新着記事  カテゴリー  アーカイブ    お問い合わせ                    
<< April 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
<< お詫び | main | マーヤとは? 考察シリーズ >>

修行マーヤの考察




前の記事で 「瞑想や修行や宗教的な技法は九分九厘マーヤである」


ってのが私的には気になる言葉で、読者の人からも反響があるみたい。


まあ、多少なりとも反響があるということは、メールやコメントはしないけど、けっこう気になる人もいると思うんだわ。


だって、例えば瞑想の修行を一生懸命やっていたりすると、否定されているわけだから、普通はいい加減な事いうんじゃね〜 ってなると思う。


「リアルが言ってる覚醒とか、修行はマーヤだとか読むと頭がパーになるし意味ないよね〜」

みたいな。


まあ、気持ちはわからなくはないけど、私が言ってるんじゃないですからね〜 

イジメちゃいやよ〜



ということで、突然ですがもしもシリーズ。


☆ もしも 修行がマーヤだったら ☆

もしも、修行がマーヤだったと仮定したらということで、考察してみたいと思う。


例えば動物。

ワンちゃんや猫ちゃんとか、鳥でもミツバチでもなんでもいいんだけど、彼らは・・・・・

「求道するぞ〜 瞑想するぞ〜」

とは思ってないわけさ、たぶん。

「進化するぞ〜 幸せになるぞ〜」

とも思ってないと思う。

じゃーそういう探求心や向上心がないから、動物君はダメかというと、そんな事ないわけさ。

彼らは彼らで完全なわけさ。


これは自我の意識が薄く、思考といってもある程度はするにしろ、人間ほどは複雑奇怪な思考をしないとう事がひとつと、もうひとつは自然の意識が占める割合が高く、普通にしていてもメチャクチャ効率的に生きていけるというのがあげられると思う。


人間がなぜこれほど文明を築いてきたかといえば、よく言えば脳が発達して独自性をもったという事が言えると思うんだが、悪く言えば自然の摂理 (神?)と離れて(感じられなく)なってしまったんで、そのままの自然では生きられず(満足出来ず) ああだ〜こうだ〜と色々な物やシステムを作りあげたと思う。 (※ 注1)




ここで、何が言いたいのかと言うと・・・・・




もし、動物君が完全なら、人間も完全なのではないか?




つまり、頭でゴチャゴチャ考える機能が発達しているため、色々な事で悩んだり、動物君より戦闘能力と意欲が高くなり、まあ、少はドロドロとした内輪もめから大は戦争まであるわけなんだけど、そういった色々な摩擦もなんかも含めて私達の存在は自覚できる、出来ないにかかわらずすでに完全で完璧である。

という定義が出来なくはないと思う。

例えば、蜂が六角形の巣を素晴らしい精度で作り上げると・・・・

「自然ってすばらしいですね〜!」

みたいなテレビ番組でのアナウンスになるわけさ。


ところがだ、六本木ヒルズを人間が建設したら・・・・


「人間の建設技術はすばらしい! 科学の力だ!」

となってるわけさ。


しかし、これは我々が人間だからそう思うんであって、もし、ミツバチを見るように人間を観察すると、六本木ヒルズだって人間とうい自然動物が作った巣なわけさ、つまり自然の一部さ。




でだ、もしも修行がマーヤと仮定した場合・・・・・


「既に完璧なのに、それに気が付かずに悪戦苦闘の無駄な努力をしている」


という位置づけだと思うんだわ、私が思うに。


例えば、横浜のそごうデパート。

あそこってメチャクチャでかくて広いんで、どこにいるかわかんなくなるわけさ、駅の地下から行った場合なんかは特にね。

「そどうはどこやねん?」

ってウロウロ歩き回って探していたら、実は既にデパート内だったりするわけさ。

それと一緒で、既に完全な存在であるにもかかわらずに、余計な?瞑想とか行をしているという風に例えられないか?

どうだい?

歩き回ったりせずに、本当は目の前の受付カウンターのお姉さんに聞けばいいだけみたいな感じじゃないか。

「ここどこですか? そごうデパートってところへ行きたいんですけど・・・」


「お客さま ここがそうですよ」


みたいな感じかな。


でだ。


問題なのは・・・・・



既に完璧であるけれども、それを自覚出来ない。



というのが焦点だと思うが、これにはいくつかの選択肢があると思う。

1 そもそも、完璧であるけれども自覚出来ないという定義自体が理解出来ない、もしくは考えるにあたいしないと考える → ラメッシとか読んでね!

2 自覚出来ないけど、完璧なんだろうと納得させる → いわいる一般的な神への信仰タイプ

3 本当に納得するまで、マーヤだと言われようが自分で試行錯誤する → 行者タイプ

4 よくわからんし、めんどくさいので、思考停止して現状維持で生活、または修行する → もっとかんがえましょう! もしくは別にそれでもいいんじゃない?


まあ、この他にもあるかも知れないが、だいたいこんなパターンに分かれると思う。


どのパターンになるかは各自のブログラムというか、自分で決めていると思ってもそう条件づけられているわけだから、ここに善し悪しはないわけさ。

まあ、ラメッシ風に言えば、これらの反応もすべて神のプログラムなんでどう転んでも完璧なんだって話になるわだ。


ああ、いかんいかん、ラメッシをもってくると話が終わってしまうので、再度、まとめてみよう。


つまり・・・・・・・

修行マーヤとは※注1で言ったように、私達は自然の摂理から乖離して様々な文化、文明をあ〜だこ〜だと作り上げたわけだが、その精神面のあ〜だこ〜だのシステムが修行なんじゃないかと思うわけだ。

確かに、精神面のあ〜だこ〜だが発生した経緯も自然の摂理からなわけなんだが、その回帰したいという欲求はともかく、作り上げたシステム(宗教、瞑想などの技法、戒律)は文化的価値みたいなもんはあると思うが、上記のような理由でその修行の効力が本来の意味で発揮されるというのは幻想である。

つまり、既に完璧なのにそう気が付かずに、あ〜でもない、こ〜でもないってやっているってことさ。

この辺がパラドキシカルな性質をもっているので、説明が肯定、否定が入り組んでいて、ちょと理解しがたいものになっていると思うんだが、つまりはそういうことさ。



みたいな感じで考察できなくもないと思う。



































JUGEMテーマ:日記・一般
JUGEMテーマ:スピリチュアル
 
このエントリーをはてなブックマークに追加

ーーーーー 期間限定コンテンツ ... ーーーーーー

あなたの本質的な意識が開花するメソッドとは?



ーーーーー 無料プレゼントのお知らせ... ーーーーーー

メルマガ

ブログでお話した今回のような事はメルマガではもう少し深く解説したりしてますので、まだの方はメルマガに登録しておいてくださいね。

このブログのミッションはこちら


メルマガ登録とプレゼント講座の詳細はこちらから


プロフィールはこちら


 
関連する記事はこちら Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...
投稿者:koji awazawa
Google
コメント
凄くわかりやすく整理されていて良い感じです。
覚醒してない僕の脳みそで考えて気になるのは、 ニサルガダッタの「おれっちは生まれてきた事すらないもんね−」と、I先生がおっしゃたらしい、「みんなが覚醒してしまうとこの世界の存在理由がなくなるから数が制限されてますだ」という2点です。
神は新たな神を人間に創造してほしいのか、と思っちまいますね。まぁマ−ヤですから好きな事いいます。
  • 岩元で−す
  • 2009.10.30 Friday 19:13
「完璧」というのは一つの概念ですからね。。

何かが欠けている、不満であると思うのは自我・・それがなければ完璧という概念もなく、満足であるということでしょう。

そもそもわれわれの存在は概念を超えている。

仏性とは単に人間であるということ、それだけで完全である。。

修行とはそうした満足しない自我を脱して、もともとこと足りていたということを知るためにある・・こと足りなくともそのまんまなのですが、それを見てあれこれジャッジしているうちはわからないという。。
  • ろん
  • 2009.10.30 Friday 20:12
> 岩本さん

ありがとうございます〜

ニサルガダッタの「私は死なない、なぜならいまだかつて生まれて来た事がないからだ」ってのは、なんかいいですよね〜

> ろんさん

いらっしゃいませ。

う〜ん なるほど、いいこと言いますね〜

盤珪っぽいです。
  • koji
  • 2009.10.30 Friday 22:21
コメントする








 
この記事のトラックバックURL
トラックバック