ハートを開くのが安全 危険な瞑想や能力開発とは?
こんにちはリアルです。
今日は先日公開した動画のテープ起こしです。
もっとぶっちゃけた話も出来るんですが、動画やブログという公の場だとだいぶ’マイルドになってますが、それでも一応、言いたいことは言えたと思います。
+++ ここから動画の音声起こし +++
はい、それではさっそく質問に答えていきたいと思います。
今日お話しするのは・・・
「ハートから開くのが安全」
というテーマになります。
開くというのは、瞑想や能力開発ということなんですけれども、これは頂いた質問頂いた質問で・・
「ハートから開くと安全ということはどういったことなんでしょうか?
別の所から開くと危険なことがあると言うことですよね?」
という質問を頂いたからなんですね。
これ結論から先に言うと別の所から開くと危険なことがあるということなんですよ。
ハートから開くということは、別の言い方をするとハート以外のところでも開いて能力開発的なことが出来るという話になってきます。
別のところというのは、例えばクンダリーニエネルギーみたいな話です。
ヨガとかちょっと聞いたことある人ならクンダリニーの覚醒とか聞いた事あるかと思います。
まぁそこまで強烈でなくても何らかのエネルギーの上昇体験によって「パカッ」てこう意識が拡張したりする。
また、ちょっと違う変性意識になったり・・・
「あっちょっと分かった」
と言う認識になったりすることっていうのはままあることなんですね。
またヨガとはちょっと違うんですけれども、能力開発っていろいろあるじゃないですか。
子供の学習でも社会人になってもそういった能力開発見たいのが。
例えば私の身近な例でいうと、ちょっと知り合いの霊能者さんがいて、その人のご飯食べてる聞いたんですね。
「最近ね大変なのよ」
ていう愚痴を聞いて
「どうしたんですか?」
って聞いたら、やっぱり見えたり霊能力があるんで相談乗ったりするらしいんですよ。
で、「うちの子を見てくれないか」
っていう話がちょくちょくっていうか、最近多くなってきた。
うちの子を見てくれないかというのはどういったことかっていうと、まあ具体的な名称は出しませんけれども子供の早期能力開発みたいな塾みたいなあるでしょ?
なんか子供にカードパパッと見せて右脳を鍛えるとか、超能力的なものを開発する学習塾みたいのがあるわけですよ。
そういう開発法は色々あって、普通は大丈夫だと思いますが、中には危険なタイプもあって、違うところとエネルギーが通じてしまうパターン。
それで結局、問題児化するケースがある。
具体的にどうなるのかは公のところでは言えませんが、とにかく危険。
サイキックを持つグレた子供みたいなイメージですね、柔らかく言うと。
また、違うタイプでは、なんていうか体が弱っていってしまうこともあります。
体が弱るっていうのは具体的には、そういった能力開発偏向というか、そういうのに重きをおいてやりすぎてしまうと結局、意識体が体から抜け始めて上のほうに偏ってきて、うまく歩けなくなってくるらしいんですよ。
普通の子供って元気に歩いたり走ったりしますよね?
でも、変な風の歩き方になっちゃうっていうのが増えきているらしいです。
まあそういった話を聞いて、それでなんとかしたいって言う相談とか結構増えてるらしいんですよ。
それは何でそういうことが起こるかというと、結局「エゴ」なんですよね。
今、子供の話しましたけれども、社会人なんかの能力開発にも当てはまる。
これも企業名はちょっと言わないんですけれども、企業研修でそういったちょっとスピリチュアル系が入った企業っていうのはその能力を使って、いかに商談をうまく進めるかみたいな社員教育なんかもしている。
じゃあ、そこでどういうふうに商談するかっていうと、商談を有利にまとめる時のテクニックとして、
相手に向かってネガティブな脅すような思念を送ってそこで相手を弱らせた瞬間、契約するんだみたいなテクニックを教えるんですよね。
そういった企業とかそういった講師とかそういったなもういるわけですよ。
で、そういったのは、なんというか「能力開発」とか自分の「エゴ」、企業の「エゴ」に基づいて行われてしまっているわけ。
もっと言えば、軍事的な分野。
アメリカとかロシあでもそうだけれども兵士のサバイバル能力とか戦闘能力を高めるために何かサイキックな練習を積んで人殺しの効率を高めようみたいなそういったところまで話が拡張していく。
つまりエゴに基づいた能力開発っていうのが、クンダリーニのほかにちょっと行き過ぎた間違った動機による能力開発の方法ですね。
で、そういったある種の能力開発でも自分を超えていく自分の肉体とか意識を超えていく
ような境地っていうのは今に始まった事ではない区、昔からあるパターンなんですね。
例えばテーラワーダ仏教。
テーラワーダ仏教っていうのは2500年前のお釈迦様の教えを色濃く残した体系なんですけれども、テーラワーダなんかでも、凄く厳しいのがシーラというか戒律。
出家したお坊さんになると二百五十の戒律。
一般の在家修行者でも五戒て言って、まあヨガなんかでもありますよね。
これをしちゃいけませんみたいなやつ。
暴力してはいけません、盗んではいけませんとか。
戒律がすごくきっちりしているっていうのがあると思うんです。
では、なんで戒律がきっちりしてるのか?
これはすごくポイントなんですけれども、意識がある程度自由になってくると、私たちの住んでいる社会的なルールをにとらわれなくなってくる。
物理的というか、感覚的に普通の人間とは違ってくるわけです、良くも悪くも。
例えば、自分がご飯にいって隣の人がハンバーグ食べてても・・・
「もう私というものはいないし、私というのはもうすべてだから隣のハンバーグも私のものだから食べちゃっていい」
とかなんかねそういうふうにね。
意識の境界が来なくなってきたり、体の認識が変化してくると、ある種行動も自由になってくるパターンというのが多いんですよ。
ですから、そこのところがきちんとした教えれであれば、戒律みたいなのをある程度定めて・・・
「あれをしてはいけません」
みたいな戒律が組まれている。
これは何を示唆しているのかっていうと、意識が覚醒というかまあそういった状態になっても、必ずしも道徳的な行為を行うとは限らないという事を示唆してるわけですよ。
戒律の存在としては。
まあ、一般的な戒律のニュアンスとしては、戒律を守ると修行や瞑想が進むよ的な教えが表だとすると、実は裏的には修行者や周りを守る側面もあるわけです。
まあ、ちょっと話がちょっと逸れましたけれども、とにかく「エゴ」に基づいた方法は危険だよという話。
修行法であれ能力開発法であれそういったものを行う場合、こっちのエゴ方面の働きを強化してしまって一時的には本人は満足するけれども後々あんまりよろしくないことになるという事です。
ということでだからハートに基づく、心に基づく方法が安全だよっていうことです。
ハートにを開いて、それでそこから自分の本体(神様的)エネルギーと繋がったり意識を拡張していったり、そういった方法がおすすめですよという話。
ハートを開く。
つまり愛情だったり、他への思いやりだったり、そういった部分を開発していって、開いていくのが安全ですよっていうい話でした。
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