ダイアログ・イン・ザ・ダーク その2
ダイアログ・イン・ザ・ダークに行ってきたという話の続きから・・・
予想以上に真っ暗だったという話だったが、暗闇の神社でお参りした後、縁日で甘酒を買ったという話までしたと思う。
暗闇というと『こわい』『恐怖』などの感情を持つ場合が多いが、今回のダイアログ・イン・ザ・ダークで体験した闇は快適だった。
得に甘酒を暗闇の中で飲んでいる時はかなりくつろいでしまった。
思えば、私は夜寝る時にほぼ暗闇にして寝ている。
室内灯を全て消して雨戸を閉めて光が入ってこないようにして寝ると、暗闇になるんだが、これは多少の個人差はあるが医学的には真っ暗な方が熟眠出来て疲れがとれるそうだ。
話はダイアログ・イン・ザ・ダークからそれるが、スイス、バーゼル大学のジョージ・ブレイナード博士によると睡眠中は真っ暗な方がいいという研究結果が出ている。
簡単に言えば、私達の体は人工の光を夜に浴びるようには出来ていない。
文明が発達する前は太陽が沈むと翌朝まで真っ暗だったわけだ。
それが人工の光(テレビやスマホ含む)に常時夜間でもさらされる事によって脳の機能やホルモンバランスが乱れてしまう。
ホルモンでいえばメラトニンやコルチゾールなどの分泌に異常をきたしてしまって様々な現代病を引き起こしているという。
実際に睡眠時に真っ暗にして寝てみると、確かにスッキリする。
雨戸を開けると光がブワッと差し込んでくるんだが、まさに新たにこの世界に誕生したような気分になる時がある。
ということで、暗闇は以外にも安らぐという話だが、甘酒を飲んだ後、書き初めをした。
真っ暗な中、和室っぽい部屋に靴を脱いで上がって、筆で思い浮かんだ文字を書くというもの。
出来上がりはこんな感じ
まったくの暗闇で書いたにしては上手くいった方だと思うんだが、まあ、こんな感じで暗闇探険というか、視覚からの情報がまったくないとどんな感じなのかを体験するアトラクションだった。
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ダイアログ・イン・ザ・ダークに行ってきた感想
ダイアログ・イン・ザ・ダークというものに行ってきた。
ダイアログ・イン・ザ・ダークとは何かというと・・・
『真っ暗闇を体験する』
という趣旨のもの。
チベットのゾクチェンなんかでも3年3ヶ月中、ずっと暗闇の中で瞑想するという行があるらしいが、1時間30分程だが完全な暗闇を体験出来るというイベント。
最初に結論だが・・・
『想像以上に真っ暗だった』
というもの。
自分の手も薄っすらとも見えない完全な闇。
まあ、時間も1時間半ぐらいだから、それによってどうこうというのは無いわけだが、催し物としては面白かった。
1グループ10人以下で15分おきぐらいに入っていくんだが、ガイドの人が視覚障害者の方で、その人から説明がある。
「え〜 私、エヴァやんと申しまして、これから暗闇を体験して頂くわけですが〜」
みたいな予想外な落語家風の前説が始まり、杖を1人1人持って暗闇の部屋に入っていく。
「杖なんかいるのかな」
という思いがよぎったが、これは絶対に必要。
なぜなら、中は100%の暗闇でしかも障害物だらけ。
段差あり
橋あり
傾斜あり
凸凹あり
建物あり
なので、杖が無いと本当に進めない。
私達のグループには視覚障害者のカップルがいらっしゃていて・・・・
「あの〜 もう暗闇ですか?」
と暗闇に入る前に準備する薄明かりの部屋で聞かれていたので、視覚障害の方は色々なレベルはあると思うが、人によっては完全な真っ暗なんだというのが驚きだった。
ということで、暗闇の探険開始。
このダイアログ・イン・ザ・ダークというのは季節ごとに違うイベントがあり、今回は新春ということで・・・・
神社へのお参り
屋台での買い物と飲食
書き初め
という正月風のイベントだった。
正直、真っ暗な中で最初は何が何だか全然わからんかった。
建物の中に神社風のセットがあるらしく、鈴もちゃんとあるので、綱を持ってガラガラした後、二拝二拍手一拝を行う。
といってもガラガラと他の人が鳴らしている音はするんだが、どこに綱があるかわからい。
参拝をすませた後、おみくじを引くんだが、内容も点字で書いてある。
次に屋台があって、お菓子とか甘酒を買って飲む。
甘酒が200円だったが、財布には札しか入っていなかったので・・・・
「すみません、千円札か一万円札かわからないんですが・・・」
と聞いたら・・・
「わかるから大丈夫ですよ」
とガイドのエヴァやんと女性の方が言うので、恐る恐る札を出すと・・・・
「これ、1万円です、千円有りますか?」
と聞かれた。
ある意味、手触りで札の種類がわかるというガイドさんの言葉を信頼するのが今回一番ドキドキしたところだった 笑
続く・・・・
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トラタクとタットワとキリストとマーヤ
あけましておめでとうございます。
今日から仕事始めという方が大半だと思いますが、今年もボチボチやっていきましょう。
さて、前回からの続きで、キリスト様の顔を使った興味深い実験を行ってみようという事だった。
まず最初に下の画像の真ん中に黒い縦の点が4つあるが、それを15〜20秒ほど見て欲しい。
しばらく黒い点を凝視したら、次は目を閉じて目の前に浮かぶ残像をみて欲しい。
なにか視えたかな?
まあ、なにか視えたもなにも、キリストの顔を使った実験と言ってしまっているから、キリスト風の残像がみえるわけだが、眼を閉じる他に眼を開けたまま白い背景のものをみてもそこに映し出される。
=====
内的視野
=====
実は古今東西の瞑想などのメソッドにおいて、こうした視覚や残像をとりいれた技法というのは多く存在している。
ヨガなどでもトラタクといってローソクなどの光を凝視する方法やタットワなどヨガのヤントラの技法と似ているが図形と色を組み合わせたものを凝視して、その残像をアストラル界への入り口として利用しようというものもある。
トラタクとかタットワという用語になると、物凄く神秘的で特殊な感じがするが、実は私達は夜寝ている時に見ている夢なども内的視野ともいえるので、そんなに特殊なわけではない。
この辺はヴィギャン・バイラヴ・タントラの講座で話ているが、普通、我々は言葉の幻想性に必要以上に囚われてしまっているので、名前がついた途端になにか特殊な別なものが存在していると錯覚してしまう。
それを解除するには『あれっ 錯覚だったんだ』と気づくだけで大半はOKになる。
====
錯覚
====
瞑想などもサマディーやサティなどが私達とまったく別個に存在しているわけではなく、私達の性質の一部が顕在化したものをそれぞれの文化的背景がついたメソッドの用語として使っているだけで、誰でも持っているというか使っているのだが、それが錯覚して・・・
「私はダメだ」
「私には出来ない」
と錯覚して思い込んでいると、なかなかキャッチ出来なかったりする。
更に言えば、先のキリストの残像だが、あれも上の画像は白と黒のシミのような図形が残像になるとキリストにみえるという話だが、実は私達の外界を認識する機能も同じように働いている。
例えば目の前のパソコンのスクリーンやスマホなどでこの文章を読んでいると思うが、スクリーンがスクリーンとして存在しているわけではない。
人間の脳の認識機能によって『そう見えている』というだけであって、犬や猫がみたら違ってみえるだろうし、トンボが見たらまったく違う風景を見ているわけだ。
であるから、広い意味では錯覚とも言える。
ただ、私達は人間である以上、こういった大きなマーヤというか枠組みの中で暮らしていくのは全然OKなわけだが、小さなマーヤというか個々人の人間の錯覚(マーヤ)は自覚しておいた方がラクには暮らせるといえよう。
ということで、新年最初の記事ということで残像と錯覚とキリストということでした。
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今日から仕事始めという方が大半だと思いますが、今年もボチボチやっていきましょう。
さて、前回からの続きで、キリスト様の顔を使った興味深い実験を行ってみようという事だった。
まず最初に下の画像の真ん中に黒い縦の点が4つあるが、それを15〜20秒ほど見て欲しい。
しばらく黒い点を凝視したら、次は目を閉じて目の前に浮かぶ残像をみて欲しい。
なにか視えたかな?
まあ、なにか視えたもなにも、キリストの顔を使った実験と言ってしまっているから、キリスト風の残像がみえるわけだが、眼を閉じる他に眼を開けたまま白い背景のものをみてもそこに映し出される。
=====
内的視野
=====
実は古今東西の瞑想などのメソッドにおいて、こうした視覚や残像をとりいれた技法というのは多く存在している。
ヨガなどでもトラタクといってローソクなどの光を凝視する方法やタットワなどヨガのヤントラの技法と似ているが図形と色を組み合わせたものを凝視して、その残像をアストラル界への入り口として利用しようというものもある。
トラタクとかタットワという用語になると、物凄く神秘的で特殊な感じがするが、実は私達は夜寝ている時に見ている夢なども内的視野ともいえるので、そんなに特殊なわけではない。
この辺はヴィギャン・バイラヴ・タントラの講座で話ているが、普通、我々は言葉の幻想性に必要以上に囚われてしまっているので、名前がついた途端になにか特殊な別なものが存在していると錯覚してしまう。
それを解除するには『あれっ 錯覚だったんだ』と気づくだけで大半はOKになる。
====
錯覚
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瞑想などもサマディーやサティなどが私達とまったく別個に存在しているわけではなく、私達の性質の一部が顕在化したものをそれぞれの文化的背景がついたメソッドの用語として使っているだけで、誰でも持っているというか使っているのだが、それが錯覚して・・・
「私はダメだ」
「私には出来ない」
と錯覚して思い込んでいると、なかなかキャッチ出来なかったりする。
更に言えば、先のキリストの残像だが、あれも上の画像は白と黒のシミのような図形が残像になるとキリストにみえるという話だが、実は私達の外界を認識する機能も同じように働いている。
例えば目の前のパソコンのスクリーンやスマホなどでこの文章を読んでいると思うが、スクリーンがスクリーンとして存在しているわけではない。
人間の脳の認識機能によって『そう見えている』というだけであって、犬や猫がみたら違ってみえるだろうし、トンボが見たらまったく違う風景を見ているわけだ。
であるから、広い意味では錯覚とも言える。
ただ、私達は人間である以上、こういった大きなマーヤというか枠組みの中で暮らしていくのは全然OKなわけだが、小さなマーヤというか個々人の人間の錯覚(マーヤ)は自覚しておいた方がラクには暮らせるといえよう。
ということで、新年最初の記事ということで残像と錯覚とキリストということでした。
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