天国はほんとうにある 映画レビュー その2
前回からの続き・・・・
ではいったいこの映画のどこが感動ポイントなんだろうか?
というところから。
実は本も読んでしまったのだが、映画を上映していない地域の人はDVD化を待つか本を読んでみるのもいいかもしれない。
本の題名も『天国はほんとうにある』なんだが本の方が若干、宗教色が強いというかキリスト原理主義風の色合いが出ている。
本の方が聖書からの引用も多く、天国に行った子であるコルトン君も映画よりは熱狂的なところも。
例えば葬式に参列した時に棺を指さして・・・・
「あの人にイエスはいるの!?」
「イエスがいないとダメ!!」
と父親に死んだ人はキリストを信じていたのかと激しく語るシーンや天国にも剣はあると母親に語りかけるシーンなど、より強めのキリスト色は出ている。
なかでも、少ししか記載されていないが、サタンの話やアルマゲドンが起こる話など後半は若干マーヤ色が出てくる。
ただ、映画の方はさすがにそこの所は考慮したのかカットされていて爽やかに鑑賞出来た。
まあ、この辺の宗教色で好みはわかれるところではあるが、一番大事なのは・・・・
神様とつながる方法が語られている事だ。
========
神様と繋がる方法
========
映画のストーリー(実話)を簡単に紹介すると、コルトン君が死にそうになって手術を受けている時に父親のバーポ神父は神様を罵倒していた。
牧師は我を忘れる事を許されない、そう言ったのを憶えているだろうか?
私は、とうに我を失いかけていた。
どこかに逃げ込まなければいけない。
先生と話をした後、何百枚にも思える保険の書類に自分の名前を書きなぐると、私は走りだした。
小さな部屋を見つけ、そこに身を隠すように素早く入り、自分の後ろで力まかせにドアを閉める。
心臓が激しく脈打っている。
息をつくことが出来なかった。
絶望、怒り、フラストレーション。
それらが一斉に波となって私に襲いかかり、呼吸が締め上げられた。
みんなが動揺している時に、誰もが父さんを見る。
とりわけ、牧師の父さんを。
いま、ようやく、誰にも自分を見られることのない部屋にいるのだ。
そして、私は神に激昂しはじめた。
「いったいどこにいるのです? これがあなたに仕たえる牧師への仕打ちですか!?
あなたに仕えることは、それでもまだ、価値があることですか?」
・・・略・・・・・
憤激の涙が目にあふれ返り、頬へと流れ落ちる。
「足と腎臓結石と乳房切除の後で、こんなやり方で試練の終わりを祝わせようってのか?」
「あなたは私の息子を奪うのか?」
天国はほんとうにある P76〜77 抜粋
とこのように息子を奪われそうになって怒り狂って神を罵倒していたわけだ。
========
神に聞かれている
========
父親のバーポは後に教会の同僚にこう話す。
「そこまで取り乱して憤慨しているあのとき、神が、私の祈りをその手に取ることがあるなんて信じられますか?」
私は言った。
「私があんなやり方で祈ったことを、信じられますか? それでも神が”イエス”と答える事があるなんて、信じられますか?」
私が学んできた事はいったいなんだったんだろう?
私は、同僚に話した。
神は、神とほんとうにつながることは可能だと、思い出させてくれたのだ。
私は学んだ。
祈りを天国に届けるためには、いわゆる教会的な、神聖に響く祈りなんて、本当はいらないのだと。
「みなさんも、神に、自分の本当の気持ちを伝えようとするでしょう。」
「でも、神はもうそれを知っているのです」
なによりも大切なのは、聞かれていると悟った事だ。
私達は全員聞かれている。
天国はほんとうにある P140 抜粋
ということで、神はすでに私達の祈りを聞いているという話になる。
祈りをするのに教会も賛美歌などの形式も実はいらないと牧師が言っているのが興味深い。
でだ。
「じゃーリアルさん キリスト教以外の人はどうなんですか?」
という質問もあるかと思うが私の感じるところを述べてみよう。
実は・・・
続く・・・・
JUGEMテーマ:映画
ではいったいこの映画のどこが感動ポイントなんだろうか?
というところから。
実は本も読んでしまったのだが、映画を上映していない地域の人はDVD化を待つか本を読んでみるのもいいかもしれない。
本の題名も『天国はほんとうにある』なんだが本の方が若干、宗教色が強いというかキリスト原理主義風の色合いが出ている。
本の方が聖書からの引用も多く、天国に行った子であるコルトン君も映画よりは熱狂的なところも。
例えば葬式に参列した時に棺を指さして・・・・
「あの人にイエスはいるの!?」
「イエスがいないとダメ!!」
と父親に死んだ人はキリストを信じていたのかと激しく語るシーンや天国にも剣はあると母親に語りかけるシーンなど、より強めのキリスト色は出ている。
なかでも、少ししか記載されていないが、サタンの話やアルマゲドンが起こる話など後半は若干マーヤ色が出てくる。
ただ、映画の方はさすがにそこの所は考慮したのかカットされていて爽やかに鑑賞出来た。
まあ、この辺の宗教色で好みはわかれるところではあるが、一番大事なのは・・・・
神様とつながる方法が語られている事だ。
========
神様と繋がる方法
========
映画のストーリー(実話)を簡単に紹介すると、コルトン君が死にそうになって手術を受けている時に父親のバーポ神父は神様を罵倒していた。
牧師は我を忘れる事を許されない、そう言ったのを憶えているだろうか?
私は、とうに我を失いかけていた。
どこかに逃げ込まなければいけない。
先生と話をした後、何百枚にも思える保険の書類に自分の名前を書きなぐると、私は走りだした。
小さな部屋を見つけ、そこに身を隠すように素早く入り、自分の後ろで力まかせにドアを閉める。
心臓が激しく脈打っている。
息をつくことが出来なかった。
絶望、怒り、フラストレーション。
それらが一斉に波となって私に襲いかかり、呼吸が締め上げられた。
みんなが動揺している時に、誰もが父さんを見る。
とりわけ、牧師の父さんを。
いま、ようやく、誰にも自分を見られることのない部屋にいるのだ。
そして、私は神に激昂しはじめた。
「いったいどこにいるのです? これがあなたに仕たえる牧師への仕打ちですか!?
あなたに仕えることは、それでもまだ、価値があることですか?」
・・・略・・・・・
憤激の涙が目にあふれ返り、頬へと流れ落ちる。
「足と腎臓結石と乳房切除の後で、こんなやり方で試練の終わりを祝わせようってのか?」
「あなたは私の息子を奪うのか?」
天国はほんとうにある P76〜77 抜粋
とこのように息子を奪われそうになって怒り狂って神を罵倒していたわけだ。
========
神に聞かれている
========
父親のバーポは後に教会の同僚にこう話す。
「そこまで取り乱して憤慨しているあのとき、神が、私の祈りをその手に取ることがあるなんて信じられますか?」
私は言った。
「私があんなやり方で祈ったことを、信じられますか? それでも神が”イエス”と答える事があるなんて、信じられますか?」
私が学んできた事はいったいなんだったんだろう?
私は、同僚に話した。
神は、神とほんとうにつながることは可能だと、思い出させてくれたのだ。
私は学んだ。
祈りを天国に届けるためには、いわゆる教会的な、神聖に響く祈りなんて、本当はいらないのだと。
「みなさんも、神に、自分の本当の気持ちを伝えようとするでしょう。」
「でも、神はもうそれを知っているのです」
なによりも大切なのは、聞かれていると悟った事だ。
私達は全員聞かれている。
天国はほんとうにある P140 抜粋
ということで、神はすでに私達の祈りを聞いているという話になる。
祈りをするのに教会も賛美歌などの形式も実はいらないと牧師が言っているのが興味深い。
でだ。
「じゃーリアルさん キリスト教以外の人はどうなんですか?」
という質問もあるかと思うが私の感じるところを述べてみよう。
実は・・・
続く・・・・
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