修行マーヤの考察
前の記事で 「瞑想や修行や宗教的な技法は九分九厘マーヤである」
ってのが私的には気になる言葉で、読者の人からも反響があるみたい。
まあ、多少なりとも反響があるということは、メールやコメントはしないけど、けっこう気になる人もいると思うんだわ。
だって、例えば瞑想の修行を一生懸命やっていたりすると、否定されているわけだから、普通はいい加減な事いうんじゃね〜 ってなると思う。
「リアルが言ってる覚醒とか、修行はマーヤだとか読むと頭がパーになるし意味ないよね〜」
みたいな。
まあ、気持ちはわからなくはないけど、私が言ってるんじゃないですからね〜
イジメちゃいやよ〜
ということで、突然ですがもしもシリーズ。
☆ もしも 修行がマーヤだったら ☆
もしも、修行がマーヤだったと仮定したらということで、考察してみたいと思う。
例えば動物。
ワンちゃんや猫ちゃんとか、鳥でもミツバチでもなんでもいいんだけど、彼らは・・・・・
「求道するぞ〜 瞑想するぞ〜」
とは思ってないわけさ、たぶん。
「進化するぞ〜 幸せになるぞ〜」
とも思ってないと思う。
じゃーそういう探求心や向上心がないから、動物君はダメかというと、そんな事ないわけさ。
彼らは彼らで完全なわけさ。
これは自我の意識が薄く、思考といってもある程度はするにしろ、人間ほどは複雑奇怪な思考をしないとう事がひとつと、もうひとつは自然の意識が占める割合が高く、普通にしていてもメチャクチャ効率的に生きていけるというのがあげられると思う。
人間がなぜこれほど文明を築いてきたかといえば、よく言えば脳が発達して独自性をもったという事が言えると思うんだが、悪く言えば自然の摂理 (神?)と離れて(感じられなく)なってしまったんで、そのままの自然では生きられず(満足出来ず) ああだ〜こうだ〜と色々な物やシステムを作りあげたと思う。 (※ 注1)
ここで、何が言いたいのかと言うと・・・・・
もし、動物君が完全なら、人間も完全なのではないか?
つまり、頭でゴチャゴチャ考える機能が発達しているため、色々な事で悩んだり、動物君より戦闘能力と意欲が高くなり、まあ、少はドロドロとした内輪もめから大は戦争まであるわけなんだけど、そういった色々な摩擦もなんかも含めて私達の存在は自覚できる、出来ないにかかわらずすでに完全で完璧である。
という定義が出来なくはないと思う。
例えば、蜂が六角形の巣を素晴らしい精度で作り上げると・・・・
「自然ってすばらしいですね〜!」
みたいなテレビ番組でのアナウンスになるわけさ。
ところがだ、六本木ヒルズを人間が建設したら・・・・
「人間の建設技術はすばらしい! 科学の力だ!」
となってるわけさ。
しかし、これは我々が人間だからそう思うんであって、もし、ミツバチを見るように人間を観察すると、六本木ヒルズだって人間とうい自然動物が作った巣なわけさ、つまり自然の一部さ。
でだ、もしも修行がマーヤと仮定した場合・・・・・
「既に完璧なのに、それに気が付かずに悪戦苦闘の無駄な努力をしている」
という位置づけだと思うんだわ、私が思うに。
例えば、横浜のそごうデパート。
あそこってメチャクチャでかくて広いんで、どこにいるかわかんなくなるわけさ、駅の地下から行った場合なんかは特にね。
「そどうはどこやねん?」
ってウロウロ歩き回って探していたら、実は既にデパート内だったりするわけさ。
それと一緒で、既に完全な存在であるにもかかわらずに、余計な?瞑想とか行をしているという風に例えられないか?
どうだい?
歩き回ったりせずに、本当は目の前の受付カウンターのお姉さんに聞けばいいだけみたいな感じじゃないか。
「ここどこですか? そごうデパートってところへ行きたいんですけど・・・」
「お客さま ここがそうですよ」
みたいな感じかな。
でだ。
問題なのは・・・・・
既に完璧であるけれども、それを自覚出来ない。
というのが焦点だと思うが、これにはいくつかの選択肢があると思う。
1 そもそも、完璧であるけれども自覚出来ないという定義自体が理解出来ない、もしくは考えるにあたいしないと考える → ラメッシとか読んでね!
2 自覚出来ないけど、完璧なんだろうと納得させる → いわいる一般的な神への信仰タイプ
3 本当に納得するまで、マーヤだと言われようが自分で試行錯誤する → 行者タイプ
4 よくわからんし、めんどくさいので、思考停止して現状維持で生活、または修行する → もっとかんがえましょう! もしくは別にそれでもいいんじゃない?
まあ、この他にもあるかも知れないが、だいたいこんなパターンに分かれると思う。
どのパターンになるかは各自のブログラムというか、自分で決めていると思ってもそう条件づけられているわけだから、ここに善し悪しはないわけさ。
まあ、ラメッシ風に言えば、これらの反応もすべて神のプログラムなんでどう転んでも完璧なんだって話になるわだ。
ああ、いかんいかん、ラメッシをもってくると話が終わってしまうので、再度、まとめてみよう。
つまり・・・・・・・
修行マーヤとは※注1で言ったように、私達は自然の摂理から乖離して様々な文化、文明をあ〜だこ〜だと作り上げたわけだが、その精神面のあ〜だこ〜だのシステムが修行なんじゃないかと思うわけだ。
確かに、精神面のあ〜だこ〜だが発生した経緯も自然の摂理からなわけなんだが、その回帰したいという欲求はともかく、作り上げたシステム(宗教、瞑想などの技法、戒律)は文化的価値みたいなもんはあると思うが、上記のような理由でその修行の効力が本来の意味で発揮されるというのは幻想である。
つまり、既に完璧なのにそう気が付かずに、あ〜でもない、こ〜でもないってやっているってことさ。
この辺がパラドキシカルな性質をもっているので、説明が肯定、否定が入り組んでいて、ちょと理解しがたいものになっていると思うんだが、つまりはそういうことさ。
みたいな感じで考察できなくもないと思う。
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お詫び
え〜 覚醒事例を紹介するといいつつも、ちょと削除という流れになってしまったので、お詫びとしてこんなんどうですか?
臨死体験 覚醒その他
見たことある人もいるかも知れないが、noboruさんという学校の先生のサイト。
一度、話した事があるが、真面目でよい方です。
色々な体験談がのっているが、まあ、覚醒というよりは変性意識体験から、おお〜これは!というものまで混ざっていてバラエティーにとんでます。
ゲゲッ (」゜ロ゜)」
今、気づいたがこの紹介されている中で3人と話したことある。
どんだけ俺って悟りオタクなんって感じ。
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実際の覚醒の例
※ すいません、覚醒の事例は事情により削除しました
う〜ん やっぱこの辺は微妙な問題を含んでいるので、一度はOKが出たんだけど諸事情で掲載はしない方がいいという方向性になったので、ごめんなさいね〜
------------------------------------------------------------------------------
修養会に参加するには半年前後の期間と、実は入会金と年会費が存在するようなのだ。
出た! ここで高額な会費があるわけ???
入会金 1000円
年会費 1000円
といわれたんだけど、それってやっぱ採算ベースじゃないよな。
灰タカさんのブログを読んでみればわかるが、この修養会とやらはかなり濃いような感じ。
マーヤ解きの話が前回あったが、この辺で生徒のマーヤをエネルギー的にというか、とにかくマザーの力でタントリックに解除する方向性のようだ。
まあ、実際にしばらくそれに出てみないと、なんとも言えないところではあるが・・・・・
「そんなもんねえだろ?」
とブログなどの情報を読んで決めるというのも、また、ひとそれぞれなのでありだとは思うんだが、もし本当にそうだったら、こういう機会を逃す手はないと思うというのが私の意見ではある。
これが、もし、普通の一般の人が覚醒してこのような会をやっていたら、普通に考えるとちょと怪しい感じがするが、和平先生は一流の先生達の元で英才教育?を受けて、特にミンリン・ティチェン・リンポチェ師の愛弟子なわけだ。
一度や二度、謁見したとかそういうんじゃないからな。
ミンリン・ティチェン・リンポチェ師はニンマ派の長で活仏であられるから、もう、この世界では一流なわけである。
和平先生も修行の指導方針でマザーに教育を厳しく受けたようだが、それ以外でも、もし、いいかげんな事や変な方向に走った場合は師匠の顔に泥を塗る形になるので、絶対にそれは出来ないとおっしゃっていた。
まあ、こういう分野をブランドで良し悪しを判断するのもなんなのだが、情報ソースとしては正統派というか、きわめて優良と判断しても間違いでは無いと思われる。
ということで、一応、今回の質疑応答コーナーも簡単にではあるが、アップした感じで肩の荷が少しおりたというか、気楽な感じになったかな。
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ヒマラヤの老人は悟る?
さて、悟りとは 「わかる」 というお話だったが、この日のテーマが「わ」だったんで、例えば 「ら」の日だったら 「楽になる」 とかの例えで話が進んだと思うが、概要的には下の記事のような感じで定義出来たわけだ。
☆ 悟ろうとしたけど、悟れなかったらどうなる? また人間として生まれ変わってくる?
というのが読者さんからの質問だったが、それを聞いてみた。
「・・・という質問が来たんですけど、どうなんですか? 色々あるじゃないですか、類魂説とかあの世系の話は、続きからはじまるとか、あの世で合体するとか、仏教的には継続する主体は無いとか・・」
それはね、マーヤなの、お終い。
あのね、あの世的なそういうことは無いことは無いけど、では、実際に人が死後にそれを認識出来るかと言えば、ほとんど無理だと思う。
だって、普通は前世や生まれる前なんかの事憶えてないでしょ?
もう、そんなのは今考えたってどうこうなるもんじゃないの。
それより、勝負は今なわけさ。
という感じで、バッサリ。
実はね。多くの人は黙っているけど、老人になると悟るのよ。
日本みたいに文明に毒されたところじゃダメだよ。
年金の計算や通販でカニを一生懸命買っているような老人の話じゃなくて、インドとかチベットなんかの田舎の老人。
この前、鶴田真由がヒマラヤへ行って現地の長老にインタビューする番組やってたけど、あのばあちゃん凄いよ。
あれは悟ってるね、あのばあちゃん。
ほんと、素朴な事しか言わないんだけど、今までの人生の経験の重みと魂からのあれで、もう鶴田真由はボロボロ泣いちゃうほど感銘を受けていたんだ。
正しい神への信仰をもって、色々と人生で苦難にあって、後は死を待つだけの時、多くの人は実は悟るの。
正しい信仰じゃなきゃダメなんだよ。
「この神様へお祈りすればお金が儲かる」とか
「この行をすればパワーがついて人生思いどおりだ」とか
「この修行をすれば火が指から出るようになる」とかはダメなわけさ、言ったら。
なんだよ、お前スーパーマンになりてえのか?みたいな ハハハッ
もう、ホントはシンプルなんだよ。
例えばね、田舎の方でおてんとう様と共に生活して、作物を育てて、苦しい事があったら受け入れ、楽しい事には感謝してってそういう生活でもうOKなわけさ。
まあ、村の人間関係でマーヤになるかもしれないけど、日本のような文明社会ではそれにもっと色々なマーヤ、会社の複雑な仕事、人間関係とか金とか住宅ローンとか税金とかもう、もっとマーヤだらけで素朴な老人にはなりにくいんだけどね。
ヒマラヤなんかの田舎の方では、そういった素朴な神様への信仰とシンプルな生活をおくっていると、多くの老人は悟っているのよ。
というお話。
多くの老人は悟るという話を聞いた時、???とも思ったが、実際に現地で多くの聖者やリンポチェを見て、その弟子でいたんだから、おそらくはその鑑定眼?は正確なものと思われるので、たぶんそうなんだろうと思う。
ここら辺が前の話で出てきた「修行マーヤ」とか「一般の人の方が悟る」とかの部分とかぶりそうだ。
私も前回の話・・・
「宗教や修行の技法、知識などは九分九厘マーヤである」
発言にはちょとビックリというか、そうなの?って感じではある。
このブログを読んでいる人も、そういう事をやっていたら、多分、その発言は全否定したくなると思う。
でもだ。
実はこのブログには書いてないが、実際に悟った人の話は他でも何人かから聞いた事があるんだけど、その悟りの瞬間ってのは技法ではないみたいなんだ、これが。
神への祈りであったり、命を捨てる覚悟であったり、今までの瞑想とか修行の延長線上ではなく、そういうものを発した瞬間に覚醒したというんだ、これが。
だから、修行がマーヤであるとうい発言も、もしかしたらガチンコで真実であるかも知れないという思いもあるわけだ。
続いて・・・・・・
☆ 悟りが神からの恩寵でしかないなら、和平先生が指導する意味は?
の問いにもカブッてくるので、流れで説明するが、どうやら和平先生の意図としてはこのマーヤ解きがメインらしい。
和平先生は覚醒してから3年間は、この「覚醒、悟り」を指導のメインにおいていたようだ。
前の記事でも書いたが、バキバキになって脳がパカッっていうあれである。
しかし、マザーから指導が入った。
「覚醒の事は話すな」
との指導らしい。
ほんと、困ったよ。
だって、俺は覚醒して人生の全ての問題が解決したし、覚醒しか話す事ないじゃん。
でも、それを話すなという。
散々、試行錯誤して苦しんだけど、このマーヤ解きってのが俺のメインだっていうのがわかったんだ・・・・・
と話は続く。
この辺の話はこみいってきて文章では表しにくいが、私が思うにあんまり覚醒を売りにしてメインにすると、変な方向性というか、言いたい事が歪められてしまう可能性があったんじゃないかと思う。
例えて言えば空手。
「俺の空手は実戦空手だぜ!この拳で石でも割っちゃうターミーネーターパンチだ!もう、どんな奴でも1秒でノックアウトだぞ〜 もうバキバキさ〜」
ってのをメインで売り出すと、例え事実であったとしてもやっぱあんまし大人な売り出し文句ではないので・・・
「この空手をやると、人生を極められます。もちろん青少年の育成にも役立ちます」
みたいな部分を看板にしたほうが、一般的に誤解が少なくなると思うんだわ、やっぱ。
まあ、マーヤ解きといっても、人生の問題を受け止めてそれからメッセージを聞きましょうみたいな事は良く言われているんで、それと絡めて修行マーヤを解くというものを前面に出しているのが和平先生の特色と言えよう。
覚醒は確かに神の一撃でしか起こらないわけだが、そういう事で様々なそれを妨げているマーヤを解いたりして、下準備というか、覚醒への道筋はつけられるとのお話だった。
ということで、次回は実際に覚醒したと思われる生徒さんのプチ紹介を予定。
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悟りとは ぶっちゃけなんなん? 神がいる???
では、読者さんからの質問回答です。
「悟ろうと頑張っても、悟れなかったらどうなるんですか? また人間として生まれ変わるの?」
という質問が寄せられたわけだが、この悟りとか覚醒ウンヌンをお話する前に、そもそも悟りって何?
みたいな所を定義しないと話がまとまらなくなるので、先にそっちいきましょう!
☆ 悟り(覚醒)とは?
悟りっていうとおおげさというか、色々な概念がついているけど、簡単にいうと・・・
「わかる」
ってことなんだよね〜
ああ、俺わかっちゃた!みたいな。
だから、別に覚醒とか悟りとかいう言葉を使わなくてもいいんだよ。
じゃー何がわかるのか?
よく、悟りましたって人はけっこういるわけよ。
「私は覚醒しました」 みたいな感じで。
でもさ、正直いうと、実際に自分も同じ状態(覚醒)じゃないと、その人が覚醒したかどうかなんてわかんないわけよ、言ったら。
じゃーさ、どうしたらいいの? って話になるわけよ。
それはね、聞いてみるしかないのよ。
「何がわかったんですか?」って。
これは数学の数式と同じなんだよ、言ったら。
「俺わかった」
って難しい数式を見て回答をスラスラ書いて、答えを出してその理由を説明できなかったらダメなわけよ、言ったら。
ただ、数式を見て・・・・
「俺わかった、でも、この境地は口では説明出来ないので、みんなも頑張って答えを見つけられればわかるよ、それには勉強しかないよね」
じゃーダメなわけよ、言ったら。
俺わかったっていうなら、何がどうわかったのか?
それを細かく説明して、その事に対する聞いている人の疑問を答えられないとダメなわけよ。
じゃー悟り、覚醒って何がわかるのかって言ったら・・・・
自分が今まで持っていたあらゆる疑問や意味がわかり、完全に満足する
って事なんだ、言ったら。
だから、「私は悟った」って人がいたら、色々とイヤな事を次ぎから次ぎにどんどんぶつけて見ればいいよ ハハハッ
だって、悟った人にとっては、理屈ではなく、もうイヤな事なんてないし、全ての現象に納得しているわけだから、人から何をいわれても、何をされても・・・
「うん 全然OKさ おう〜!」
って感じで何にも悩みなんてないんだよ。
ああ、でも、だからって俺をイジメちゃダメだよ ハハハッ
ちなみに、これは頭でわかって理解したり解釈したり、バカヴァットギータでも色々と本に書いてあるから我慢してそうするんじゃなくて、こう、なんていうか頭の上というか全体で・・・
「うん。OK!! おう〜!!」
ってなるんだよね。
みたいな感じで話が続いていく。
和平先生の場合は神がわっかったそうだ。
例えば神ね。
もう、神の存在がわかるんだよ。
皆に神の話をしても、例えばここに既に神がいるという話をしても・・・
「・・・・・・・・」
って感じだと思うんだよ、ほんとは 「うん、そうだね」ってなって欲しいんだけど。
でも、神は明確にここにいるし、外にもいるし、スターバックスにもいるし、地下鉄の電車の中にもいるし、もう、神がいないところなんて実はないんだよ。
思いっきり神で満たされていて、覚醒していようがいまいがその愛で私達は満たされているわけさ、言ったら。
でも、よくわかんないだろ。
う〜ん じゃーね、光と闇で説明するね。
光、こう、太陽でも電気でもいいけど、光ってのは確実に在るよね?
光があるから、色々なものが見れるし、存在を確認出来る。
例えば、今、テーブルの上のこのウーロン茶があるけど、光がなかったら、在るんだけど存在が認識されないから意味なくなっちゃうんだよね。
でさ、実は闇ってのも明確にあるんだよね。
今、部屋に暗幕をひいて完全に光を遮断したら、真っ暗な闇になるわけさ。
昼間だって皆既日食になったら暗くなるじゃん?
だから、今、ここでは光ってのが存在しつつも、実は闇も存在しているわけなんだよね。
これと一緒で、この光と闇と同じ以上の感じで神は実在しているんだ。
神は何かといえば・・・・・
在るという事なんだ。
あるという事の大本が神だから、私があるという事は神によって表されているわけだから、もう、自分の存在と同じようにあるという証明なんだよ、言ったら。
このウーロン茶だって神なんだよ。
「そうか、お前が神か〜」 みたいな、ハハハッ。
ラマナだってそうだろ?
私は誰か?
真我とは? アートマンとは?
とか言ってるじゃん。
ラマナ・マハリシの場合は神という言葉を使うと、外面的な神をみんな連想しちゃうんで、あえて真我とかわかるような、わかんないような曖昧な言葉をつかってそれを探求させたわけさ。
だって、神様ってとっかえひっかえ出来ちゃうし、グルもそうだし、色々な環境的なものはいくらでも変えられるけど、「私」というものは、もう、一応は明確に存在してそれが在るわけよ。
だけど、ラマナが言っている真我って、ここで俺が言っている神と同じなわけよ。
でも、俺もずっとわかんなかったさ。
「神って言ってもわかんねよな〜」
「実はいないんじゃねか? いい加減グレテやろうかな、もうヤケになってサタンに魂売っちゃおうか!」 みたいな ハハハッ
でも、違ったんだよ。
神はそんな俺を信じられないような完璧な仕組みで愛をそそいでくれていたんだよ。
もう、本当は苦しみや困難なんて実は無いの。
それさえも神の愛なわけ。
だってそうだろ?
す〜〜〜ごく楽な環境で何も悩みがなかったら、人間、進歩しないし頭が豆腐みたいなパーになっちゃうじゃん。
だから、それも皆は今はわかんないかもしれないけど、すべて完璧で信じられないくらいの神の愛なんだよ。
でもさ、今、その神の存在を感じられないんですけど。。。。
って話になるわけよ、やっぱり。
そこは、あれよ。
神をわからないながらも、神に祈るところから始めるしかないわけ。
「神様 どうぞあなたの愛をもっと感じさせてください」
みたいに、赤ん坊が母親に甘えるように、もう、思いっきり神を信頼して愛して、祈ることからやるしかないわけよ。
本当は難しい用語や理論を使って説明すると、なんだかわかったような気になるし、俺だってカッコよく偉そうに見えるんだけど、実は凄くシンプルなわけさ。
こうやって・・・
「神様〜〜〜!」
って説明するとバカみたいに見えるけど、本当の本当は凄くシンプルだし、単純なわけさ。
赤ちゃんが母親からミルクをもらい、愛情を注がれるという事を魂レベルでみると、人間と神との関係になるらしい、実は神を知る予行練習をそこでやっているというか、やらされているようだ。
実際に先生は長年のヨガとゾクチェンの修行をやりつくして、知識や技法は博物館並にあるようだ。
「俺はね、神様、行法コレクターだったわけ」
もう、博物館並にあらゆる知識や行法を貪欲に習ったんだ。
でも、博物館みたいに収集するってのは、本当はいらなかったんだよ。
ただ、切符を200円出して買って入場すればいいだけみたいな感じなんだよ、実際は。
ミンリン先生のところでも、色々な行を習ったんだよ。
一日2〜3時間は先生は俺に時間をとってくれて、色々教えてくれたんだ。
でもね、こんな感じだったんだよ。
「先生、次ぎはこの行を教えてください!」
「ん?何でだ、それは今までのとどこが違う?」
「だって、今までのは男の神様の行で、今度は女の神様のだし・・・」
「今までのは青い神様で、今度は赤だから違いますよね?」
「バカもん、そんなもん全部一緒や!!」
「・・・・でも・・・」
「ああだこうだヌカスと追い出すぞ!!!」
「ああ、ゴメンなさい!!」
みたいに怒られっぱなしだったよ ハハハッ
あん時はなんであんな事いうのかわからなかっし、俺に時間をさいてくれたかわからなかったけど、覚醒してわかったね。
「ああ、全部一緒だ」
「ああ、ミンリン先生のところで学んだ意味ってのは、実はこういう事だったんだ〜」
って。
ミンリン先生は破天荒というか、普通、ゾクチェンでは灌頂っていって弟子にイニシエーションをやるんだけど、最初はそんなんいらないって全然やらないわけよ、あとでシブシブと一応はやったけど。
神様や行法なんて全部一緒だとか、そんな儀式なんて意味ないとか、もう、わけわかんないでだろ?
でも、ミンリン先生が言っていることも全てわかったんだよ、悟った時。
「ああ、宗教や瞑想、スピリチャルとか色々あるけど、九分九厘マーヤだな・・・」
っていう事が。
覚醒、悟りっていうのは、こういう宗教的な技法や知識、習得とは密接な関係はないわけ、言ったら。
そういう事を知ることによって、逆にわからなくなっているわけ。
この修行マーヤってやつも実は神が仕組んだ仕組みなわけさ、言ったら。
だって、この世はマーヤなわけだから、そのマーヤが解けて全員が覚醒して上がりになったらこの世界の存在意義ってのがなくなっちゃうから、覚醒、悟りってのも実は上手くコントロールされているわけ、言ったら。
みたいな感じでどんどん話がディープになってくる。
まあ、悟りについて、つまり、和平先生は何がわかったかについて、このお話を聞いて「ああ、そうなんだ〜」と思う場合や「イマイチわからんぞ」となる場合があるかと思うが、詳しくはご本人から聞いてみて下さい。
で、悟りの定義をサラッとしたわけだが、次回は読者の質問。
「頑張っても悟れなかったらどうなんの?」
の話の回答を聞いてきたので次回は書いてみる。
瞑想の世界には
秘密にされている
最高峰の教えというものが
存在している。
しかし、
最高峰であればあるほど
教えとはシンプルなものなのだ。
最高峰であればあるほど
教えとはシンプルなものなのだ。
しかし、修行者たちには
その事は理解できない。
その事は理解できない。
例えば学問は学べば学ぶほど
高度になるからだ。
高度になるからだ。
瞑想も同じように考えている。
学べば学ぶほど高度になると。
学べば学ぶほど高度になると。
しかし、実際は違う。
瞑想のめざす境地は
原初の境地であり、
それはシンプル以外の
なにものでもないのだ。
瞑想のめざす境地は
原初の境地であり、
それはシンプル以外の
なにものでもないのだ。
それが最高峰の瞑想だ。
シンプルな瞑想は
逆に簡単には
教えられない。
逆に簡単には
教えられない。
なぜならば、
それは理解されないばかりか、
真理までもが歪曲して
とらえられてしまうからだ。
それは理解されないばかりか、
真理までもが歪曲して
とらえられてしまうからだ。
シンプルである事は
簡単そうで
実は難しい事なのだ。
JUGEMテーマ:India簡単そうで
実は難しい事なのだ。
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マイケルジャクソンとコロッケの違いにみるライブと文字の違い
いや〜 困った。
最近は和平先生の記事ばっかだが、このリアルワールドのブログを見ればわかるように、私はどっちかというと良いものはシェアしようというスタンスなんで、色々なサイトや記事を紹介しているが、なんでこんなに和平・マザーシリーズが続くかというと、今までにない手ごたえを感じているからなんだな。
だから、自然とこういう流れになっているんだが、それにしてもである。
やっぱ、実際に話を聞くのと、こうして記事にしてみるのとは鮮度というかインパクトが違うんだわ。
例えていうならマイケルジャクソン、まあ、ロックのガンズでもクラッシックのバッハでもいいんだが、まったくその存在を知らない人に文字で説明しようとしても困難だというのは想像出来ると思う。
例えば・・・・・
あのさ〜 マイケルってのがいてさ〜 マリオネットダンスでカクカクしたりして凄い動きなんだよ〜
「ああ なんかわかる コロッケも物まねでカクカクして野口五郎やるしね!」
いや、そうじゃなくて・・・ ムーンウォークって言って こう〜後ろ向きに歩くんだよ
「ああ、それって健康法でも後ろ向きに歩くといいってやってた」
とにかく・・・「フッーってやってカッコいいんだよ」
ああ、レイザーラモンね、皮ジャンきたSMっぽいの、カッコイイ?? あれが?? 笑っちゃうけど
・・・・・・・・
みたいな感じで、私がライブで聞いた和平先生のお話を書いても、なかなかその場のバイブレーションや細かいニュアンスや話の全体像なんかは文字では表す事が困難なのはわかってもらえる?かも知れない。
ましてや、内容が悟りや神や愛ときたもんだ。
だいいち、私自身わかってないし、許容量オーバー (爆)
まあ、そういった前提でのお話なんだが、また色々と新鮮なネタを仕入れてきた。
読者さんからも、質問のメールをいくつか頂いているんだが、その回答もゲットしてきました。
やっぱ、なんでこんなブログを書いているかというと、今まではひとり言ぽかったというか、正直、ヒマつぶし的というか気分転換な感じだったわけさ。
でもさ〜 やっぱりこうゆう系の事を学んでいる人はわかると思うけど、もう、色々わけわからん事がいっぱいあるわけさ。
だって、悟りとか神とかわかっちゃたら、それは上がりというか、もうある意味完成なわけじゃん。
もしくは、わかったと勘違いしてヤバイ人になってるわけさ。
だから、普通、こういう世界はわかんないのが標準なんだけど、色々と疑問点をかかえて困っちゃうわけさ。
そこを・・・
「正直、わかんないけど先生が言ってるんだし、ある程度、自分の体験もあるし、たぶん正しいんだろう」
という気合というか、思い込みで普通は乗り越えるか、思考停止でうやむやにするんだけど、正直に自分の胸に聞いた場合、やっぱストレスが溜まるわけさ。
「本当にこれでいいんだろうか?」
「いや、まてよ、でも・・・ とりあえず信じとこう」
みたいなノリなわけさ。
私だってそうさ。
色々な瞑想や行をやるとそれなりの体験はするし、そうだと言われれば、そうかな?と思いダマシダマシやってきたわけさ。
でも、最近は和平先生というメンターが出来たおかげで、色々な事が今までにない感じでクリアーになっているんだ、これが。
でだ。
クリアーになってきているんだったら、その体験というか内容をシェアすべきだと思うわけさ。
というわけで、私のおバカな頭とつたない文章で伝わるかどうかはわからんが、次回は・・・
☆ 聞いてきた 読者さん and ブログを読んで実際に勉強会に参加者してみた方の質疑応答
〇 悟ろうとがんばったけど、悟れなかったらどうなんの?生まれかわってやるの?
〇 実際の覚醒した生徒さんのレポートまだ? どんなんなの?実際は?
〇 悟りが神の恩寵でしか起こらないなら 和平先生が指導している意味は?
こんな感じですか。
続く・・・・
マイケル オマケ映像
:India
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ミンリン・ティチェン・リンポチェは語る
和平先生が日本に帰ってくるお話の前に、ミンリン・ティチェン・リンポチェ師に弟子入りした経緯をちょとだけ。
「どうして、ミンリン・ティチェン・リンポチェ師を選んだんですか?」
それは直感だよ
最初は活仏だし、あまりにも偉い人なんで、他のゾクチェンの先生を紹介してもらうつもりでいったんだよ、そしたらさ、仁王様みたいに目をギョロっとさせて手を上にあげた状態でず〜と構えているんだよ。
ミンリンティンチェン・リンポチェ師
普通はラマに謁見する時なんかは、手を頭にあててくれたり、優しい場合は額をつけてくれるんだけど、いきなり・・・・
バチーン!!!
とおもいっきり頭をたたかれて・・・
「#ё〇%σю$б!!!」
っていうんだよ。
ミンリン・ティチェン・リンポチェ師はニョンパなんで、現地の人も身内の人が通訳しないと言葉が良くわからない場合があるんだけど、とにかく・・・
「お前の面倒は俺がみる!!!」
とおっしゃたようなんだ。
実は先生はミンリン・ティチェン・リンポチェ先生のところで数年間修行しつつも、挫折感に襲われたらしい。
「俺って才能ねえよな〜 ダメだな〜」
と思って、ミンリン先生にその事を言うと・・・
「私はものにならない弟子をとるほどヒマではない!!!」
つまり、私が保証しているんだから安心しろとおっしゃたらしい。
そうしてゾクチェンの修行が進み、最後の行になった時。
「よいか、お前はこの修行をすれば悟る」
「しかし、お前が日本人で日本から来たにはわけがある、ここで修行して悟るより時間はかかるかも知れないが、お前は日本に帰れ!」
というふうに指導されたそうな。
それで和平先生は日本に帰ってきて、住むところがないから住み込みで働ける焼き鳥屋のバイトを始めたらしい。
焼き鳥屋
↓
トラックの運送業
↓
絵の額縁屋の社員
↓
墓石業の社員
↓
今に至る
という感じらしい。
和平先生は日本に帰って来てからは、挫折感がいっぱいだったようだ。
まあ、高校中退してインドの僧侶になるくらいだから、当時は自信満々だったんだろう。
自信満々? 若き日の和平先生
でも10年以上現地で修行してもダメだし、帰れっていわれて日本に帰って来ても、なにがどうなるもんでもないしと一時は修行を放棄してヤケになったらしい。
身に付けた技能といえば、瞑想の修行としかないから焼き鳥屋とか運送業ぐらいしかなかったんだろうが、この時は・・・・
「いや〜 瞑想を人に教えようなんて事は全然想わなかったね、なんたって俺は師匠と比べると全然ダメで話にならないし、覚醒してないのにそんな事人に教えたら地獄行き確定じゃん」
というお話。
墓石の会社にいた時は日本の色々な宗派の大僧侶や霊能者、占い師(細〇〇子とかもいたらしい)が仕事の関係上、会ったりしたんだけど、愕然としたらしい。
「自分がインドで会った聖者や師匠と比べるとそういう人たちはお話にならないわけ、こんなんだったら自分の方が全然いいじゃんと思ったけど、人に教えようなんて事は思わなかった。」
「でもさ〜 しばらくすると・・・ まてよ? セラピストってのはどうやら覚醒してなくてもやっていいんじゃないか?」
ということで、セラピストになったようだ。
当時、最初は全然仕事がなかったが、知り合いのクリニックでガンなどの重病患者などのケアをしてくれということで、色々とやったらしい。
しかし、そういった人たちの相手をするのには、いまいち自分にパワーがなかったので、ゾクチェンの修行をここで再開。
その時にマザーがドカンときて覚醒というお話。
物事ってのは全て完璧に出来てるんだよね。
俺が焼き鳥屋のバイトをした理由は住むところが無かったから (笑)
それからも色々あったけど、墓石業で色々な大僧侶とか霊能者なんかを見てなかったら、もしかしたら覚醒しても人に教えようとは思わなかったかも知れないんだよ。
ああ こんなんでいいんだったら 俺の方がマシじゃんって思えなかっただろうから。
だから、皆んなも色々な事で悩むと思うけど、それもまた理由があっての事だから、全て完璧に出来ているんだよ、覚醒すればわかるけど。
というお話でした。
まあ、かなりハショッて書いたし、ネットで書いちゃダメっていわれている面白い部分もあるんだけど、そういうおいしい所を聞きたい人はこちら
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悟りのタイプ
悟りのタイプもいろいろあるらしい。
お釈迦様の弟子で500羅漢ってのがあるでしょ?
あれってのはそれぞれ違うタイプの悟りの個性っていうか、そういうのを表していると思うんだよね。
世界中の宗教でも、ヒンドゥー、イスラム、シク教、キリスト教なんかもそれぞれ覚醒者っているんだけど、みんなそれぞれある程度違いがあるわけなんだよ。
例えば、キリスト教だったら神を強調するけど、仏教ではしないよね。
俺のところは覚醒のマザー、母の力で覚醒するんだけど、母の力で覚醒しするにもかかわらず、神の事はあまりわからず仏教的な悟りになる人もいるんだよ。
という話。
ちなみに、覚醒後にどのようなタイプになるかは覚醒した後でなければわからなしようだ。
その後、韓国ドラマのチャングムを例に説明されたが、私はチャングムは良く用語がわからないので再びクルマで説明してみよう。
とりあえず、免許を取得して公道でクルマを運転出来るようになるのが悟り(覚醒)。
覚醒すると、マーチにのったり、RX−7にのったり、トラックやバスを運転したりと個性様々なわけさ。
この覚醒後、何に乗るかは自分自身のプログラムによるというか、神が方向ずけをされるらしい。
あと、交通規則ってあるでしょ?
速度制限とか一方通行とか。
ああいうルールも適用されるらしい。
つまり、覚醒する前は徒歩でスイスイ行けたところが車だから・・・
「こっちはダメ」
という風になって、無視すると減点というか、おまわりさんに怒られるわけよ。
それと一緒で、覚醒する前はかなり自分勝手な事も出来るんだけど、覚醒すると神様から怒られる??というか指導が入る場合があるらしい。
「じゃーそんなのイヤじゃん」
って話もあるけど、やっぱ免許があって車があった方が圧倒的に便利なわけさ。
特にこの世に車以外の交通手段が無いと仮定すると、絶対にあった方がいいよね?
まあ、クルマを例にとったんで若干違う部分があると思うんだが、覚醒とは前回書いたように確かに凄い体験なんだけど、本来の人間にとって自然な状態で、それになって完全に自分や世界の事を理解し、満足して初めて人生を生きられるとも言えるようだ。
よく、禅などでも悟後の修行というのがあり、覚醒してからが本当のその人の個性みたいなものが開花して快適な人生が歩めるという。
ちなみに、和平先生は解脱と悟りは区別されていて、ここで言っているのは悟りの話だが、解脱と悟りの違いとかはまた今度ということで。。
例えばね、覚醒したら仕事は別に掃除のアルバイトでもなんでも満足なわけよ。
普通は嫌だろ?
時給は低いし、ステータスはないし、なんで俺がこんな・・・と思うんだよ、特にウンコなんかの掃除をする時は。
でも、覚醒したらそれさえも楽しくて楽しくてという状態になるんだよ。
というお話。
清掃の仕事で思い出したが、実は先生はミンリン・ティチェン・リンポチェ先生の所から日本に帰ってきた時に最初についた職業は、なんと焼き鳥屋さんのバイトだったらしい。
次回はその辺のお話を書くとしよう。
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脳がアウトバーン??
ヨガやゾクチェンの瞑想、ヒマラヤで数ヶ月すごして仙人状態になった時の意識状態と今とどうちがうかの説明が始まった。
う〜ん、じゃーアウトバーンを例に説明しよう!
アウトバーンってあるでしょ? ドイツの高速道路。
例えばだ、昔、日本でオート3輪とかリアカーとかしか走ってないヌカルミなんかがある舗装されてない道路があったとするよね。
もう、デコボコでスピードなんか全然出ないんだよな。
あるAさんという日本人がいて、こんなんじゃどうしようもないと思っている時にドイツからちょと我が国にアウトバーンを見学にこないかというオファーがあったわけよ。
そんでもって、実際にドイツに行ってみたら凄いわけよ。
ベンツっていう鉄の四角い乗り物にのせられて、いきなり時速300キロオーバーな世界を体験させられるわけ。
まあ、最初は多分、失神しそうになるだろうな〜
あまりの加速とスピード、流れる景色のショックで。
でも、こんな世界があるんだ、可能なんだと思って・・・・
「よ〜し!! 日本にもアウトバーンを作るぞ!!」
と帰ってきて愕然とするわけ。
なんとかやろうとは思うんだけど、誰もアウトバーンの話をしても信じてくれないし、仮に信じてくれたとしても、現状として不可能だとうい事に気づくわけよ。
その時、再び、ドイツから連絡がはいって・・・
「どうだい、日本アウトバーン計画は?順調か?」
と聞かれ、いやいや、やっぱ無理だよという話をしたら。
「まあ、そう言わずにもう一回来なさい」
との話になって、再び行くわけなんだな。
2回目のアウトバーンでは失神せずに、よく観察できたんだ。
「どうやら、今まであった道路を整備するのではなくて、山の中とか、都市を通すにしても高い所を橋みたいにしてるぞ・・・ そうか!これならいける!!」
となり、今日の高速道路が出来ました・・・・というお話になるわけだ。
つまり、アウトバーンを例にしたけど、ヨガの修行やヒマラヤで瞑想するってのは、今ある道路※をなんとかして整備しょうという話なわけ。
※ ひたすらサットヴァの状態を目指す系、サトッヴァの食事(菜食)やプラナヤーマやアサナをして体を浄化し、瞑想やジャバをして意識をクリアな状態にし、環境も静かな場所やアシュラム、リトリートなどでサトヴィックな環境作りを行い浄化するタイプの修行法、ちなみに先生はタントラなのでこの方法ではないという。
つまり、サットヴァ、ラジャス、タマスという3つのグナを超越するタントラの方式だと言う。
有る程度の整備は出来て、60〜70キロは出るようになるかもしれないけど、300キロは無理なわけ。
これといっしょで、まったく違う回路、アウトバーンの道路を脳に作る事に相当するんだよ、覚醒ってのは。
酔ったり、パキパキになったりするのは、その脳の突貫工事をしている最中なわけさ〜
パキパキになってバキバキになってドッカーン、パカッって開くんだよ、俺なんか頭の表面の感覚は1メートルぐらいある感覚なんだよ。
・・・・というお話。
パキパキ状態ってのはこの加速感を表しているらしい。
酔い
パキパキ
バキバキ
ドッカーン
パカッツ (覚醒)
よくわからんが、こういう感じでなるらしい。
まあ、人によってスムースに覚醒状態になる場合はそんなに衝撃はないらしいが。
違う回路を作って覚醒するわけだから、日本のように刺激がある環境でも全く覚醒意識には支障がないという話だった。
ちなみに、疑問があったので聞いてみた。
「あの〜 お話を聞いていると、結構頻繁に先生のところでは覚醒する人がポロポロ出る雰囲気なんですけど、実際のところどうなんですか?どんな感じなんですか?」
「私が思うに覚醒を運転免許に例えると、合格して免許を取得できた状態が覚醒とすると、その後、普通のドライバーとして日常をおくる、つまり、誰にも言わないで普通の社会人として平凡に生きて一生を過ごすという場合がとかがあって・・・」
「もう一つはレーサーとかになって時速300キロオーバーの世界のF1ドライバーみたいな、つまりサイババとかみたくなっちゃう場合とかあるけど、運転免許取得(覚醒)という意味では一緒なんですよね?人によって覚醒後のバリエーションがあるんですよね?」
(厳密にはサイババは神の化身とされているので、化身は別ルートだと思われるが・・・)
「うん、そうなんだ、実はね・・・・」
続く・・・・・・・・・・・・
オマケ映像
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