないかな
と思って探してたんですけどありまして、半分ぐらい見たんですけど、あの人たちは
みんな実在した人たちなんですか?

そうそうそう、
そういわれてるよ、歴史上に実在した人たち。
そんな長くない、一人ずつのエピソードは。

あのね、基本的にインドの後期密教っていわれる11世紀ぐらいに実在した人たちだよ、
8世紀から9世紀ぐらいから11世紀ぐらいまでにいた人たちって言われてるよね。

おかしいでしょ?みんな。
変人ばっかりだからね。
奇人変人みたいなね。
みんないた人っていわれてる。
まあ、あんな世界だよ、チベットの世界なんて。
うん。

一人残らずあんな感じだよ。
そんなところにいると頭おかしくなっちゃうから 笑
そんなところで勉強してるってだけで頭おかしくなっちゃう 笑

あれはいちおうカギュ派だったりとかで伝承されてる84人の成就者
っていうことなんだけども、結局それ以外にもさ、ヨガ系の人だったりとか、
仏教でもあそこに載ってない奇人変人もいっぱいいると思うからね。

チベットにもいっぱいいるんだから。
狂気の智慧に達してる人たちっていうのは。
ね?
あの中にはマルパとか出てこないよね、84人の中にはね。
あの後、ティローパの教えを次いでナローパが発狂して、チベットで発狂的な
教えを広めて、発狂の弟子ミラレパを得て、ミラレパはまた発狂の弟子ガムポパを
育ててだね、それからもう発狂の系譜が続いていくわけだよ。

もうみんな発狂してるんだからさ。
すごいぞ〜 笑

OK?
あと?



質問)
自我が幻想だっていうのは、科学的にもそんな話がありますけど、もしかすると
これも後づけなのかな?意識があるっていうのは…時間差で?時間差で常に行動は
先に出てるんだけど、意識が合理化して理由づけしてるんだなっていうのは先生的には
アリなんですか?っていう。どうなんですか?

あの〜、結局そういうのって脳の病気だったりとかああいうの患った人たちを対象に
検査すると如実にそうだっていうふうにいわれてるわけ。
やっぱり行動のほうが先にたってるってね。

で、ただだよ?
ちょっと100%ではないかもしれないなって思うのっていうのは、
たとえば俺なんかみたいに一日中動かないで座ってる人ってそうはいないと思うけども、
こうやって座ってて、まず先に思考がでてるってことがあって体のほうは動いてないって
ことがあるじゃない?

だからあの仮説っていうのも、もうちょっと煮詰めなくちゃいけないところもあるんじゃない?
って思うわけ。

ただ、その理屈でいくと結局すべてみこころだってことが立証されるってところは
俺にとっては嬉しいよね 笑

すべてがどうなのかってことはまだ仮説の段階だから
結局ほんとの結論みないとわからないところだから。

といってもね、科学の世界とかもなんだかんだインチキなところが多いからね、
あとでやっぱりあれちがったみたいなさ。

覆るようなことってのもけっこう多いから。

だからそれですら万能ではないと思うけども。

でもまあ、今までのものの考え方…人間が自由意思を持ってるっていう考えかたからすれば
少し前進できた考え方じゃないかなって僕は思ってる。

質問)
ラメッシとか読むとそういってますよね。
全部プログラムされてるって。

うん。

僕も自分がわかったときに、それがわかって衝撃的だった。
僕もそれまでは自分の自由意志だと思ってた。

インド行くのもチベット行くのも全部自分の自由意思だと思ってた。

で、そうやって修行してきたと思ったよ。

でも、わかったときに、これはマーヤな話だけど、自分の過去っていうのが走馬灯のようにバ〜っと見せられて、この師匠との出会いが偶然か?この師匠との出会いが偶然か?

この人との出会いが偶然か?この人との出会いが偶然か?っていうのを全部見せられたわけ、結局。

それで、この人との関わりののちにこういう経験があって、こういう経験があったからまたこの人のところに行くことができて、って結局すべての過去っていうのが連鎖的にぜんぶつながって起こってるってことが見えちゃったわけだよ。

(図を描きながら)ここがわかっちゃった瞬間ってことで、ここがスタート地点だとすると
こういう風に道が分かれてる。

こっちから見たら選択は常にわかれてるわけだよね。

で、こっちに進む、で、ここで迷う、でこっちに進む、でまた迷う。

こっちからすると選択っていうのは常に無数にあるように見えるわけだよね。

こうやって見ると。

でもこっち(わかった側)から見ると自分が来た一本の道しか見えないわけだよ。
振り返ったら自分の一本道しか見えないってわけだよね。

だからなんかのきっかけで過去が走馬灯のように見えるとどうなるかっていうと
この一本道しか見えないわけ。

ここでこうなったらよかったのにな、とか、こうなってたらやばかったかもな、とか

こうなってたら、かも、とかって世界ってのはこっち側からみたら存在してないって
ことなんだよね。

だからこの一本道、かつ、今私がここにいるためには、常に完璧にこうでなければならない
わけなんだよ。

この選択、この選択、この選択っていうのが常に完璧になされなければここに至らなかったわけ。
もしここで誤った選択してたら結局今の自分っていうのは(別の)ここにいるわけだから、結局今の自分にとってこういう一本道ってことになるよね。

でも、こうだとしてもこっから見た場合はこういう見え方をすると思うけど、
ひたすら一本の道だからね。

でも、選択によってはどうなってたかわからないにしても結局今の私、今のこの瞬間っていうのをなしてるのっていうのはこの一本の道の連続性の上にしか存在してないってことなんだよね。

そして、我々にとっての人生ってのはこれがすべてなわけ。

これ以外は考えられないってことなんだよ。

ってことは、これがすべてであるってことは、このすべての延長線上のここで、たとえば悟りだったりとか覚醒だったりとか起こった場合、あっち行ってなくてよかったって結論じゃん、結局。
こう来てよかったじゃん。

自分的にはさんざんな人生だなって思うけども、でも

ああ〜これでよかったんだっていう結論だよね、結局ね。

で、そのわかったってところから振り返ってみたときにこの一本の道ってのは完璧な道になる。
で、そう見たときに、ミンリンティチェンとの出会い、サキャリンポチェとの出会い、スワミジとの出会い、とかいろいろこうあるわけ。

それがこうやって見たときに、ああ、完璧なんだな、って。

スワミジも最初俺の顔見たときに

「待ってたぞ」

って言ったの。

あ、待っててくれたんだな、って。

ミンリンティェンのときも、待ってたぞっていう言い方じゃなかったけども

これをお前に教えるっていっていきなりゾクチェンの教えからはじまったの。

ふつう善行とかすごく時間をかけてクリアしていかなくちゃいけないのが

いきなり本業のゾクチェンの伝授からはじまった。

俺はわかる奴にしか最初から教える気はないから、って言ったのだったりとか。

やっぱりなんかそういうマスターたちっていうのが自分のところに僕が行くっていうのを
あらかじめわかってたっていうニュアンスってのはすごくあるのね、みんなね。
うん。

そういうのだったりってのも、僕からすれば、わかれば完璧に見えるし、
わからなかったらまだ不明だけども、でもすべてはみこころ、すべては必然であるってことが
僕にははっきりと見えてるってことだってことなわけね。

ということです。


おしまい

今回のお話はこちらのアーカイブにまとめてあります。


ある日の質疑応答集







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人生はラフティング



今日は夕飯はまるちゃん正麺があったから、野菜を茹でて野菜麺にして食ったが、あれは乾麺を越えてるな 笑

思った以上に美味かった。


ということで前回のつづきから。。。



質問)
ラマナの本に、列車に乗ってるのになんで荷物降ろさないの?っていう言葉が
ありますけど、その列車ってどこに行くんですか?

うんうんうん。
列車は車とかと違って、決まったところにしか行かないじゃん?
決まったところにしか行かないってことなんだよ。
決まったとこっていうのは、人間でいうと悟りだね。

というふうな意味合いでいってる、そのニュアンスに関しては。
結局あなたは悟りの列車にもう乗っててそのまま乗ってれば
終点にまで辿りつけるのに、なんで荷物を降ろさないんですか?って
もう、荷物持ってる必要ないでしょ?って。

俺がよく言うんだけども、
「なんで新幹線の中で走るの?」
っていうわけ 笑

早く着きた〜い!っていって16号車から1号車まで走っていって
そうすれば150キロで走ってたとして255キロぐらいになったりして
もうちょっと早く着かないかな〜?みたいなね 笑

それはバカな考え方でしょ?笑
新幹線の中でいくら速く走ったって早く着くわけじゃない。
新幹線の速度でしか着かないわけだから。

それと一緒で、われわれは修行したりだとか、
こんなことしてあんなことしたら悟りに近づけるんじゃないかってことを
あくせくあくせくやってるってのはね、
ラマナが言うような、荷物を降ろさない、
俺が言うように、新幹線の中で走ってる、ってことなんだよね。
 
質問)
でも、列車っていうとなんか世界の車窓からみたいに眺めてるとなんか
楽しくて優雅な気持ちで、荷物降ろしたら優雅に行けるのかな?って思うじゃないですか?
でも実際は荷物を降ろすと今度はラフティングが始まるんですよね。
そういうものなんですか?

そういうものだね。
そういうものなんですよ。
これは、荷物を降ろさなくてもラフティングにはなってるんだよね。
降ろしてなくても。

でも、ラフティングになるときは、荷物を降ろすとかそういう精神的な余裕ないじゃない?
しがみついちゃうでしょ?結局。
だから逆に、荷物を降ろせばいいのに、っていう認識になってるときは
ラフティングしてないからそう思えるってことで、
ラフティング中にラマナの話を聞いたとしてもピンとこないと思うんだよね。
なに言ってるんだ、俺は今走るしかないじゃないか、みたいな。

もしかしたらこの電車はこんな急こう配を下っていってったら
脱線しちゃうかもしれない、と。

そのときに荷物を持って窓の外に飛び出す準備をしとかなきゃいけない、
ってきっとラフティング中だったら思うと思うね。
だから、そのラフティング用の教えっていうのもあるわけだよね。

質問)
荷物を降ろすつもりだったのにラフティングが始まっちゃうと、
私は眺めて「わ〜!」みたいな。もうしょうがないな、みたいな。

それはもう、続くかぎり続くから 笑
その電車の行く先々でもう決定してるから。
ラフティングゾーンってのがあるのね 笑
必ずそのゾーンには突入するの。

ジェットコースターといっしょ。
ちょっとスピード落ちて「はぁ〜」ってとこもあれば
いきなりキャ〜!って行くとこもあるでしょ?

で、キャ〜って行く前は逆にちょっと穏やかにつくってあるんだよね。
この衝撃を強めるためにね 爆
精神的なショックを与えんがために、その前ってのはわざとゆるめにして
はぁ〜って。
一息つかずにあのままここに突入してればここまで衝撃が大きくなくてすんだのに
なんで神様ここで一息つかせたの?みたいな 笑

一息ついたがために次の山はもっとひどく感じるみたいなね。
なんかもう、そういう仕組みになってるんだよね。

質問)
本来は衝撃を感じない存在なんですかね?

そう!

質問)
それを感じられるところは逆にありがたいから味わえばいい?

そう、俺はそう思う。
それは経験するのが醍醐味だと思ってるからね、僕はね。
じゃなかったら、例えばチベットとかに生まれてさ、
小坊さんとしてお寺にあずけられてさ、その寺で一生過ごす選択肢だって
あるわけじゃない?

質問)
なにも起きないですよね、それじゃね。

そう、なにも起きないよ。

俺なんかミンリンティチェンに言われたの。
ゾクチェンの修行の伝授が終わったときに
「師よ、ついに私もここから3年3か月のリトリートに入れますね」と。
ゾクチェンはだいたい修行の伝授が終わったら3年3か月と3日間、
洞窟とかにひきこもって仕上げの瞑想するってのが習わしになってるの。

だから、いよいよこの裏山の洞窟に入れますか?って聞いたわけ。
パスポートも全部かなぐり捨てる覚悟で。

聞いたら、師匠が「ダメだ」っていうわけ。
「え〜?だってゾクチェンは成就するためにはチャム必要じゃないんですか?」って。
それチャムっていうんだけど。

「お前がもしゾクチェンの伝授を得てあそこに入ればいいんだったらお前は
チベット人として生まれてたはずだ」
っていうわけ。
「お前が日本人として生まれたってことは日本で為すべきことがあるんだ」
と。
「だから、この最後の仕上げの修行っていうのは日本で行われるべきものだ。
ここで得た悟りは日本では通用しないかもしれない。でも日本で修行して
日本で得た悟りだったら日本で通用することになるはずだ」
って。

すごい説得力でしょ?
う〜ん、すごかったね。
ああ〜そうですか!みたいなね。
じゃあ、帰らさせていただきます、って帰ってきて。
それで帰ってきてそれっきり会ってないんだもん、師匠と。

で、日本帰ってきたらもう、いきなり2〜3か月後からラフティングはじまるわけ。
しかも世紀のドンデン返しだったわけ。
もう俺が最終的に、もう修行なんかやめちまえ〜!ってやめるぐらい
ブチ切れるぐらい、もうラフティングじゃなくて転覆しちゃった、ラフティング中に。
転覆しちゃって、もうやだ〜〜!!ってなるところまでいったから

でも後で自分がわかったときに、それが師匠の言いたかったことなんだな、と。
チベットだったら純粋に真っ暗闇の中の洞窟でこうやって目開けてずっと
何時間も座り続けるのが修行だけど、
日本でだったらこの世俗の中でグルグル巻きにされるっていう
それが日本でのゾクチェンの完成のさせ方だったんだなって
僕は理解してる。

質問)
それってギータでクリシュナのいうところの行為にとらわれずに行為しろっていう…

うん、それは無為に徹するにしても行為をするにしても
必然性ってのがある。

たとえば、ここで間違っちゃいけないのは、ギータの中ではあくまでも
クリシュナはアルジュナに対してあのセリフを吐いてるってことなのね。
もし、隠遁してるバラモンの前にクリシュナが現れたら
お前は無為に徹しろっていったかもしれないんだよね。

だってバラモンだもん、生まれたときからずっと修行だけしてるわけだから
あとお前が悟るには無為に徹するだけだってことが
クリシュナからのアドヴァイスになるかもしれない。

でも、アルジュナってまさにほら、戦争しようとしてるわけでしょ?
だから行為をせよ、っていうの。
とにかくお前は戦争して、むこうにいる親兄弟親戚どもみんな
ぶっ殺さないとはじまらねぇんだよ、だからやれ〜!っていうことなんだよ。

結局、人によるわけだよ。
それって自分の過去を振り返ればどっちタイプなのかってわかる。
クリシュナがもし自分の前に現れたらクリシュナは自分に対してどういうことを
言ってくれるか?って想像つくじゃん。

たとえばチベットに生まれて小坊主に出されてずっと寺にいるんだったら
その私の前にクリシュナが現れたら無為に徹しろてきっと言うにちがいない、
だから、わかりました無為に徹します、ってそこでその修行すればいいわけ。

でも日本人じゃん、我々は。
学校卒業して、恋もして、働きもして、
もう行為し続けてきたじゃん。
我々の前にクリシュナが出てきたら、やれ〜!っていうと思うんだよ。

僕がだいたい30、40、50ってそれぐらいの歳まで生きてきた人の
過去の軌跡っていうのを見たときに、今後どうすべきかって答えってのは
ちゃんと刻まれてると思うわけ。

なぜならば、その結論が今の私でしょ?
たとえば、行け〜!タイガ〜ス〜!とかやってる人いるじゃない?
ハッピとか着て。
で、あの人たちはきっと今をもっても、悟りを目指そうとか
そんなこと思わないと思うんだよ。

悟りを目指すどころか、今年もタイガースに勝ってほしいし、
来年もタイガースに勝ってもらいたいって思ってると思うのね、
そういう人たちって。
だから、一生それで行くよ、死ぬまでタイガース。

それが、たとえば彼が今40歳だとして、自分の過去を振り返りなさいっていったら
ず〜っとタイガースで来てるわけ。
だからこれからもタイガースで行くだろうなって話だよね。

でも、我々だったら今の年齢で、過去を振り返ってきて世俗的な経験っていうのを
してきてるけども、精神世界だったりとかも興味あっていろいろな本読んでみたりとか
こんなこともやってみたりとかしての、今があるわけじゃん。

ってことは、今までこういうことに興味をもってやってきたことっていうのは
ひとつの軌跡なわけだよ。
僕はもう10代のときからインド行って師匠についてクンダリーニヨガやったりとか
二十歳からチベット行ってゾクチェンの伝授やったりとか
いろいろ12年間ぐらいむこうでずっとそういうことやってきたんだから
みんなからすれば、先生はある種、特殊だよね、みたいな感じかもしれない。

確かに特殊で、結局、特殊なこと言ってるでしょ?ね? 笑
それっていうのはある種、特殊かもしれないけども、
でも、みんなにも、もしかしたらまだ、2〜3年かもしれないし10年かもしれないし
人によってそれぞれだけどもこの世界に興味を持って、
たとえばこの年月、これをやってきた自分っていうのがいるわけじゃない?

それっていうのは僕からすればもうすでに起こるべくして起こってることなんだよ。
みこころなんだよね。

ってことは、それの延長線上のなにがしかっていうのが絶対控えてるっていうのが
僕は確信してるってことなの。
自分はそれだけのことをやってきて、このなにがしのことが
控えてるってことを経験したからなんだよ。
わかっちゃったってことが。

結局これのためにすべてがこうやってあったんだな、ってことが
わかったわけ。

だからみんなもこのことに興味を持ってやってきたことってこそが
僕からするとひとつの結論だってことなの。

片足をさ、棺桶につっこんでるみたいなもんなんだよ。
みんな。
一人残らず。

たとえばさ、こう思うわけだよ。
俺きっとセンスないな、才能ないな、やっぱりあきらめちゃおう、
って思うとするじゃん。

で、もう本も読むのもやめたし瞑想会行くのもやめたし、
ってふつうに生きようと思って生きていくでしょ?
でも片足は棺桶につっこんだままよ。

ずっと、なにかにつけてこのことの側面からしかものを見てないはずだから。
棺桶の中からしか見てないよ? 笑
これがなぜ自分に起こってるんだろうか?とか。
そういうね、ある種、哲学的な思考方式ってのが自分の中に出来上がっちゃってるはずなわけ。

だから、やめるっていったってただ表面的に行為してないってだけであって
ものの考え方は、棺桶の中からしか見てないんだから。
ね?
わかるでしょ、それ?

一回やっててやめた人は特にわかってると思う。
一回やめた経験のある人は。
俺もだからその経験するためにやめさせられたわけ。
30ぐらいのときに。

もうこんなのやってられっか!って。
やめたときっていうのは。
やめたって結局、ものの見方っていうのは棺桶の中からしか見てないわけ。
だからふつうのサラリーマンやってたよ、新橋で。
サラリーマンやってたけど、他の人たちとはものの見方ぜんぜん違うんだもん、だって。

出来事、現象に対するものの見方も、
それに対する処遇の仕方とかだって結局こっちサイドからしか見てなかった。

結局、やってるとかやってないとか関係なくて考え方がもうこれになっちゃってるってことなんだよ 笑
ただ僕は今こういう本読んでません、とか、ただ私はこういう修行してません、とかね、
ただ今そういう観念の人に会いたくないから会ってませんって、
ただそれだけのことであって、頭の中は完全に出来上がっちゃってるわけよ。

ね?
これでさらに生きてくわけ。
10年20年30年と生きてくうちに自分の頭がどうなるかっていうとね、
もう…想定の範囲内でちゃんと起こるべきことは起こるはずだ。

だからそうじゃない人にね、俺は悟りを目指しなさいとはいわないよ、やっぱり。
あなたまだ列車にすら乗っていませんって、ね?
列車にすら乗ってませんから、って。

列車の中に乗っても荷物担ぐかもしれない。
列車の中で走ってるかもしれない。

たとえば、大阪まで3時間かけて走っていくのにね、
今、焼津とか浜松とかあのへんまで走ったとするよね。
その間、一時間走ったってことを覆すことって絶対できないじゃん?

そこで荷物担いでようが、新幹線の中走ってようが、
じ〜っと座って外の景色を見てようが、
それはその3者ってのは三者三様の経験をするだろうけども、
その一時間乗ってたって経験ってのは変わらないわけじゃん。
ね?

こう思うわけ。
世界の車窓からをやってた人は。
今日の車掌さん面白い顔してたな、って思うわけ。
荷物担いでる人、その人も今日の車掌さん面白い顔してたな、って思うわけ。
走ってた人も止められるでしょ?その人も今日の車掌さん面白い顔してるな、
って思うわけ。

3人とも車掌さんの顔みたときに、今日の車掌さん面白い顔してるなって
思うはずなんだよ。
それでほら、ワゴン販売のお姉ちゃんとかいるじゃない?
今日のワゴン販売のお姉ちゃんすっごいベッピンさんだな、って
3人とも思うんだよ。

で、晴れてて富士山とか見えるわけだよ。
車窓から見てる人は、ああ〜今日の富士山きれいだな、って思うわけだよ。
荷物しょってる人も、うわ〜富士がきれいだな、って思うわけだよ。

そうすると走ってる人もだよ?みんながほら、富士山のとこ来ると
富士山のほう見るじゃない?だから、ああ、富士山が見えてるんだなってわかるから
こういうふうに富士山を見ながら走るわけだよ。
そうすると、富士山きれいだな、って思うわけ。

結局3人とも同じ経験をしてるのにはちがいないわけだよね 笑
で、それが列車に乗ってるってことなんだよ。

だからゾクチェンを修行しようがヨガを修行しようが
家で本とかを読んだりして自己流で瞑想しようが
なんだろうが結局、列車には乗ってるの、すでに。

でも、乗ってない人は世の中にいっぱいいるわけだよ。
行け行け阪神タイガースやってる人はまだ乗ってないだろうし。
ね?
乗ってない人はいっぱいいると思うよ 笑

でも少なくともここにいる人たちはみんな列車に乗ってると思うの。
それを知っちゃたんだから。
これはもう、知っちゃったってことは悟ってるとか悟ってないとか
関係なく、終わりだよもう。
ピリオド 笑

だってもうその見方で世界を見るんだから。
ね?
だからもうそれはどうにもならないてこと。
それはもうずっと荷物を背負ってようが、
ずっと座ってようが、走ってようが、ラフティングコースに突入すれば
全員でもってそれを経験するんだよ。
その電車に乗ってる人たちはもう、みんなで経験するわけ 笑
しょうがないよね。

嵐とかで止まっちゃったりするじゃん。
缶詰になったりするじゃん。
もうぜんぜん見知らぬ人どうしだけどもそれはもうみんなで経験する。
それはその列車を経験するってことじゃん。

我々は経験してるわけ、それを。
でも、たとえば僕のところなんかではね、
車内放送をね、僕がしてるわけ、こうやって。

「走らないように〜〜」「荷物は降ろしなさ〜い」「なるべくリラックスして座っていてください〜」
ってね 笑
いってるわけですよ、僕はね。

でも、ある車両に行くとね、ヨガ車両とかあって、
そこでは車掌さんは
「はい、プラーナヨガの時間です〜」
とかね、
「はい、瞑想の時間です〜」
とかっていって、みんなにカリキュラムを守らせるってのをやってるかもしれない。

僕なんかはどっちかっていうとラマナとかと方向性は一緒だから
走ってたら別にいいじゃないか、と。
ほっとけば着くぞ、って話なわけだよね。

いいですか、それで? 笑

あと質問のある人?



つづく。。。


JUGEMテーマ:スピリチュアル
 
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投稿者:koji awazawa
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