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ヒューズ・ズッカレリ ホロニクス




ホロニクスって言葉は聞いた事あるかな?

先日、本の整理をしていたら「ソリントンの悪魔」って本が出てきて、ついついまた読んでしまった。

この本は海洋アドベンチャーみたいなカテゴリなんだが、ホロニクスを使って物語が展開する。

「ホロニクスか〜 だいぶ前にテープとか買ったよな〜」

と思い出したわけだ。

リファレンス・トーンとも言うんだが、最近はテープもCDも売ってないのでどんなもんか知らない人も多いだろうから、細かい話しは抜きにして聞いてみて欲しい。

まあ、ヘッドホンでなくても音の拡がりが違うのがわかると思うが,ウォークマンやipad用のイヤホンでもいいから使ってみると全然違う。






他には、こんなのも・・・・・







バーチャル床屋





音が異様にリアルに聞こえるのがわかると思う。

ハサミで髪を切られる時なんかは、ヘッドホンで聞くとゾクゾクしてくる。

この録音方法はヒューズ・ズッカレリが発明したホロニクスという録音方法なのだが、通常の音楽も格段に臨場感が違ってくる。

オーケストラのテープもあったんだが、まるでコンサートホールにいるような感じというか、頭がホールになって音が反響しているような感じだった。

これの方式が一般化されてないのは残念だよな、なんか事情があるんだろうな。

理論的にどうしてこのような事が可能かといえば、普通、耳はただ音を受け取るだけと思われているが、実際はイルカやコウモリのように自ら音を発しているというのがズッカレリのいう自発参照音という理論だ。

具体的には静かにしていると「キーン」という耳鳴りが感じられると思うのだが、あれはリファレンス・トーンと言って、自分の体(耳?)が発している音で、それが音の音源と干渉して私達が聞いている音を形成しているという話し。


まあ、難しい話は抜きにしても面白い。

おそらく、リファレンストーンにあたるものは音だけでなく、我々の意識も発していて、干渉によって意識も成り立っているのかも知れない。






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覚醒とマーヤ




前回、修道会へ行ったんだが、和平先生のお話しによると覚醒という言葉というか、説明の仕方を色々と方向性を探りながら見直し中らしい。

もちろん、神の御心やマーヤを解くという方面から色々と説明をいままでされているわけだが、覚醒という表現というか、そのインパクトがあまりに強いので色々な弊害もなくはない。

例えばだ。

覚醒、悟りというと、過去形の雰囲気というか、もう終わりみたいな感じがする。

が、しかし、一言で覚醒、悟りといっても様々なレベルがあるらしいので、少なくとも人間として生きている間は覚醒しても学びは続く。

現に和平先生は自身の修行という意味ではある意味終わりなわけだが、人に教えるという仕事ではまだまだ修行中というか試行錯誤だという。

覚醒した10年前と比べると今は前には出来なかった教え方が出来るようになったが、あと10年、20年すれば今より更に洗練された感じで教えられるだろうというお話しであった。


本当はね、結果(覚醒)について話すんじゃなくて、それを自分で見出せるような形で話せれば一番いいんだよね。

その点、インドなんかは洗練されていてさ、ラマナなんかは「あなたは誰か?を見出しなさい」みたいに非常に洗練されているわけどさ〜

だけど、それをここでやるとなんか白々しいじゃん(笑)

覚醒とか悟りって言葉もちょと問題あるんだよね。

これからは、そうだな〜 平安って言葉いいよね


ということで、詳しくは実際にお話しを聞かれるのが一番いいとは思うんだが、私が思うに覚醒といっても色々な種類があると思う

A アバター 
B 聖者
C 隠れ覚醒 プチ覚醒
D 自然覚醒?
E 一時的な体験、もしくは気のせい

また、話しは少しそれるが、覚醒後の死後のパターンも色々とあり

1、解脱 人間や様々な存在としては生まれかわらない

2、とりあえず人間界には生まれかわらない

3、アバターや菩薩として再生する

4、3まではいかずともなんらかのミッションがあって再生する


また、悟った後も普通に病気や天寿をまっとうして死んでいく場合、迫害されて処刑される場合、死後死体が腐らないケースや即身成仏みたいに生きながらサマディーに入りつつ逝ってしまう場合や派手?なけースではゾクチェンのように体が光に変換されたりする場合もあるらしい。


A~Eの説明は次回するとして、ここで私たちが目ざすというのも変だが、注目すべきはCとDだと思う。


前回、インド占星術の話を少し書いたが、よくわからんが私は70代で異国(インドらしい)で死んだあと、2年後に生まれかわるという話しをインドの占星術師に言われたと先生に言ったわけだ。


そ〜か リアルちゃんは来世インドって言われたんだ〜

なになに?今生では悟れないって? また生まれかわるって (爆)

でもさ〜 解脱、輪廻から抜け出すっていうのはもうあれなんだよ。

言ったら、観音様だって菩薩なわけじゃん。

菩薩でさえ生まれかわるんだよ。

だって、なにも俺たちは観音様を超えようだとかましてやアバターになろうとか大それた考えを持っているわけじゃないじゃん?

いったら、覚醒ってのはある意味もっと簡単なんだよ。

解脱するためには自分をコントロールする為に特殊な修行をしなければならないけど、覚醒するだけだったら、そういったものもいらないんだよ。

それに、覚醒したらそういうのに興味なくなるから

例えば瞑想して特殊な訓練をするとか、そういったものもいらないわけさ、アプローチとしては別ものだから。

ただね、今までそういった修行をしていた人が、行の完成と共に覚醒したケースもあるから、行をしなければ覚醒しないという概念が一方であるわけだけど、実は違うんだよ。

覚醒とは何か別なものを獲得するわけじゃなくて、すでに全ての人が本質的に持っているものだからさ。

だから、ラマナなんかは「あなたは誰か?それに留まりなさい」とか言ってわけさ。

ただ、それを見えなくしているのがマーヤなわけ。

マーヤが解ければわかるんだよ。


というお話しをされた。

その最後の一線というか、一突きはマザーが解くわけだが、それ以前にその周りに覆いかぶさってくるマーヤは自分で(自分単体というか、これもマザーの協力ありきなんだが)解けるという話しである。


わかりやすく言えば、この説明のマーヤといのはその人が持っている、囚われている概念、偏見により物事が正確に見れなくなっている状態をさす。


ということで、話しをすこしまとめると・・・・


〇 覚醒、悟りといった状態は存在する

〇 また、その状態も色々なレベルといか種類が存在する

〇 各種の行や瞑想とは同時進行で起こる場合もあるが、密接な関係はない

〇 それは既にあるもので、獲得すべき何かではない

となるわけだが、覚醒、悟りというものをもっと一般的な言葉で言えば・・・・

満足

納得

平安 

安らぎ

幸せ

のように表現出来ると思う。

もっと簡単に言えば、和平先生がよく言うように・・・

「幸せに楽しく生きる」

ことが出来るようになるという事なんだろう。

普通、私たちは何かをする事によって、満足を得たり安らいだりするわけだが、これらのことが対象なくして起ると言えよう、しかも継続して。


幸せに楽しく生きるというと、非常に平凡な表現だが、生存競争や様々な心配事やトラブル、または退屈に満ちたように思える日常で、常に心の底から微笑んでいられるという境地は非凡と言わざるをえないだろう、やはり。



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神のプログラムと人間の意志 



まず、最初に少しこのブログを読んでいる人に謝りたい。

前回の記事もそうだが、神のプログラムについて和平先生の話やラメッシなどを引用して書いているわけだが、なかなか書くのが難しい。

書くのが難しいというのは、話題が微妙?だということがあるが、もうひとつは私の書き方にも問題があるようで、読む人によって色々な混乱もあるかと思う。

コメントでこういう意見を頂いた。


和平先生の言葉には、深く共感するところが多いのですが

「すべては神様のプログラム」という教え、

これは個人的に、受け入れるのが微妙な感じで・・・

神=私、と考えると、私の自由意志=神の意志なんてこともありかな、と思う訳で

今まで「神の御心が行われますように」

なんて祈ってましたが
どの道、御心が行われているんだからあんまり意味ないか、てな感じで、やめました
しかし一方、以前、リアルさんのHPで紹介されたフーマン
は、キヨタカさんとの対話を本にした「恩寵の扉が開くまで2」中で

ブループリントを神の意志

カルマを私の自由意志として

私の意志を神の意志と整合させるために

カルマにワークする重要性を説いています

こういう、違うメッセージが、どうも自分を混乱させてしまって思わずコメントしちゃいました


リアルさんの見解を聞かせていただければ幸いです


というコメントであるが、下線部分のようにどの道、御心が行われているんだからあんまり意味ないかという部分なんかは、結構、こういったアドヴァイタ的というか、ラメッシの新刊の題名「誰がかまうもんか」にあるように、それにより脱力感?を憶えるケースがままあると思う。


実際には、全ては神の意思だから、自分の考えは意味がないと思い、なにもする気がなくとも、様々な事情や環境、エネルギーで考え、行動するわけだが、そこの部分を少し整理してみる。

ポイントとしては・・・・・・



「自分が納得、満足する事」



が一つのキーワドになると思う。

まず、全ては神の御心という話しだが、これは結論としてはそうなる。

が、しかし、和平先生曰く、人間には人間の在りようというものがあるという。

詳しく説明する。

タイムスケールで見るとわかりやすい。

1 過去
2 現在
3 未来

1、過去 

過去については、何をどうしようと起ってしまった事は変えられないわけだ。

やはり、自分は自分なりに色々と努力したんだが中には後悔することや心残りの事など生きていると色々とあると思う。

だけれども、それら諸々の出来事は自分のコントロールを超えているわけだ。


だから、過去の出来事は神の御心、プログラムにより起った出来事であって、なんら自分が罪悪感をかかえる必要は無いし、逆に良い事や業績をあげたにしろ、それも自分がやったわけでなく神の意思であったので「私は偉い」みたいなプライドも持てないわけだ。

これは他者の事について言えて、例え他の人に不愉快な言動をされたとしても、それも神の意思なわけだから、他人を恨み続けるという事も見当違いという事になる。

それが起ったという事を偶然ととらえるか、神の御心ととらえるかによって違いが出てくる。

偶然としてとらえた場合、神や全てを超越した意思などないとした場合は起った出来事や現在、また、これから起る出来事もアトランダムに展開するわけで、気持ち的に安心しにくいだろう。

一方、全ては神の意思だったとした場合。

その過去に起った出来事にはそれなりの意味と目的があり、その意味と目的をわかる事により、今の自分に納得というか、すべき事、考える事など方向性が出てきて、過去の事についてもある種の納得がいくであろう。


2 現在 

今現在において全ては神の意思だと言えば確かにそうなのであるが、人間の在りようとして平凡な表現ではあるが、努力するであるとか、ベストをつくす、あがくという在り方があるわけだ。

別な言い方をすると、神はそのように人間を創造したというか、それを求めていると言えよう。


なぜなら、全ては神の意思だとしても、その全体像を見れるわけではなく、つまり古今東西の聖者が言うように、一人一人の人間も、言ったら神なわけであるが、その神である状態を自覚出来ているわけではない。

ニューエイジ系というかスピリチャル系の教えでも、あなたはそのままで良いという教えも多いが、確かにその通りなのだろうが、しかし、性格にしろ行動にしろ・・・

「ちょとは直すところもあるんじゃないか?」

という話しになるわけだ。

コメントでカルマワークという話しも出たが、やはり、その人なりの修正ポイントみたいなものがあって、それを現象面で色々と取り組んでいく必要性はあると思う。

例え、劣悪な環境におかれていようとも、それを修正する必要性は人間の在りかたとしてあるわけだ。


3 未来

未来においては神への信頼や愛というのがポイントであるという話しである。

やはり、誰でも自分というものは可愛い。

例え、なんらかの事情で自己嫌悪にあったとしても、それも自分可愛ゆさの裏返しだと思う。

その自分を可愛いと思っている以上に、神は一人一人を愛しているという。

だから、全てを貫いている神の愛があって、その神を信頼していく。

その愛で自分を満たして、まわりにもそれを拡げていく。

例え何かの困難があるにせよ、それは過程における必要なプロセスだと思って神に委ねる。

なぜなら、この世は思っただけで全て事が運ぶ魔法の国ではなく、物理的な働きかけやそのプロセスが必要な世界だから。


結果、成功というか、その人が思ったとおりに物事が展開するパワーにもなるし、また、必ずしも現象面ではその人が思ったような結果にならないかも知れない。

しかし、全ては神が行っていて、自分は人間としてあがいて、努力するわけだが全てをコントロール出来るわけではないので、良い結果にしろそうでない結果にしろ、それも神の御心なのでそれにも意味と目的があるとして、その意味を解いていく。



と、だいたいこのように整理出来ると思う。


神のプログラムについて補足したわけであるが、覚醒という言葉も次回補足予定。




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バガヴァット・ギータ 解説 神のプログラムと非顕在




今回の話はバガヴァット・ギータなんだが、結局、神に委ねるという事さえもプログラムされているから、私達に出来る事は何もないって感じではあるが、まあ、しょうがないわな。

これは悟りだけでなく、どれだけ仕事や私生活で望んだ成果を得られるかもその人のプログラムというか神の意思という話しに当然なるわけだ。

「ああ、そうだよね、全ては神の意思だよね」

となるのも・・・・

「いや、そんなことは無い!俺は頑張って俺の意思で物事を決める」

と思いはそれぞれなんだけど、その思いもこの話しに対しての反応なわけで、反応それ自体は自由意志によりコントロールされたものというよりも、反応、プログラムなわけだ。


まあ、私も先生の話しで全て決まっているという話しを聞いた時・・・・

「今、こうやって手を動かしているのも決まっていたんですか?」

みたいな質問をして手をブンブン振ったが、言ってみれば、その話しを聞いた反応としてそうするような設定になっていたというか、反応したと言えよう。

また、神は非顕在との話が出てくるが、どんだけリアルにこれを感じられる?というか腑に落ちるかが一つの肝といえるのではないかと思う。



では、転記はじめ--------------------




前回、バガヴァット・ギータの解説をして頂いた部分では、クリシュナがアルジュナに、「私に帰依する人は超えがたいこのマーヤを超えることができるが、そうでない人はできんじ」と語りました。今回は、その“帰依する人”と“帰依しない人”の違いについての解説となります。


 クリシュナは言います。

「アルジュナよ、四種の善行者が私を信愛する。すなわち、悩める人、知識を求める人、利益を求める人、知識ある人である」

 そしてその中でも、クリシュナは“知識ある人”をこの上なく愛おしい、と言います。

彼等は、常に私に専心し、ひたむきな信愛を抱くから、と。
 それは言い換えると、“分かっている人”は、分かっているが故に、全面的な信頼を“彼”に抱き、委ね、愛することができるから、“彼”はその物を愛おしいのだ、ということになります。


 確かにそれはベスト。けれどまた、クリシュナはこうも言います。

「(しかし、そういった人は)とても得られ難い」

 なぜならば、と和平先生、早速ホワイトボードに向かい、図解解説です。

「みこころにより万物が存在し、それぞれはそれぞれの役割を果たすようにプログラムをされている。

故に、そのプログラムが“彼”に向かうことができる者もあれば、“神々”に向かう者もあり、“全くそちらに向かうことができない”プログラムを持つ者もある。

それら全て、個人の努力がどうのということではなく、そういうプログラムであるから」



 和平先生はよく、“全ての人が、最終的には悟ることができる”ようになっている、と言われます。

ただし、それがやってくる時間は決められており、明日という人もあれば、次の人生でという人もあります。時間の問題です。


「全ての人は、最終的に悟りに到達するけれど、プログラムにより、その時期は決定されているので、今この時点で、その時期を迎えているかどうかは決まっている。

(そして、そういう時期に達している人というのは数において、そうではない人よりも少ないので)故に、得られがたい」



 それは、日常の周りを見回してみても、知ることができます。


 “神様なんて本当はいない”と思っている人が大多数。“神様はいる”と思っている人は少数派です。

 更に、“神様はいる”と思っている人であっても、大多数は、姿形を持った神々様を指して“神様はいる”と思っている人。このことについて、クリシュナはこう語っています。


 「(“知っている人”は、彼が実は非顕現(姿形を持たない)存在であることを知っているけれど)無知な人々は、非顕現である私を、顕現したものと考える」

 和平先生の解説によれば、それは“神様が顕現したものがクリシュナである(クリシュナの形が神である)”と考えているということ。


「本当は、神は非顕現である、と知ることができる時期にどれほどの人が達しているかと考えれば、それは非常に希有なこと」

 なるほど、得られがたい訳です。

「私は過去、現在、未来の万物を知っている。アルジュナよ、しかし何者も私を知らない」

 おおっ!格好イイ〜!...という台詞がクリシュナから出たところで、今回はこれまで。続きは年末最後の文京区勉強会へ続く!です。

転記終わり -------------

転記URL http://www001.upp.so-net.ne.jp/mikokoro-kai/frame/index_after_enter.htm

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スーフィーの小話 神性意識とは



転記シリーズ 第7弾

今回のお話で「神は現実を救わない」というお話しがあるが、まあ、基本そうなのだがお願いすると救ってくれるケースもままあるらしい。

プジャとかヤギャとかそうなんだろうな。

ただ、大筋でその人が苦しみや障害を体験する必要がある場合はそうならないケースもあるようだが。

修行者は、今の意識の延長上にそれがあると思って、今の意識をねじ曲げて、 神性意識にジョイントさせようとしているんだよ。だから、無理。

と言う話も気になるところ。



---------転記はじめ---------------------

本日の聖者の言葉は、スーフィーの小話。

 ご存じの方もおられると思いますが、ここでちょっと紹介しておきますと...

 ある時、修行者(スーフィー)が、誤って川に落ちてしまった。
 どうやら彼は泳げないらしく、溺れながら、波に揉まれながら流されていく。

 それを川岸から見ていた者が、見兼ねてその修行者に声をかけた。

 「誰かを呼んできてお助けしましょうか?」
 すると、修行者は、

 「いいえ」

 と答えて、更に流されて行く。

 そこで声をかけた者は、重ねて修行者に声をかけた。

 「じゃあ、あなたは何を望んでいるのですか?」

 すると、それに答えて、修行者はこう言った。

 「神の意志が行われんことを。私が何かしなければならないのでしょう    か?」


 つまり、“みこころのままに”と答えたということ。


「人は普通、“意識は肉体と共にある”と思う。故に、こんな状態になったら、“神様、助けてください”って祈る。このお話の場合だったら、“川で溺れている状態から助けてください”って祈る。それが普通。けれど、この修行者は、意識が肉体と共にあるんじゃなくて、“神性意識”にあるんだよ。だから、起こることは神の意志によって起こるし、今この後どうなるかも、神の意志によるものである、と知っているから、“神のみこころのままに”って祈ったわけ」


 和平先生、続けて、意識は本来、自由で超越的なものなんだよ、とお話しされました。


 例えば、肉体はこの場にあったとしても、他の国のことを考えたり、誰か他のここにいない人のことを考えたり、当たり前に私たちはできますが、その時、意識は、今自分の肉体がある“ここ”ではなく、考えている対象のところにある、のだそうです。

 確かにそう考えてみれば、意識に不可能なし。空間だけではなく、過去であろうが未来であろうが、時間も超え、そこに行くことが可能です。

 “神性意識”にあるこの小話の修行者は、肉体は川で溺れていても、意識は神のもとにあった、ということになるでしょうか。

 そうであるなら、意識が肉体と共にあるのではなければ、肉体が受けている果実を、意識が一緒に味わうこともない筈。。。

「例えば、ハッラージュ」

 先日、この勉強会で取り上げられたスーフィーのハッラージュは、自分が処刑されながらも、泣き叫ぶことも嘆くこともなく、淡々と言葉を残しています。

「マーヤのレベルに意識をおいて、そのレベルで神を考えても、答えには到達しない」

 マーヤのレベルで神を考えると、例えば、現実に苦しいことがあった場合、それを救ってください、と神に祈ることになりますが、救われる場合もあれば、そうでない場合もあります。こうなると人は、“神なんていない”と考えてしまうのです。

けれど

「神は現実を救わない」

 だって、それを全てやっているのは神に他ならないのだから、と和平先生。


 じゃあ、祈っても意味がないということ?なんていう声も聞こえてきそうですが、そうではなく


「神が救うのは、意識がマーヤ界を超え、神性意識に到達することで、肉体が経験している苦しみから救う、んだよ」


 神は、人類の進化の為に、全てを与えている。だから、マーヤの世界にいることは、苦しいこと、と和平先生は話されます。どんな恵まれた境遇にあろうと。


 故に、その苦しみから逃れることができるとしたら、それはマーヤを超えることしかない、ということになるわけです。

現実に、この世界から離れて別の世界に行くということではなく、肉体はここにありその果実を受け取りながら、意識はそれを味わうことなく、“


苦しいけれど、苦しくない

という状態になるということです。


「目指すべきは、マーヤが現実なのではなく、マーヤであることを知り、神性意識に至ること」


 けれど、

「でも、何度も言うけれど、それは得るものではなく、あなたがどういう状態であっても、平行して流れているもの」


 だから、修行者(この小話の修行者ではなく、一般的な修行者のこと)は悟れないんだよ、そう和平先生は続けられました。


「それは、マーヤの意識の延長線上にあるんじゃないから。修行者は、今の意識の延長上にそれがあると思って、今の意識をねじ曲げて、神性意識にジョイントさせようとしているんだよ。だから、無理。
この神性なる意識、純粋なる意識は、一切所に遍在し、全ての人が持っているんだよ」

それが分からないのはただ、マーヤがそこにあるが故。

 そう話されて、このコーナー、終了となりました。


 
 続いての英知の響き。今回は『ろ』ということで、“六道輪廻(ろくどうりんね)”のお話を伺って、ここでちょっと休憩。
 休憩あけに瞑想を挟んで、質疑応答です。

 ちょうど休憩あけの瞑想前の時間に、参加者の方とお話していたところから、まず質問が始まりました。


 仏教では、神の存在について何も語られていません。仏教が目指すのは、“空性”ですが、それは???

 そこからお話は広がって...。

「全てがみこころであり、間違いでないとしたら、それは“放っておく”ということでしょうか?」

 質問に、先生はそうできるのであればそれでよいけれど、必要であるならば、努力させられます、と答えられました。


 何かをする時、“自分の”ではなく、みこころにより用意された結果が先に待っています。故に、『今は分からなくても、先の用意されたみこころがあるから、今、それをやっているのだ』と理解して努力する。

ただし。

「その結果が(“自分にとって”)吉か凶かは分からないが、努力はすべき、と思う」


 このことがわかれば、無駄な努力をしなくてもよくなるんですよ、と先生は続けられました。その判断の基準は、真理かそうでないか、ということ、と。


「あるスーフィーの話があってね」


 それは、ずっと長く修行をしてきたというのに、結果がでなかったあるスーフィーが、砂漠でジン(精霊)に出会って、ある方法を教えられた、というもの。

教えられたスーフィーは、覚醒することができました。そこで彼は、人々にその方法を伝授したのですが...

「誰一人、覚醒しなかった」

 何故なら、覚醒したスーフィーに必要だったのは、ジンに教えられた方法ではなく、それまでの全ての経験だったから、だそうです。

 これをさっきのお話に当てはめてみると...なるほど、そういうことになりますよね。

 その後、お話は久しぶりに“母性”の話となり、多いに質問をされた方も納得されたことがあったご様子。会場全体も、何だか幸せなエネルギーにほんわか包まれて、“とっても良い気分”のままに、お開きの時間を迎えました。

---------転記おわり---------------------

転記 URL http://www001.upp.so-net.ne.jp/mikokoro-kai/frame/index_after_enter.htm

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霊の話し 六道輪廻と許し




いや〜 連休だけど天気がいいわな〜

それでは、転記シリーズいってみましょう!

今回は霊の話とか。

まあ、霊の話しと言っても霊界がどうのとかいう話じゃないんだけど、なかなか面白い。


転移シリーズ6弾


-----------転記はじめ-------------


続いて、英知の響きコーナー。

「“れ”だけど、何がいい?」

 和平先生の問いかけにちょっと沈黙。五十音の最後の方は、どうにもよい言葉が出てきません。

 あれでもないこれでもない、と悩んでいる時に、一人の参加者がこれは?と出した言葉が、今回のお題となりました。

それは何かというと...

「では、“霊”の話をします。といっても、“霊魂どうでもいい説”ね(笑)」

 とかく日本という国では、特に暑い季節がやってくると、なぜかテレビでも特集が組まれるこの“霊”関連の話題。

では実際にそれがあるのかないのかといえば

「あるかないかって言えば、ある。宇宙人とかと同じように違う次元に存在するもの」

 けれどね、と和平先生、すかさず次の言葉を紡ぎます。

「けれど、それは人生の答えにはならない」

 キッパリ。

「多くの人が、死んだ後の行く先として、仏教でいう六道輪廻の世界とか、天国と地獄とかを信じていて、だから、“良い場所に 生まれ変われるように”と善行を積んだり、修行の道に入ったりすることもあるけれど、でもそれは、“その未来の為に、今の生を抑圧する”という生き方」


 確かに、それはその通り。もともと食べられない人であるなら別として、殺生をしないようにと肉食を避けるのであれば、それは、今の自分が我慢している、ということになります。

 でも、それで将来、幸せになれるんなら...と思うからこそ、そうするのでは?そうなれるんならいいんじゃなかろうか??


「あのね、今、幸せでない人が、来世幸せになれるかというと、それはないんだよ」


 勿論、和平先生の言われる“幸せ”というのは、物質的に恵まれたり、才能などに恵まれたりする“幸せ”のことではありません。

 別に生まれ変わらなくとも、周りを見渡せば理解できるように、物やお金を多く持つ人が幸せであるならば、彼等はそれ以上の富を求める必要などない筈だし、 何も悩みがない筈。

才能もまた然り。とすれば、例え、“今”を抑圧して徳を積み、次に大富豪の家に生まれたとしても、 そこに“幸せ”はありません。

そういえば、仏陀もまた、王族の生まれで何一つ不自由をしていなかった、といいます。

けれど、 彼はそこで“幸せ”を得ることができずに、悟りを求めたのでした。


「幸せというのは、自分が存在することに感謝し、日々、幸せに暮らしていること」


 だから、と和平先生。

一通り、霊とはどういうものかを図解して、南米のUMA(未確認生物)の話もたくさんたくさんしてくださり、みんなで楽しんで大笑いした後で、


「だからね、霊はないかといえば、それは確かにある。あるけれど、だからといって、それをどうこうしたところで本当に幸せになることはできないし、 真剣に考えたり扱ったりするようなものじゃない。どうでもいいもの」


 このくだりは、是非、CDでご確認頂きたいところです。(というのも、今回の勉強会、次の質疑応答でも笑いが絶えない勉強会となったのです)

 
 休憩後、瞑想を挟んでの質疑応答。

 今回出されたのは、『許す』ことについて。

 実はこの『許す』ということについては、10月に行われたリトリートで、和平先生がお話されたものだったのですが、それを踏まえた上での質問でした。

 それは、例えば、嫌なことをされたという出来事が起こった時に『許す』というのは、相手のことなのか、相手のした事なのか、それとも、 怒りを感じている自分のことなのか、という内容でした。


「それはね、全部」


 嫌な事を自分に対してした相手も、その出来事も、それに怒りを感じている自分も、全てを許すことが『本当に許す』ということなのだそうです。


 なるほど、と思いつつ、なんとなくスッキリしないのは...

「許すには、理由が必要なんだよ」

 ああ、それそれ!そこです、先生。

 普通、人は一度何かが起こると、なかなかそれを許すことができないでいます。

何故なら、嫌なことをした相手は加害者であり、嫌な事をされた“私”は被害者。

損得で言うと、なんだか一方的に自分が損をしたような。許すことができるとしたら、相手がそんなことをした理由、を知る必要があります。もしくは、それが起こった理由。


「その答えは、神が全てを行っている、ということ」


 何故なら、神が行うことに無駄なことなど一つもなく、全てに意味があり、その経験を通して、実に多くのことを学ぶことができるからです。

「全てを偶然だと考える限り、その嫌な損な出来事が起こった理由を見いだすことはできない。だから、多くの人が許すことができないでいるんだよ」

 許すことができない状態。

それは実は、“許すことができない自分”がずっと苦しみ続けること、です。


 勿論、本当にそのことを知る...全てを他ならぬ“彼”が行っているのだと知ることができるまで、本当に許すことはとても難しいことである、と和平先生は言われます。 和平先生もそれまで、得な出来事ではなく、損な出来事が多かったけれど、分かったその時に、全てが得な出来事に変わったのだそうです。


「でも、分かるまで分からないから、『許す』についてあんまり考え過ぎないこと」


 それは、自分の努力によって得られるものではなく、“彼”が与えるものであるから、と和平先生は言われます。


「許さなくちゃ、と思えば、許せない自分が許せなくなるし、じゃあ分からなくちゃと思えば、分かっていない自分がマーヤになるでしょ?」
 だから、今、許せないならそれでいい。


「せっかく人生を与えられたのだから、同じ時間が流れるならば、楽しい方がいい、でしょ?楽しい考えを持って欲しい」


 楽しいことをする、ではなくて、楽しい考えを持つこと。

 ここから和平先生の楽しい言葉が続いて、一同もう大爆笑。一気に空気がパッと明るくなったよう。

「楽しい考えを持つ事。ね」

-----------転記終わり-------------

転記URL http://www001.upp.so-net.ne.jp/mikokoro-kai/frame/index_after_enter.htm


というお話しでした。


この霊の話しだが、以前、チベット仏教のチューの行者の話になった時に聞いたんだが、確かに別の次元にはチベット仏教に出てくるような色々な神々、頭や手が沢山あって怖いやつとかもいるようで、そういった神々を使って悪霊退治や成仏させる修行や坊さんがいるそうだ。

でも、その話しになった時に・・・・

あのね、悪霊と闘い始めたら、死ぬまでそれやっても終わらないわけ、俺たちの目標ってのは・・・

「いかに楽しく生きてくか」

ってことだから、そういった次元は超えていかないとね〜

というお話し。

見方を変えれば、なんとも ゆる〜い雰囲気ではあるが、まあ、覚醒、覚醒って話しだけど、覚醒も言い方を変えればそういった話なわけだ。






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バカヴァット・ギータ 解説  




転記シリーズ 5弾


--------転記はじめ-----------------------


『私は水における味である。私は月と太陽における光である...』

 クリシュナは、自らはエッセンス中のエッセンスである、とアルジュナに語ります。

つまり・・・・

“私は全ての根源である”

と言うのです。

 更にクリシュナは、こうも言います。


「純質的(サットヴァ)、激室的(ラジャス)、暗質的(タマス)な状態は、まさに私から生ずると知れ。しかし私はそれらの中にはなく、それらが私の中にある。」


 純質、激質、暗質の三つの要素(グナ)、“トリグナ”と呼ばれるものがあります。

これは、例えば、純質を『精神性』、激質を『肉体性(活動性)』、暗質を『不活動性』と言ったりしますが、1日の時間帯や食物、人の性質なども、この3つのうち、どれが強く出ているかで分類することもできます。


 これは、唯一でありマーヤのない状態『1』が、相対した状態『2』に分裂した後の状態『多』の状態であり、例えば、道教では、五行(木火土金水)と3つではなく、5つに分類したりもしています。


 しかしながら、クリシュナが言っているのは、『それらの中に“私”がいるのではなく、それらが私の中にある』ですから、彼は『多』ではなく、それを超越したところに存在しているのだ、と語っているわけです。


 そして更に更に、クリシュナは断言します。

「これらの『多』のせいで、人は迷ってしまい、そのことが分からなくなってしまっているのだが、私に帰依する人々は、この『多』(=マーヤ)を超える」

 もっと平たく言えば、こうなります。

「つまりだ。クリシュナは、これらのマーヤは私が作ったもので、超えがたいものだ。このせいで人は“分かる”ことができないでいる。けれど、それを作った私に帰依するなら、人はこのマーヤを超越することができる、ってこと」

 前回の部分で、「私は“母”である」と告白したクリシュナ。

“全ての母”である私に帰依すれば、マーヤは取り除かれ、真理を得ることができるのだよ、と道を示したわけですが...

「悪を為す迷える最低の人々は私に帰依しない」

 それが唯一の道であるにも関わらず、帰依することのできない人がいる、というのです。

 何だか嬉しそうにこの1文を読み上げた和平先生。

 どうやら、もっと面白い話になっていきそうだぞ...と期待が高まったところで・・・

「時間なので、また次ね」

 残念ながら、そのくだりは次回となってしまいました。

--------------転記終わり-----------

転記URL http://www001.upp.so-net.ne.jp/mikokoro-kai/frame/index_after_enter.htm

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