頭の外へ出る
まあ、なんというか気づきや瞑想に関して書くのは楽しいのだが、もどかしい側面がある。
まず、こういった方面を完璧に理解していたら、こんなところでグダグダとブログを書いていないわけだし、輪廻しなくなってしまっているだろうと思われる。
であるから
「なんかイマイチなんじゃないの?」
と私の文章を読んで思う場面も多々あるだろうが、それはしょうがないという事でお許しを。
ということで、レスターの続きであるが、リリーステクニックの卒業生?のバクシー氏の文も面白い
カム・バクシーの手紙
やっぱり、この文を本当とするならば、再現性がある方法としてリリーステクニックは優れていると思われる。
得に・・・
もしあなたが常にリリースしたら、心は静かに去っていくでしょう。このステップを行なったら、頭の中で生活している事が奇妙に感じられるようになり、より「存在」に安らぐようになっていくでしょう。
なんてところは最高だ。
心は静かに去って・・・
頭の中で生活している事が・・・
というところがなかなか。
以前、ヴィッパサナーをやっていた時に思ったことがある。
ヴィッパサナーにも色々な流派があるというのは以前も話たが、マハシシステムという生活禅ともいえる瞑想法やっていた時の事だ。
生活禅というからには、座って瞑想はもちろんするわけだが、歩く時も食事の時もある方法に従って気づきを保つ。
最初はなんでゆっくり歩いたりするんだろう?
かなりカッタルいんですけどと思った。
しかし、実はよく考えられているメソッドで一点の集中を保つ事により、集中力をつける訓練にもなっているし、それによって無意識的な想念とかも見やすくなる。
ヒンドゥーだとジャバマラの瞑想は少しこの要素が含まれているように思う。
また、集中力をつけるのとは別に意識の焦点の移動がある。
通常、私達は頭の中や目の後ろ側にいる感覚というか、そこを中心として自分が存在するように出来ているわけだ。
これは人間に限らず、食料を捕獲したり危険から回避したりするのにその方が便利だから生物的にそう設計されていると思うのだが、実はそれは自己の一部であって、存在としてはもっと広範囲なものだと感じる。
座る瞑想以外でも生活の所作をただただ感じて想念をカットする行を行っていると、その事を実感する。
一言でいえばバクシーが言う「頭の中で生活」でなく外へ出るわけだ。
出ると言っても幽体離脱するとか、そういった事ではなくて、頭の中に自分がいるというよりも、自分の中に風景や家、テーブルがあって体があるという感覚になる。
ちなみにシバが妻のディヴに語ったとされているヴィギャンヴァイラブタントラでもこの手の技法は解説されていて、これはヴィッパサナだとか、リリーステクニックだとか、色々な名前はついているが、なんというか、格闘技に例えると中国拳法でもボクシングでもパンチの技法の呼び方は違うが体の使い方は似ているみたなイメージだろう。
まあ、構造としては格闘技でも瞑想でも自分の所が一番良いという前提で構成しなとシステムとして成り立たないので、どこでもそういった空気ではあるが、同じ地球人という生物である以上、似たような技法に行き着くと思われる。
ただ、問題点というか、確かにこれらの意識の変容というか、原点回帰の解放は半分は技法で出来るがもう半分は信仰というか神の恩寵がなければダメなんじゃないかと思う。
イメージで解説すると、健康になりましょうとか、トラウマを治しましょうが飛行機で言えば自家用プロペラ機だとすると、悟りや解脱はスペースシャトルだ。
自家用プロペラ機は自力でなんとか飛ばせるわけだ、多少は管制官とかの指示がはいるが。
だがスペースシャトルやロケットで重力圏外に出ようと思うと、もう、ほとんど管制塔というかNASAセンターに頼らないとやってけないわけだ。
自分の限界を超えて、イッてしまうわけだから、それは師匠とか神に命というか人生をあずける覚悟がいると思う。
NASA=神の恩寵
みたいなイメージ
霊性修行がギャンブルといわれる所以だろう。
JUGEMテーマ:Self−Healing
まず、こういった方面を完璧に理解していたら、こんなところでグダグダとブログを書いていないわけだし、輪廻しなくなってしまっているだろうと思われる。
であるから
「なんかイマイチなんじゃないの?」
と私の文章を読んで思う場面も多々あるだろうが、それはしょうがないという事でお許しを。
ということで、レスターの続きであるが、リリーステクニックの卒業生?のバクシー氏の文も面白い
カム・バクシーの手紙
やっぱり、この文を本当とするならば、再現性がある方法としてリリーステクニックは優れていると思われる。
得に・・・
もしあなたが常にリリースしたら、心は静かに去っていくでしょう。このステップを行なったら、頭の中で生活している事が奇妙に感じられるようになり、より「存在」に安らぐようになっていくでしょう。
なんてところは最高だ。
心は静かに去って・・・
頭の中で生活している事が・・・
というところがなかなか。
以前、ヴィッパサナーをやっていた時に思ったことがある。
ヴィッパサナーにも色々な流派があるというのは以前も話たが、マハシシステムという生活禅ともいえる瞑想法やっていた時の事だ。
生活禅というからには、座って瞑想はもちろんするわけだが、歩く時も食事の時もある方法に従って気づきを保つ。
最初はなんでゆっくり歩いたりするんだろう?
かなりカッタルいんですけどと思った。
しかし、実はよく考えられているメソッドで一点の集中を保つ事により、集中力をつける訓練にもなっているし、それによって無意識的な想念とかも見やすくなる。
ヒンドゥーだとジャバマラの瞑想は少しこの要素が含まれているように思う。
また、集中力をつけるのとは別に意識の焦点の移動がある。
通常、私達は頭の中や目の後ろ側にいる感覚というか、そこを中心として自分が存在するように出来ているわけだ。
これは人間に限らず、食料を捕獲したり危険から回避したりするのにその方が便利だから生物的にそう設計されていると思うのだが、実はそれは自己の一部であって、存在としてはもっと広範囲なものだと感じる。
座る瞑想以外でも生活の所作をただただ感じて想念をカットする行を行っていると、その事を実感する。
一言でいえばバクシーが言う「頭の中で生活」でなく外へ出るわけだ。
出ると言っても幽体離脱するとか、そういった事ではなくて、頭の中に自分がいるというよりも、自分の中に風景や家、テーブルがあって体があるという感覚になる。
ちなみにシバが妻のディヴに語ったとされているヴィギャンヴァイラブタントラでもこの手の技法は解説されていて、これはヴィッパサナだとか、リリーステクニックだとか、色々な名前はついているが、なんというか、格闘技に例えると中国拳法でもボクシングでもパンチの技法の呼び方は違うが体の使い方は似ているみたなイメージだろう。
まあ、構造としては格闘技でも瞑想でも自分の所が一番良いという前提で構成しなとシステムとして成り立たないので、どこでもそういった空気ではあるが、同じ地球人という生物である以上、似たような技法に行き着くと思われる。
ただ、問題点というか、確かにこれらの意識の変容というか、原点回帰の解放は半分は技法で出来るがもう半分は信仰というか神の恩寵がなければダメなんじゃないかと思う。
イメージで解説すると、健康になりましょうとか、トラウマを治しましょうが飛行機で言えば自家用プロペラ機だとすると、悟りや解脱はスペースシャトルだ。
自家用プロペラ機は自力でなんとか飛ばせるわけだ、多少は管制官とかの指示がはいるが。
だがスペースシャトルやロケットで重力圏外に出ようと思うと、もう、ほとんど管制塔というかNASAセンターに頼らないとやってけないわけだ。
自分の限界を超えて、イッてしまうわけだから、それは師匠とか神に命というか人生をあずける覚悟がいると思う。
NASA=神の恩寵
みたいなイメージ
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リリーステクニックに思う
レスターの物語を前回紹介したが、読んで頂けただろか?
レスターの物語
読めばわかるが、途中から圧巻だ。
なんなんだ?こいつと思うような展開。
まだ本は買ってないので読んでないが、このレスターが発見したリリーステクニックについて簡単に感想を書いてみよう。
上で紹介したサイトは良く出来ていて、関連で紹介されているエモトランス(Emotrance)とリリーステクニックを併用するとかなり良い。
これらの「気づき」の技法というか、方法は様々な宗教的な行や心理学でも使われるテクニックである。
ただ、なんというか気づきというは単純だが難しい面もある。
なぜなら、気づきというからには、自分で持っているんだけれどもそれを自覚出来ない、もしくは自覚出来てもそれに間違った対応をとってしまうから問題化するのであって、「ハイそうですか」と気づけないもんだ。
以前の記事で言えば、マハラジが言った言葉
もし、あなたが快楽や苦痛の瞬間にある自分を見てみれば、楽しみや苦痛がものごと自体のなかにあるのではなく、状況の中にあるという事を見るだろう。
楽しみは楽しむ人と、楽しまれるものとの関係性の中にある。
そして、その本質は受容にあるのだ。
状況がいかなるものであれ、それを受け入れる事が可能ならば心地よく、受け入れがたいならば苦しいのだ。
何がそれを受け入れられるようにするかは重要ではない。
原因は物質的、心理的、あるいわ理由がわからないかもしれないが、受容がその決定原因だ。
相対的に、苦しみは受け入れない事によるものだ。
ここで苦しみは受け入れがたい、嫌だという答えにたいして・・・・
どうしてかね?試した事はあるかね?
試してみなさい。
そうすれば、苦しみには快楽(楽しみ)には見出す事が出来ない喜びがある事を見出すだろう。
なぜなら、苦しみの受容には快楽よりもはるかに深いところへ、あなたを導くという純然たる理由があるからだ。
個人の自我はその本性からして絶えず快楽を求め、苦しみを避けている。
このパターンの終焉が「自我の終焉」なのだ。
自我と、その欲望と恐れの終焉は幸福と平和の源である、あなたの真の本性に帰りつくのを可能にする。
絶え間ない快楽への欲望は、内なる永遠の調和の反映なのだ。
人が自我を意識しだすのは、選択と決定を要求する、快楽と苦痛の合間での葛藤に捕らえられたときだけだ。
この欲望と恐れの衝突が、人生において正常な、偉大なる破壊者である怒りを産み出す。
苦痛がひとつの教訓と警告として、あるがままに受け入れられ、注意をもって深く魅入られた時、苦痛と快楽という分離は打ち壊され、それらはともに、抵抗した時に苦しく、受け入れた時には快いという体験になるのだ。
私の体験で言えば頭痛なんかそうだ。
仕事が忙しくて、体調をくずして風邪などで頭痛がひどくベッドで寝ているしかない状態になった事があった。
痛み、得に頭に近いほど痛みはイヤだが、その痛みを受け入れるとただ寝ているしかない状態なのに、妙な安らぎを感じたりする。
逆に痛みはどこにも無いのに、寝苦しいというか落ち着かない時、イライラとして痛みを懐かしがっている自分の想念に気づいた事がある。
これは何を意味するか?
このマハラジが言った言葉であるが、私の中で浮かんだイメージだが激辛ラーメンを食べている人というのが浮かんだ。
マハラジの受容という観点とは少し違うが、個人の選択という事で少し説明。
怒りが強い性格の人の例で紹介すると激辛ラーメンだ。
激辛、つまり怒りなどのスパイシーな感情を実は楽しんでいるわけだ。
怒りでなくとも、恐怖や悲しみでもいいが、一見それらを嫌っているように見えて、実は奥では楽しんでいる。
「おお〜 辛い!!」
とか、涙を流しながらラーメンを食べているが、本当は純粋に楽しんでいるわけだ。
ただ、実際に苦しんでいる人にとっては、楽しんでいる事も
自分でそれを食べると選択した事も
いつでも食べるのを辞められるということも(実際はいつでも辞められるわけではないが)
忘れてしまって、涙にまみれてひたすら苦しみながら激辛ラーメンを食べている。
つまり怒りや恐れや悲しみを自ら選択して、かかえてしまって身動きがとれなくなってしまっているわけだ。
気づきはそれに光をあてる。
JUGEMテーマ:スピリチュアル
レスターの物語
読めばわかるが、途中から圧巻だ。
なんなんだ?こいつと思うような展開。
まだ本は買ってないので読んでないが、このレスターが発見したリリーステクニックについて簡単に感想を書いてみよう。
上で紹介したサイトは良く出来ていて、関連で紹介されているエモトランス(Emotrance)とリリーステクニックを併用するとかなり良い。
これらの「気づき」の技法というか、方法は様々な宗教的な行や心理学でも使われるテクニックである。
ただ、なんというか気づきというは単純だが難しい面もある。
なぜなら、気づきというからには、自分で持っているんだけれどもそれを自覚出来ない、もしくは自覚出来てもそれに間違った対応をとってしまうから問題化するのであって、「ハイそうですか」と気づけないもんだ。
以前の記事で言えば、マハラジが言った言葉
もし、あなたが快楽や苦痛の瞬間にある自分を見てみれば、楽しみや苦痛がものごと自体のなかにあるのではなく、状況の中にあるという事を見るだろう。
楽しみは楽しむ人と、楽しまれるものとの関係性の中にある。
そして、その本質は受容にあるのだ。
状況がいかなるものであれ、それを受け入れる事が可能ならば心地よく、受け入れがたいならば苦しいのだ。
何がそれを受け入れられるようにするかは重要ではない。
原因は物質的、心理的、あるいわ理由がわからないかもしれないが、受容がその決定原因だ。
相対的に、苦しみは受け入れない事によるものだ。
ここで苦しみは受け入れがたい、嫌だという答えにたいして・・・・
どうしてかね?試した事はあるかね?
試してみなさい。
そうすれば、苦しみには快楽(楽しみ)には見出す事が出来ない喜びがある事を見出すだろう。
なぜなら、苦しみの受容には快楽よりもはるかに深いところへ、あなたを導くという純然たる理由があるからだ。
個人の自我はその本性からして絶えず快楽を求め、苦しみを避けている。
このパターンの終焉が「自我の終焉」なのだ。
自我と、その欲望と恐れの終焉は幸福と平和の源である、あなたの真の本性に帰りつくのを可能にする。
絶え間ない快楽への欲望は、内なる永遠の調和の反映なのだ。
人が自我を意識しだすのは、選択と決定を要求する、快楽と苦痛の合間での葛藤に捕らえられたときだけだ。
この欲望と恐れの衝突が、人生において正常な、偉大なる破壊者である怒りを産み出す。
苦痛がひとつの教訓と警告として、あるがままに受け入れられ、注意をもって深く魅入られた時、苦痛と快楽という分離は打ち壊され、それらはともに、抵抗した時に苦しく、受け入れた時には快いという体験になるのだ。
私の体験で言えば頭痛なんかそうだ。
仕事が忙しくて、体調をくずして風邪などで頭痛がひどくベッドで寝ているしかない状態になった事があった。
痛み、得に頭に近いほど痛みはイヤだが、その痛みを受け入れるとただ寝ているしかない状態なのに、妙な安らぎを感じたりする。
逆に痛みはどこにも無いのに、寝苦しいというか落ち着かない時、イライラとして痛みを懐かしがっている自分の想念に気づいた事がある。
これは何を意味するか?
このマハラジが言った言葉であるが、私の中で浮かんだイメージだが激辛ラーメンを食べている人というのが浮かんだ。
マハラジの受容という観点とは少し違うが、個人の選択という事で少し説明。
怒りが強い性格の人の例で紹介すると激辛ラーメンだ。
激辛、つまり怒りなどのスパイシーな感情を実は楽しんでいるわけだ。
怒りでなくとも、恐怖や悲しみでもいいが、一見それらを嫌っているように見えて、実は奥では楽しんでいる。
「おお〜 辛い!!」
とか、涙を流しながらラーメンを食べているが、本当は純粋に楽しんでいるわけだ。
ただ、実際に苦しんでいる人にとっては、楽しんでいる事も
自分でそれを食べると選択した事も
いつでも食べるのを辞められるということも(実際はいつでも辞められるわけではないが)
忘れてしまって、涙にまみれてひたすら苦しみながら激辛ラーメンを食べている。
つまり怒りや恐れや悲しみを自ら選択して、かかえてしまって身動きがとれなくなってしまっているわけだ。
気づきはそれに光をあてる。
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バラジ
バラジとは前回載せた動画の神様の像です。
インドの神様といえば、像のガネーシャとかシバとかカーリーが有名ですが、バラジと言えばインドのヴィシュヌ派ではそれより古い最強、最古の神として崇められています。
バラジは現世的な御利益をかなえてくれるということで有名な神様です。
日本ではあまり知られていませんが、お金や愛の問題解決、お願い事を叶えてくれる神様としては世界最強とされてます。
これは「バラジ 願い」とかグーグルで検索してもらえれば、色々なところでも皆さん書いてます。
チェンナイ体験記
とか
バラジ体験記
このバラジに参拝するのに、通常は何日も並ぶそうです。
VIP枠でお金を多く払っても3~8時間は並ぶようです。
お布施されるの金額は世界で第二位。
1位がバチカンで2位がこのバラジがいるティルパティ寺院。
なぜ、それだけ人気があるかというと、やはり実際に願いをかなえてくれる力が強いらしく、リピーターも多いからでしょうね。
ちなみに、スワミ・カレスワールが言ってましたが、世界中、色々なパワースポットや寺院に行ったようです。
インド以外でも色々なお寺やヒマラヤなどなど。
その中でも最高のパワースポットがティルパティのバラジ像だと言ってました。
ですから、下のバラジ像にPCの画面でも参拝するとご利益があるかも?
いやいや、マジですよ。
エネルギーに敏感な人はクルのがわかるかも知れません。
前の記事の動画は50年前のアビシェイクの動画でした。
今日はもっと鮮明なカラーを見つけたので、それも載せておきます。
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インドの神様といえば、像のガネーシャとかシバとかカーリーが有名ですが、バラジと言えばインドのヴィシュヌ派ではそれより古い最強、最古の神として崇められています。
バラジは現世的な御利益をかなえてくれるということで有名な神様です。
日本ではあまり知られていませんが、お金や愛の問題解決、お願い事を叶えてくれる神様としては世界最強とされてます。
これは「バラジ 願い」とかグーグルで検索してもらえれば、色々なところでも皆さん書いてます。
チェンナイ体験記
とか
バラジ体験記
このバラジに参拝するのに、通常は何日も並ぶそうです。
VIP枠でお金を多く払っても3~8時間は並ぶようです。
お布施されるの金額は世界で第二位。
1位がバチカンで2位がこのバラジがいるティルパティ寺院。
なぜ、それだけ人気があるかというと、やはり実際に願いをかなえてくれる力が強いらしく、リピーターも多いからでしょうね。
ちなみに、スワミ・カレスワールが言ってましたが、世界中、色々なパワースポットや寺院に行ったようです。
インド以外でも色々なお寺やヒマラヤなどなど。
その中でも最高のパワースポットがティルパティのバラジ像だと言ってました。
ですから、下のバラジ像にPCの画面でも参拝するとご利益があるかも?
いやいや、マジですよ。
エネルギーに敏感な人はクルのがわかるかも知れません。
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見る?
「なんだよ、見るって? わかんねえよ」
昔、クリシュナムルティの「自我の終焉」を読んだ時にこう思った。
別に批判するわけではないが、クリシュナムルティと言えばあのキレイな文体と雰囲気で人気の聖者であるが、そこで学んだり、本を読んだりして「見る」という事が明確にわかったという話は聞いた事がない。
だいたい精神世界、スピリチャリズム、ヨガ、仏教、瞑想などに集まってくる人は真面目でいい人が多いが、その一方で「私は良い事をやっているし、あなた達とはレベルが違う」みたいな空気がなくもない。
であるから、本を読んだり瞑想するほど、知らないあいだにエゴが肥大して人を見下すパターンが多い。
もちろん、私もこのタイプだった。
10代の頃はよく、他の人がなにも解ってないように見えた。
野球中継を見て、ビールを飲んで一喜一憂する人たちがバカに見えた。
「俺はこいつらとは違うんだ」
「瞑想や霊性に興味がない人達は魂のレベルがまだ低いからだ」
会社に入社しても、ある種のショックを憶えた。
当時、ある有名なベンチャーに入ったのだが日本地図が貼ってあり、店舗数がカウントされていた。
○○店舗達成!!
のような文字。
規模が多ければいいのか?
数字が多ければいいのか?
単なる拡大、拡張だけめざす世の中に違和感を感じた。
「私は瞑想している」
「クリシュナムルティやラマナマハリシなどの本を読んでいる」
表面的にはそうだったが・・・
殴りたい上司がいて
嫌いな同僚がいて
働くのがストレスに溢れて疲れ
失恋しては胸が張り裂けそうになり
友人のふりをして嫉妬し
温和なフリをして自分に不利にはると豹変し
瞑想や思索をしては、俺は違うというエゴを膨らませて人を見下していた。
一言でいうと全然見れてなかったわけだ。
見るというのは前にも書いたが、色々な技法があるが一番簡単で効果が高い方法を次ぎに紹介しよう。
日本ではあまり知名度がないが「リリーステクニック」というものがある。
まあ、○○テクニックとかメソッドとか言っても別に新しい発見なわけではないが、まずこのテクニックを発見したレスターの物語を読んで欲しい。
レスターの物語
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見る
瞑想やインドの話をしているが、瞑想にも色々な流派があり、こういった宗教的なものはちょと、という場合もあるだろう。
大雑把にわけると2つある。
今まで簡単に説明したように、伝統や教師の元で学ぶ方法。
もうひとつは自分の魂がおもむくままに、内なる声に導かれて平安へと到達するタイプ。
どちらがいいとうい話ではないが、難易度で言えば後者の方が高い。
天才以外無理であろう。
まあ、前者の場合でも幸運にも本物の指導者に恵まれても、なかなか本当の意味で指導者以上になる生徒が出ないという事もあり、決して簡単であるわけではないが。
で、瞑想だが実は特殊なテクニックを身に付けるだけが瞑想ではない。
恒久的な心の平和は別として、トラウマや人間関係の悩みぐらいならすぐに解消出来る場合も多々ある。
キーワードは見る。
見るというのは一つの共通項目だ。
沈黙の聖者、ラマナマハリシ
ヴィッパサナー瞑想
グルジェフ
ヴィギャン・バイラーヴ・タントラでの技法
禅の曹洞宗
西洋的な心理療法でも、見る事や気づきにを用いるフォーカシングとかフェルデンクライス、アレキサンダーなど身体観察を含めた見る技法なども有名である。
これらはいつの時代、どこの場所で誰が行ったかで色々な名前で呼ばれているし、技法も様々だが共通事項として「見る、気づく」が主な技法である。
まあ、見るといっても内観的な身近なレヴェルから、人間でなくなってしまうほどの深遠なレベルまであるわけであるが。
次回は私のわかる範囲内で解説してみよう。
JUGEMテーマ:スピリチュアル
大雑把にわけると2つある。
今まで簡単に説明したように、伝統や教師の元で学ぶ方法。
もうひとつは自分の魂がおもむくままに、内なる声に導かれて平安へと到達するタイプ。
どちらがいいとうい話ではないが、難易度で言えば後者の方が高い。
天才以外無理であろう。
まあ、前者の場合でも幸運にも本物の指導者に恵まれても、なかなか本当の意味で指導者以上になる生徒が出ないという事もあり、決して簡単であるわけではないが。
で、瞑想だが実は特殊なテクニックを身に付けるだけが瞑想ではない。
恒久的な心の平和は別として、トラウマや人間関係の悩みぐらいならすぐに解消出来る場合も多々ある。
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沈黙の聖者、ラマナマハリシ
ヴィッパサナー瞑想
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ヴィギャン・バイラーヴ・タントラでの技法
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西洋的な心理療法でも、見る事や気づきにを用いるフォーカシングとかフェルデンクライス、アレキサンダーなど身体観察を含めた見る技法なども有名である。
これらはいつの時代、どこの場所で誰が行ったかで色々な名前で呼ばれているし、技法も様々だが共通事項として「見る、気づく」が主な技法である。
まあ、見るといっても内観的な身近なレヴェルから、人間でなくなってしまうほどの深遠なレベルまであるわけであるが。
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