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アヴィディア 無知 その4



 前回の続きからーーー


質問)
先ほどの話なんですけど、自分としては凄く心も安定して執着みたいなものも無くなったんですけど、次の展開みたいのもあるんですか?




あるよ、次になにがやってくるかっていうと智慧なんだよ




自分が考えて出した答えでなくて、直感的に理解されていく




そういうことを積み重ねて経験していくっていうのが今後に起こってくると思うよね




一元論と二元論の違いとかね、一元論的に観たらこうなるけど、二元論的にはこうなるだったりね






それは、どういう経験をするかっていうのは一概にいえないけど、起こる事が起こるよ








あと、質問は?






正しい判断や認識をしているかどうか自信が無いんですけど、正しい信仰とかもかつての経験でそう思うんですけど




自分で正しい決断をしても、他の人からはエゴの声だとかね、あなたが本当に望んでいることかどうかとか言われると、言われてみればそうかなと思ってしまうんですよ






現時点では誤った認識も正しい認識だから




いったら、完全にわかったら正しい認識が出来るわけだけれども、今は完全に正しい認識が出来るわけではない




でも、その誤った認識をしているということが色々な事を決定づけしているわけだから、その誤った認識っていうのが結局、御心にしたがっている事になるので、フタを開けてみればその誤った認識っていうのが正しい認識だったって事になるわけ




では、人にそれは違うと言われても自分がこうしたいと思った方を選ぶ方がいいわけですか?




そうそう、なにマーヤな事いっちゃてるのよって思っておいた方がいいわけ




そもそも、あなたの方の認識が正しい認識だなんてわかんないじゃない?なんで間違ってるって言えるのよ?




ってね? 笑




間違った事も正しい事なの




これはちょと違う比較かもしれないけど、俺が凄く御心だって思っている事があって、それはユダヤ人なんだよね




彼らはイスラム教徒が出てきて迫害されて、その後戦争でエルサレムはイスラム系の人達が住む事になったわけ




そうなった事でユダヤ人は国を追われて世界中に散っていった




そうすると、ヨーロッポとかにいってたらイスラム教徒はいないから、そこそこ安穏に暮らしてたわけ




ところが、ヒトラーが出てきてアウシュビッツが出てきて虐殺されたりしたわけだよね




ユダヤ人っていうのはヒトラーに始まった事じゃなくて、もっと以前から迫害され続けてきたんだよね




でも、そのユダヤ人達っていうのはつらい思いをしてきたけれども、最終的に第二次世界大戦が終わった後に建国出来たでしょ




あれって、多分、僕の考えでいくとアウシュビッツとかなかったら、イスラエルの建国ってなってなかったんだと思うのね




イスラム教徒が絶対的に強い支配の中で国を建国する事なんて出来なかったんじゃないかなってね




それだけの想いをしたからこそ、世界中の国が「国を返してやれよ」ってなったと思うのね




まあ、返ってもああやって摩擦は未だに起こっているわけだけれども、国を取り戻す事が出来たっていう事実があるわけじゃない?




それを経験した人っていうのは、堪え難き苦しみっていうのを経験したと思うんだけれども、その人達の子孫はちゃんと国へ返れましたよってなった時にね、ご先祖様は凄く喜んでくれるんじゃないかと思うんだよね




自分がそういう想いで死んでいったら、子孫の幸せしか願わないわけじゃない、いったら




僕はそういう事の積み重ねで、つまり負をもって成功したっていう一つの例だと思うのね




チベットなんかもそうだよ




あの人達だって国には帰れてないわけどもね、グルリンポチェが言ったように800年も前に予言されていた事なわけ




「中国に国を追われる」 って




そう予言されてたんだよ、その代わりに隠された仏教の秘密の教えが世界に花開くだろうという予言だったわけ




だから、ダライラマはじめ他の活仏とかも国を追われてても、国を返せ国を返せとか暴動しないわけなんだよ、あんなに大人しくしているわけ




なぜならば、それは予言どおりだったし、西洋に教えがひろまった事によってネオブディストとかを作りだしているわけよ




ね? リチャードギアとかそうじゃん?




それが一つの成果なわけじゃん




これから先、どうやったらチベットに民が帰れるかっていったら、それはまた幾つかのストーリーがあると思うんだけれどもね




俺はチベットの人達は帰れるようになると思うよ




中国が世界の表舞台で活躍すればするほど、チベットの問題っていうのはフタをしておけなくなってくると思うから




より、中国が人道的になってヨーロッパみたいに死刑制度が無くなるとかね?




EUなんかは死刑制度がある国は加盟出来ないんだよ、日本なんかは離れているから実感が無いけど、ヨーロッパだったらEU に加盟出来ないんだよね、死刑やっているから




アメリカだって死刑制度があるから加盟出来ないんだよね




それは、いかなる理由にせよ人の命を奪う事は許されない事であるっていうヨーロッパ人の人道主義的な思想を元にしているんだよね




僕はそういうところは立派だと思うんだよね、カトリックとかの影響が大だと思うんだけどね




死をもって罪を償うべきではないっていう考えだよね




だから、近代において侵略が行われているって事は考えられない行為なわけなんだけど、そこいくと中国っていうのはあまりの大国だから、どこの国も面と向かって抗議出来ないんだよね




パリの市長がダライラマを名誉市民にしたり、ノーベル平和賞を中国の反対を押し切って与えたりしているけど、それが個人個人に与えている精一杯の抵抗って事だよね




世界中でこういった事を認識してもらいたいっていうヨーロッパの人達の考え方だよね




だから、この件っていうのはこのままいくとは思わない、中国人も認めるようになると思うね




だってドイツだってアウシュビッツで起こった事は自分達の非だと認めたわけだし、日本だって本当はいろいろな事はもっと明確に明言したっていいんだよね






まあ、だからってチベット人は帰らなきゃ駄目だ!ってなっちゃたら、それはそれでマーヤになっちゃうわけよ






なんか脱線しまくりだけど、とにかく自分が正しいと思った事をやるのが正しいという事なんだよ




それこそ、ダライラマだって人民解放軍が攻めて来た時だって、民をおいて自分たちが逃げていいものかどうか16歳かそこらだから選択というか決断は辛かったと思うよ、無理矢理つれだされたんだと思うよ




でも、逃げてよかったんだよ




選択が正しかったかどうかなんて後になんないとわからないんだよ




で、一見、選択が悪かったように見えて実はそれこそが正しかったっていう御心もあるっていうね




学びであるとか、経験であるとか、必要であるべき事が起こってくるわけだから、俺からすると間違った決断っていうのは無い




「私はこんな間違った事をしてしまった」と思う事があってもね?




俺は、そんな事は無い、それは正しい事だと思っている




何であろうと




普通に生きていたら、きっとそれは死ぬ時にわかる




「ああ、間違ってなかったな、あの選択をしなかったら私はこうなってなかったし、これが自分の人生だった」って




誤った選択だったと思っていたけど、その時には誤った選択ではなかったと気づくよ




だから、そう気づけば成仏するよ




ああ〜 誤っていたんだ〜 で終わると不成仏霊になるから



おしまい


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アヴィディア 無知 その3 



前回の続きからーーー

質問)
すごく個人的な事なんですけどいいですか?



いいよ



先生に初めてお会いした日の事なんですけど、家に帰ってから夜になって頭に圧迫感が出てきたんですね


熱があるみたいになって、風邪とかじゃないんですけどね、それで寝れないから病院に行った方がいいかなって思ったりもしたんですよ


で、翌日になったらだいぶ冷めてきて、感覚が頭頂の方に感覚が集中してきて、お酒を飲んでいるわけじゃないけど酔っぱらっているみたいな感じになったんですね




うんうん




何が起こっても楽しいみたいになって、普通に仕事も出来るんですけどお客さんと話している時にシリアスな内容の時も楽しくてしょうがないみたいな




それが一日終わりまして、次の日になりましたら頭のてっぺんから抜けて観るような意識になりまして、肉体に固定されていたトリガーが外れて意識が拡大する感じで周りがすごくきれいに見え始めてたんですね




で、あまりに奇麗でまるでホログラムのような感じにみえてきまして、そのホログラムを創造している存在がーーーー




※ (ちょとこの辺でテープ起こしする感覚にストップが入ったんで、個人的な体験談はこれ以上はネットで書かない方がいい気がしましたので、詳しく知りたい方は縁があればご本人から直接聞いて下さい。)




ーーー で、次の日にフタが閉じてしまって普通の状態に戻ってしまったんですけど




なるほど、とてもいいね〜




まず、酔っぱらうだよね、とにかくいい気分になっちゃうんだよね




その状態になるのっていうのはひとつの恩寵だと思うんだよね




で、そういう色々な経験が起こって、フタが閉じたように元にもどっちゃう 笑




色々な人を教えていて僕は思うんだけれども、人によっては何の経験もなくてジワジワ起こってくる場合もあるし、人によっては会ったその日に覚醒状態に入っちゃうみたいな人も過去にもいるんだけれども、必ずフタを閉じたように戻っちゃうんだよね




でも、僕が普段なにを話ているかっていう意味をわかるんだよね




もう、言葉じゃないなと




これはなにをどう説明するとかじゃなくて、百聞は一見に如かずで意識の広がりだったりとかを経験してみないとわからないなって事はわかるんだよ




で、今度はどうやったらその状態を維持出来るのかってところを学んでいかなきゃいけないってことなんだよ




それがマーヤ解きなんだよ






先生に会うのがいいことではないってことですか?




会ったからこの前はそうなったんだろうけど、必ずしも毎回会えばそうなるって事でもないんだよ、神様は都合よくそういう風にはしてくれないわけ




なぜならば、会えばパカッて開く簡単なもんだったら、自分の努力は必要なくなっちゃうわけ




やっぱり自分の努力も必要だから、僕に依存したらいけないと思うわけ




でも、なんの期待もなく会ったりすると、またパカってなったりすると思う




そこはね、神様がやることだから、我々にはどうすることも出来ない






こういう事なんだよ




我々人間はみんな意識体なんだよ




生きててさ、意識で生きているじゃん




記憶が在るか無いかだって意識じゃん




生きているけど、植物人間だったりアルツハイマーだったり、意識が別のものになったら別のものでしょ?




今、この私が在るのは意識があるからなんだよ




この意識がこの私を形成している核になっているもなんだよ




その意識っていうのはそれぞれコンタクトをとりあっているんだよ




タ〜タッタ タ〜タ〜タ〜〜〜ッ って  笑




例えば電車とか乗ってると、あれっ おかしいと思うとジロジロ見ている人とかいるじゃん?




感じるんだよね、何かを




そういうのも意識なんだよ




レストランとかでも、ジーと見ている人がいると気づくもんなんだよ




見られていると気づくっていうのは意識が飛んできているからなんだよ




道とかも歩いている時に、あっなんか声かけられるなってわかるじゃん?直前に




それは、もう声をかけるっていう意識がきてるんだよ、だから、サッて逃げたりとか 笑




これは普通にみんなが普通に経験していることなんだよ




だから、お母さんは言うわけ、悪い友達と遊んじゃ駄目よって




うつるんだよ、その子の本質は変わらないけど言葉使いが悪くなったりね




人間っていうのはミラーニューロンっていうのもっているからコピーするわけ




僕なんかはインドとかチベットでグルの元で暮らしていて、そんときは解りはしなかったし奇跡もなかったけど、自分と師匠の間で潜在意識でかわされていたコミニュケーションっていうのがあったって事は確実にわかっているし、それが大事な事なんだよ




喫煙所だと思えばいいんだよ、喫煙所ってモクモクしてるじゃん?




その中で一人がバニラの香りのタバコを吸っていたら、その煙がほかの煙と混じるわけ




10人そこでタバコを吸っていたら、全員の煙がバニラになっちゃうんだよ




それと一緒で、グルに限らず精神的な影響を与える人ってバニラみたいなもんなんだよ




結局、混ざりあった時に一体化するって事なんだよ




その一体化した時の煙っていうのは、もはやどっちが自分のでどっちが自分のじゃないか言えないって事なんだよ




Tさんも色々な人の煙と混ざっていると思うんだけど、神様の煙の人と混ざるともはや自分のものになるって事なんだよ




これは自動的なの、自動で起こるんだよ




俺は「俺は凄いぞ」とは言わないけれども 笑




でも、これはどこででも普通に起こっている事なんだよ




例えば音楽は素人の人でもミュージシャンと一緒にいると音楽に関する目が開いてくるというか、触発される事とかあるわけ




自分はオシャレじゃないけど、オシャレな友達といたらだんだんオシャレになってきたとかね?




乞食と一緒にいたら、自分も乞食みたいになっちゃたとかね 笑




絶対になんらかの影響はしあっているんだよね




こういうものに限らず、なんか自分が持っていないものを持っている人と意識をコミュニケーションさせるっていう事っていうのは大事だって思っていた方がいい






だから、僕のところにきてすぐにパカってなる人もいるし、ならない人もいる




そういう時はマーヤ解きもそうだし、汝の力の限り神を愛しなさいみたいなお祈りをするとか、瞑想をするとか個人個人にミッションって違うと思うからね




その積み重ねっていうのがその人の個性を造りあげていくっていう事なんだよね




なんにしても神によって与えられていると思って感謝していればいいんだよね






先ほどの話なんですけど、自分としては凄く心も安定して執着みたいなものも無くなったんですけど、次の展開みたいのもあるんですか?




あるよ


続く。。。



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アヴィディア 無知 その2



 仕事はリストラになっちゃた


仕事でヘマしちゃった、ガクっみたいな


落ち込まなくていいから、仕事はなんだってあるから


なんだっていいと思っていない自分がいるだけなんだから


自分はこんな仕事してきたから、次にする仕事もこんな仕事じゃなきゃいけないっていう決めつけがあるわけ、そこに


これじゃだめなのか?ってとこなのよ


これでいいんだってなれるはずなんだけど、マーヤがあるとそれじゃ駄目だになっちゃうんだよね


そうすると、結局、仕事にもありつけない状態が続いちゃったりね


結局、マーヤっていうのはそういった微細にわたって我々の心を蝕んでいるわけ


だから、マーヤっていうのはなんなのかっていうのをメインに解説しているわけ


例えば、自分がどうゆう幼少期や成長期を過ごしてきたか、どのように今まで生きてきたかで、その人特有のマーヤが形成されているというわけ


そこのところをつつかれただけで「ぐわ〜」と落ち込んだりするわけ


例えば、子供の頃からお前の鼻変だぞってからかわれた


子供の頃はそれを言われると嫌な思いしたけど、大人になってからは気にならなくなった

でも、あるきっかけで「お前の鼻の形、変だぞ」って言われたら立ち直れなくなったみたいなね?


パンドラの箱を開けちゃたみたいなね 笑


他の例でいくとね?


我々は勝ちなさいと教えられてきた


競争に勝ちなさいと


今の子供は少し違うみたいだけどね、ABCとかランク付けしないんだよ、だからどの程度出来ているんだかさっぱりわからないよ、通信簿みただけじゃ


だから、子供にランク付けするのはマーヤなんだと大人達もやっとわかったみたいなね 笑


でも、それ以前の我々はランク付けられて、更には偏差値までもあてがわれてね?


「お前の偏差値はいくづだ?」

みたいなね、お前はゾンビだって宣言されるみたいなもんなんだよ


「お前はそれっぽちしかないのか〜」


みたいなね 笑


そういうような事をね? 我々は競争、競争ってやってきたわけだけれども、競争なんかマーヤなんだよ


本来、人間は一人一人個性があっていいわけ


その個性でもって生きていくのが彩りなんだから

懐石料理みたいなもんだよ


なんで懐石料理がいいかっていうと、その種類の豊富さとか彩りだったりするわけじゃん


家ではせいぜい2〜3品でさ、色だってどす黒かったり茶色だけだったりするわけじゃん


それが懐石料理とかでカラフルなものが出てくると「わ〜 おいしそう〜」ってなるじゃん?


我々一人一人だって彩りなんだよ


ここが重箱でおせち料理だと思ったらいいんだよ


そういうのがなかったら面白くないわけじゃん、味だけじゃなくて彩りも豊富だしみたいな


人間がみんな一緒だったりしたら面白くないわけじゃん


なんでこの世界が面白いかっていったら、いろんな才能、顔、個性の人達が一緒くたにいるからだって事なんだよ


そこで当然、もめたり喧嘩したりするわけだけれども、それがある意味、美なんだよ


美しさなわけ



例えば紅葉だって全部黄色だったり、全部オレンジだったりしても面白くないわけ


きれいだなって思う時って、絶妙なグラデーションだよね

緑 黄色 オレンジ 赤 ってなっているっていうね


一色で統一されているのって、あんまし面白くないじゃん


人間も一緒だよね


この世界は面白いと思う、僕は


美に満ちていると思うよ


いろんなセンス、個性で織りなされている


僕からすれば、すごい美だと思う


でも、その違いっていうものを時に否定される事があるんだよ


「お前、なんで赤なんだよ? ここはオレンジの紅葉だぞ! オレンジになれよ!」


え〜〜 俺 オレンジだし。。。  みたいにね 笑


赤でもいいじゃないか


「俺はオレンジだけど、赤にならなきゃいけないのか。。。」


と思う事がマーヤだっていう事なんだよ


「バカやろう〜 いいよ、俺は赤だよ」


って開き直ればいいわけ


ね?


で、ただ歯向かっただけなら、アウトロー的な認識じゃん?


でも、マーヤだなって思う事によって、根底から肯定されるの


なぜ、周囲がオレンジだからって自分もそうなる必要は無いわけさ


「俺は毎年、赤だからしかたねえだろ」

って歯向かっているだけだったら、ストレスはかかってるわけじゃん?


ちゃんと正当化されてないんだもん、自分が正しいと思っているだけだから


でも、なぜオレンジじゃなきゃいけないんだ???って事をマーヤという言葉を使って認識する事で自分のカラーの違いが根底から正当化されるわけ


なぜならば、マーヤとは認識なんだよ


我々人間の機能が、これを見た時に善か悪かって言う風に判断するわけだ


でも、この判断というものは私の経験に基づいているのであって、正しいか判断なのか間違った判断なのかは、どこまでいっても結論が出ないっていうことなんだよ


これを誤認っていうわけ、無知ともいう


例えば、夕暮れどきに山道を歩いているときにロープが落ちてたとして、それを蛇だと思っちゃう


それは誤認なわけ、無知なんだよ


どう見ても蛇にしか見えないって事ってあるでしょ?


俺もあるよ、山道歩いていて熊だと思ったんだよ、葉っぱだったんだけどね


でも、熊だと思ったら熊にみえちゃうんだよ


こういうのを誤認っていうんだよね


でも、誤認する作用を我々人間は持っているっていうわけなんだよね


これは行ってみて蛇なのかロープなのか確認しなくちゃわからないって事なんだよね


でも、行って確認しようと思ったら襲われちゃうっていうね 笑


まあ、我々は誤った認識にもとづいて行動しているって事が多々あるわけだよ

すべての判断が正しいわけではない、マーヤだってとられる


どうしたら正しい判断が自分にとって出来るかっていうね?


「ああ、これはこうなんだよね、俺知ってるからさ」


じゃなくて


「これはこうなんだと私は認識しているけれども、これはマーヤかもしれない」


って疑うっていう機能を脳の中に仕込んでおけばいいってことなんだよ


例えば、朝起きていまひとつ気分がすぐれない時はマーヤかもしれないって思えばいいんだよ


じゃーマーヤだとしたらなんだろう?


って考えていけばいいんだよ


探偵になったと思えばいい


いつまではいい感じでいつから落ち込み気味になったのかを探せばいいんだよ


それを思い出す作業をすれば、あれかな?みたいのが出てくるから


あのテレビを観ていた時に昔の事を思い出して落ちゃたのかな? とかね?


それが正解だったら、無くなるから


昔から目からうろこって言うでしょ?


目の前がパッと明るくなるんだよ


あっ これで俺は落ちてたんだなって気づいた瞬間に目からウロコが落ちたらマーヤ解きに成功したって事なんだよ


スッキリしなかったら、もっとどんどん考えなきゃいけない


で、考えていくとマーヤになった原因というのがあって、なぜそういう原因というか事象によって自分が落ち込むのかっていうことっていうのが理解されていくと、自分のトラウマとかも解決されていったりするんだよね


なんとなくわかりました?


なんとなくでいいんだよ、そのうちどんどんわかってくるから

続く。。


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アヴィディア 無知




今回のお話はマーヤについての説明が前半にあって、その後、和平先生に会って意識がパカッとなってしまった人の質疑応答なんかをアップしていく予定。


質問
マーヤってなんですか?


マーヤっていうのは、ほんとうはインドの言葉で幻だったりとか実態が存在しないものをいうんだよね

それとは別にアヴィディアっていう無知っていう言葉があるんだよ

僕のところでは幻っていう意味と本来の意味であるアヴィディアっていう無知的なものをいっしょくたに使っているんで俺の造語っぽくなってるんだけど、厳密にいうと僕のいうマーヤはインドの人からすればマーヤじゃなくてアヴィディアだよって言うかも知れないんだよね

でも、アヴィディアっていいにくいじゃん?

なんか、アジャパーみたいでさ 笑

マーヤって言った方がわかりやすいじゃん


日本語でいえば「まやかし」と同じような感じだよね


まやかしの語源はマーヤなんじゃないかと思うんだけどね

あると思っていたのに無かったみたいなね

まやかされたみたいな

凄いきれいなお姉さんが歩いてきたら狐だったとかね 笑


そういう、まやかされたみたいなニュアンスでも使っていて、例えば、この世界でもね?

日本人にとっての常識ってあるじゃん?

俺はそういうのもマーヤだって言っているんだよね


現時点では常識だと思っているものも、時代が変われば変わる可能性がある


例えて言うならば、極論なんだけれども人を殺すっていうのがあるじゃん?


日本の自衛隊はあてはまらないと思うけど、アメリカとかフランスとかの軍隊で銃を持っていてね?


色々な前後の事情はあると思うけど、そういう人たちは職務を遂行したって事になるじゃない


だから、正しい事をしたわけ、人を撃ち殺すっていう行為も


でも、我々みたいな制服着ていない人たちが人を撃ち殺したら殺人に問われちゃうっていう事なわけ


これは本当の極論なんだけれども、結局、何が正しくて何が正しくないのかっていうのは計りがたいってことだよね


例えば、自分がなにかしてしまって落ちこんでいたりとか、人生の落伍者だとか言う風に思い込んで、自分にある思い込みや決めつけをしてしまうことで、人生が楽しく無いものになることって多々あるじゃない?


私は罪人だから駄目なんだとか

私は悔い改めて生きていかなきゃいけないんだとかさ


なんか、そういう風におもっちゃうかも知れないけどさ


「あんた、全然そんなことないよ」っていう事だって全然あるわけだよね


例えば、親の言いつけに従わなかった


親はこういう考え方だったけど、それにそった生き方が出来なかった


親の考えにそった生き方が出来れば、その人にとっては嬉しい事なんだけど、そうでなかったら駄目だっていう認識なんだよ


そういう親の呪縛を大人になってもなにげに引きずっているって事


親の期待どおりに生きていれればいいけど、そうでない場合


「俺の人生、親が喜ぶようなところは無かったな、俺は親不孝もんだな。。」


みたいに、自分は正しく生きられなかったんじゃないかなって思っちゃたりね


俺はそんなのはマーヤだっていうんだよね


そういう言い方をするわけ


そんな事にとらわれるな、マーヤにとらわれるなってね


自分の生きたいように生きなさいってね


そんなの幻なんだから、まやかしなんだからってね

騙されてるだけだよってね、幻なんだから


本当は動物なんだから、所詮、人間なんて


続く。。





 



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悟りってどんな感じ その4



前回のつづきから。。。



無知とは違うんだよね。
赤ちゃんっていうのは、生まれたばっかりでなんの経験もないじゃない?

でもわれわれはいろんなこと経験して理解した状態で赤ちゃんのような
心の状態になるっていうのは無知ではなくて、
知っていながらそれに執着しないだとか、
知っていながらそれを手放しているとか、無知を超えた状態ということなの。

だから赤ちゃんのまんまだったらだめなの。
赤ちゃんのままだったらその人はただ幼稚っぽい人になっちゃうわけ 笑

ただ、いろいろなことを経験して、逆戻りのことを経験して
そういう心の状態を得られているのならば
その人っていうのはなんかどっかに至ったんだなって感じ。
そういうふうに僕は思ってますけども。

ほかにあります?

質問)
お肉を食べるとすごい罪悪感があるんですけど。
ヴェジタリアンでもなくて、食べたら美味しいんですけど…

俺は美味しかったら食べろ派だけども。
でも僕なんかも伝統的に肉なんかを食べちゃいけないってとこにいたから、
肉を食べだしたときはやっぱりすごい罪悪感があったりしたよね。

肉を食べるっていうのは殺生をしたりとかエネルギー的によくない影響が
あるだったりとか、そういうことを見聞きしたことで
なんかこう潜在意識に染みついちゃってるってことも考えられるし、
過去世で修道女だとかそういう生活してて
そのムードっていうのが今世でも残ってて、それが食べたらあか〜ん、
食べたらあか〜ん、って出てきてるのかもしれない 笑

でも俺からすればそういう印象っていうのはマーヤだから。
ただ、肉を食べられないだとか食べたくないだとか食べなくていいんだったら
ぜんぜんそれでいいと思うのね。

でも、食べちゃだめっていうのは違うと思うわけ、やっぱり。
うん。
喜びなくして人生なし、だから。
不幸のどん底にいた僕だから言える言葉、みたいな 笑

喜びをひたすら願い続けてきたこの私が
やっと喜びを得られる境地に達して
今やすべてを喜ぶようになっていますけども。

やっぱり伝統的な世界ではこれしちゃだめ、あれしちゃだめってことが
すごく多くて、僕もそれに縛られ続けてきたけども、
そういうのが全部マーヤだってことがわかったわけね。

それによって僕はほんとに自由になれたから。
それはわからなくてもいいから、また肉食べて罪悪感がでたら
この罪悪感どこから出たんだろう?って考えてごらん?

で、多分すぐ答えはでない。
でもずっとそのこと考え続けてると不思議と答え出るんだよ。
なんでも、わかってるとかわかってないとか関係なく、
あることに答えが出ると思って考えてると答えがでると思ってるの。

でも、みんな出ないと思ってやめちゃうんだよ。
出ないと思ってやめちゃうから答えが出ないんだと思うわけ。
だから出ると信じて考えてればいい。
出ると思ってそこに賭けつづけてればいいと思うのね。

僕はなんか今日はそんなにマーヤじゃないなって思っても、
マーヤじゃないわけないんだから、自分はマーヤになってるんだって
マーヤだマーヤだ、って自分がマーヤであることを疑い続けろって
僕はよく言うんだけども。

マーヤじゃない、いや、きっとマーヤに違いない、なんのマーヤだろう?
ぜったいなんかマーヤがあるぞ、ってわかんなくてもそういうふうに
疑い続けることが、埋もれて隠れてて自分の喜ぶ心への障害に
なり続けているマーヤっていうのを発見することができるってことなわけ。
潜在意識下で悪さをしてるマーヤを発掘できる。

だから常にマーヤがあるってことを疑い続けることも必要だよって
僕はみんなに言ってるんだけども。
とにかく考えてれば僕は答えが出ると思ってる。

だから、なんで罪悪感が出るんだろうって、なんでだろうなんでだろう?って
すごい抽象的だけど、なんでだろうって思い続けてることが大事なの。
なぜならば、疑問があるところには絶対答えがあるからなんだよ。

答えなくして疑問はないから。
ということは、その疑問が生じるってことはいつしかその答えに
たどり着けるはずなんだ。

ね?
答えがなくて2+3は?っていうのは愚問なんだよ。
答えがなくて2と3をくっつけることになんの意味があるんだ?ってことになるでしょ?
5っていう存在があるからこそくっつけることがあるわけじゃん。

もし5がなかったらまったく無意味なんだよね。
2+3はタダ働きみたいなもんだよね 笑
誰がタダ働きするかってことなわけだよ。

仕事することはお金をもらえることである、じゃあただ仕事をしたいのか?
お金がもらいたいのか?っていったら
お金をもらうのは食ってくためで、お金をもらうために働いてる。
っていうことは、仕事するっていうことは?って疑問があったら
答えはお金をもらうこと、っていうこと。

それと一緒で、まず答えありき。
心の探求するとしても、なぜ探求するのかっていったら
そこに答えがあるから、って僕は思ってるわけ。

答えがないことに対する探求っていうのはなんにもないと思うんだよね。
だからこの世界にある疑問っていうのはすべて答えがあるって僕は思うわけ。

だからこの罪悪感はどこから来てるのかっていうのを
考え続けることっていうのが大事なことだと思うから、
探求してください。

ね?

質問)
すでにみんな悟っているとしたら…悟りって時間がなくて、あることがあったってことだと思う
んですけど「悟る」っていうと時間の観念があるじゃないですか?
もし全員が悟ってるってことならばそういう、悟りっていう概念とか悟る経験も必要ないですよね?

あのね、基本的にはその答えをいう次元っていうのと
神秘体験をすることによって悟りを経験するっていう次元が違うんだよ。

だからたとえば、絶対者っていう次元があるでしょ?
それはあるってこともないってことも、まず「ない」んだよ、この次元においては。

ここにおいてはすべての次元っていうのが「ある」。
われわれが認識しているように存在しているのではない。
けど、ある。

じゃあ、われわれにとって悟りっていうのはある。
でも、それはない。
悟りっていう体験はないってことになるわけ。
それっていうのは絶対的な次元で語られてるんだよね。

でも、たとえば僕はこういうふうに考えるんだけど、
ここに答えがあって、ここに問いがあって、ここに考えるっていうプロセスがあるときに
答えっていうのは「私はそれである」…仏教だったりとかヴェーダンタの考え方っていうのは
答えに立脚してるってことなわけ。

でも、バクティなんかは問いなんだよ。
答えに至ろうとする問い。
だから問いを答えに向けて発し続けるってことなわけ。

だから原因と結果って見方をするならば、ジュニャーニャっていう
答えに立脚しているものっていうのは結果なんだよ。
結果論なわけ。

結局わかっちゃいました、ああ悟りなんてないのね、
すべて円満なのね、ってそれは結果を言ってるわけ。

でもバクティなんかは答えに向かって神に対して信頼する、
神に向かって祈るってことをやる人っていうのは、
こっちは結果だけども、答えに向かって原因が存在してるわけじゃない?

悟る意識が存在してるのは必ず原因があって、その原因ってのは
神なわけじゃない?
だから結果ではなくてその原因である神に向かうっていうのは
バクティのやり方なわけ。

これが本当にすごいバクタになると、結局これもどうでもいいと。
悟るも悟らないもどうでもいいと。
私にとって大事なのは原因である神だけだってことになってくるわけ。

だから一生この人は悟りがなくても神の思し召しのままにって
生きられるようになるから、このバクタっていうのは
最高の神の恩寵をうけた幸せの状態に留まれるってことなわけ。

で、ヨガっていうのはなんなのかっていったら
このプロセスを重視してるわけね。
結果と原因、このプロセスっていうのがヨガだと思う。
実践をすることによって近づいていくっていう進行形の考え方ってことなんだよね。

結果に立脚したものの考え方っていうのと、
原因に立脚したものの考え方っていうのは
次元が違うわけだ。

同じひとつの次元上に存在してるわけじゃないって僕は考えてるわけ。
だからバクタとジュニャーニっていうのは最初からスタンスが違うわけなんだよね。

でも修行者っていうのはどっちの感覚っていうのも得られるから
あっちの次元いったりこっちの次元いったりしながら
最終的にここに向かっていくんだと思うんだけども。

やっぱり、結果を見る人たちからすれば悟りという現象はない。
みんなすでに悟ってるんだから。
悟りなんかない。

ゾクチェンもそういう考え方。
ゾクチェンパは、人は生まれながらに悟ってるって考え方をするわけ。
で、サキャ派では道に入ったらもう悟ってるっていうわけ。

道に入らないかぎり悟りはないけど、って。
だから、修行者には悟りはすでにある、と。
たとえわかってなかったとしても。

ダライラマのゲルク派は、修行することによって悟りに行くって考え方をするわけ。
チベット仏教も諸派によって悟りのとらえかたっていうのはぜんぜん違うんだよね。

ダライラマのところは道次第。
サキャ派は道果説。道と結果が同じものっていう。
で、ゾクチェンっていう自然成就の法みたいなのがある。

でも、われわれが今の意識のまま、じゃあ悟りはないのかっていったら
それはただ放棄しただけじゃない? 笑
それだったら今までと変わらない人生になっちゃうってことなんだよ。

だから、悟るとか悟らないとかそういうことは別としても
自分がよりよく向上するために正しい導かれかたを神様によって
されることを願いながら、自分がいますべきことをする。

バクティでもいいし、ジュニャーニャ的なアプローチでもいいし、
いま僕のところにきてたらとにかくマーヤ解き、と。
で、夜はちょっと瞑想するといいよ、と。
マーヤにならない程度にね 笑

そういうのを実践していくことでそこに近づいていこうとするってことが
大事なんじゃないかと思う。

いったら、こうやって話すことも重要じゃないし、
概念で理解するってことだってほんとはたいして重要じゃないんだよ。
っていうのは、今の自分の頭の状況で理解できるものっていうのは
限界があるわけだよ。

でもこの世界でわかることっていうのは頭の理解を超えてる。
言葉を超えてる。
それっていうのは言葉ではない。

まあ話すことに意味がないっていったら俺も…
だから喋るわけだけども 笑

そういう状態を目指してそれなりにがんばっていくってことで
今はいいんじゃないかなと。
次元が違うんだよ。

ほんといろんな次元があるから。
そのほかにもさ、宇宙人がいるとかさ、神々様がいるとかさ、
お化けがいるとかさ、引っ越しがいいとか悪いとか方角とかさ 笑

そういういろんな次元がこの多様化したマーヤの世界の中にあって、
それをマーヤとして、もうひとまとめにしてポイってすることもできるわけだし、
それをひとつひとつある程度はなんとかしとかないとって人もいるだろうし。

でも、マーヤだったらマーヤなんですよ。
べつに、引っ越して悪い時期に最悪の方角で家立てて誰が死のうが
神のみこころだろ?ってそこまで思えるんだったらいいわけだよ。
なんにも問題ないわけ。

イスラム教でも言うじゃん?
あるスーフィーが激流に流されてて、村人が見ててお〜い大丈夫か?今から助けるぞって言ったら
大丈夫です助けなくていいです、すべてはみこころのままに、ああ〜って言って
流されて行っちゃったっていう話があるけどさ 笑

それは最高の状態だよ、心の状態として 笑
槍でも鉄砲でも打ってきやがれ、って。
俺はもうみこころなんだから、って。
そこまで強かったらなにも問題ない。

でも弱いわけだ。
悪い時期に悪い方角に引っ越して家建てて
なんか誰か死にそうだっていって調べてやっぱり方位はちゃんとしたほうがいいなんて
思ったりするならそれはそれでやればいい。

弱いのは弱いなりに弱くていいんだから。
それが弱い人にとってのあるがままの状態だから。
そんな完璧なスーフィーみたいになれなんて誰の言ってないんだからさ 笑

俺はいわないよ、流されて、ああ〜みこころのままに〜なんて。
それが俺たちだ、なんて一言も、口がさけても言わないから 笑

ってことで、おしまい!





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悟りってどんな感じ その3



前回のつづきから。。。



俺はもっとひどいけどね。
もっといろんな理由を探しちゃうから。
やっぱり似たような思考回路を持ってるんだね 笑

結局、すべてに対して原因だったり理由だったりそういうのを知りたがるとか。
でもまあ、そこで満たされればいいんだけどね。
行ってね。

でも僕は満たされなかった 笑
私も満たされてません、っていうんだったら一緒かもしれないけど、
楽しいことは楽しかった?

楽しいことをやって楽しいのはOKだと思うの、僕は。
やっぱりそこのところっていうのが、なんていうのか
人間っていうのは不完全なものかもしれないけど、その不完全でOKなんだよね。

でも、その不完全でOKってところに最初から辿りついてる人もいるし、
その不完全さっていうのをイヤっていうほど思いしらされて
この不完全から逃れられないってところに辿りつくっていうのも
ひとつの答えだと思うしね。

すごく悩んだ人が時にアジア、インドに旅行する。
そうすると悩みが解決するっていうのがよくあるんだけど、
それってどういうあれなのかなって思ったときに、
結局、悩んでいた人がインドに行ったときに、悩んでいたことに答えなんかないんだ
ってことが答えだっていうことなんだよね。

ていうのは、自分は日本に生まれ育って、なにに対してもきっちりと結末を
つける、理解するってことが必要だと。
ところが、日本で生活してて、ある決着がつかない出来事に出くわしてしまったと。
そのときに、決着がつけられない自分っていうのにすごく悩む。

うん。
そうなったときに、インドなんかに旅したら、きっと救われると思うんだよ。
あの国見たら、混沌じゃない?もう 笑
もう、みんなメチャクチャな生き方してるわけだから。
あっちこっち違う方向見て暮らしてる。

あの人たちを見たときに、あ、自分が求めてた答えに答えはないんだ、
ってひとつわかるっていう。
そういうのもひとつの悩みの解消法なのかもしれない。
だからインドっていうのはそういう意味で強烈なインパクトを与えてれるところかもしれない。

でもまあ、僕はそれじゃ満足しなかったわけだよね。
絶対、その混沌の中にある法則があるはずだと。
で、その法則を知らないわけにはいかないっていうのが僕なんですよね。

で、やっぱりそれを探求し続けてきたところ、やっぱり僕としては
求めた答えに至ったんだよね。
それっていうのは、自分の過去を見渡したときに、
自分の意志でやったことはなに一つなくて、
すべて導かれてやったことだと。

常に危険からは守ってもらってたし、なんかこっちのほうに行きたいなって
理由もなく混沌としながら行くわけだけど、
結局そこに行ったことによってそこに起こった出会いっていうのも
自分にとって必要な出会いだったってことを後になってはっきりわかる。

それを見たときに、ちゃんとここに行ってあの人に出会う、
そこでまた放浪してまたこうすることでこの人に出会い、っていうことっていうのは
すべて定められてたことなんだなってことを、僕はその経験の中でハッキリと見た。

そのときに、ああ〜やっと答えを見た、と。
俺は虫ケラだ、と 笑
ね?

俺の意志なんてのはどこにも一切なく、
結局、神のたなごころの中でコロコロ転がされてただけなんだなってことだったわけ。

でもね、今はこう思うわけ。
チベット人とかってなんのために五体投地したりするのかっていうと
みんなにインタビューするとね、来世ちゃんと生まれてこれるようにって願って修行してるわけ。

あ、それって正しいかもしれない、って僕は思ったの。
今世はひたすら修行でしょ?で、死ぬじゃない?
死んで次の人生になるってときに、結局どんだけがんばったかていうとか
修行したかっていうのは次の人生を決める大事な要因になるわけ。

お前どれだけがんばったね、じゃ、次はもうちょっといいところに生まれ
変わらせてあげようとか、神が采配してると思うから…わかんないけどね。
だとしたら、今世で一生懸命修行する価値ってそれなりにあるのかな、と。

まあ、でもそれはハッキリしたことはわかんないことだけど。
だから僕は自分自身でなんか、自分で混乱して四苦八苦していっしょうけんめいやってきたけど、
結局どれもこれも定められてたことで、
ここに至ってすべてが見えたときに、混乱の出口から出られたなと思ったの。

ああ、ひたすらゆだねていけばいいんだなと思ったの。
だから混乱がなくなった。
たとえば次の日に混乱したとするじゃない?
あ、これもみこころなんだなって思うから。
これも神の意志だからだな、って悩むこともない。

また、こんな困ったことが起こったら、これもみこころだなって。
そういう意味で混乱とか苦しみってたしかになくなりましたよね。
うん。

それがだから僕の意識っていうのが完全に変わったことで得られたことなので
多くの人が自己完結してるかもしれないし、多くの人が混乱してるかもしれない。
僕は混乱してる人たちのよき道しるべだと思います 笑

さんざん混乱してたからね。
まあ、人によっていろいろだけど、僕はそれは神様がお与えになったことだから
というふうに解釈する。
うん。

だからこっちに行くのも、いろいろ悩んで自分が決めた決めないじゃなくって
結局、行くときは行かされるってことなんだよね。
僕なんかはそう。

なんか質問ないですか?

質問)
赤ちゃんっていうのは無知とは違うんですか?



つづく。。。



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悟りってどんな感じ その2 



前回のつづきから。。。


おかしいと思ってるよね、やっぱりね。
小さいときから。
だって、みんなと同じにならないから。
みんなが夢中になることに僕は夢中になれないから。
やっぱりそれはおかしいな、と。

質問)
でも、それを気づいてるってことはすごいことですよね。
私も、ぜんぜん自分ではそう思わないのに、ずっと変わってる変わってるっていわれてて、
でも自分ではすっごい普通って思ってて、今でもそうなんだけどパートナーから
あんたはみんなと同じと思ってることが違うんだよ、っていわれるんだけど、
でもどこも変わってないと小さいときからずっと思ってるけど、やっぱり変わってるって…
そこがわからないからずっとなんかこう…

たぶん、自分が変わってるってことを自分がわからないっていうのは
それでスタンダードに生きてて支障がないからなんだよね。
それでうまくいくからなんだよ、周りとのコミュニケーションがなんとなく。
周りも、ちょっと変わってるね、って受け入れてくれることによって
それで差し障りがない状態が続くっていうか。

僕もね、べつにこういう性格なので、周りの人間と差し障りなかったわけでもないんだけども、
僕自身が人と接触するのがあんまり好きじゃなかったのね。
どっちかっていったら僕と関わらないでくれっていう方向性が強かったから、
やっぱりちょっと病的は病的だったと思うのね 笑

病的だよね 笑
だって○○さんの場合は明るいんですよ、だからちょっと変わってるって言われても
明るいからきっと○○さんといると周りの人も楽しくなるとか
そういうのがあって、べつに変わってるってことを認識して悩む必要性もなかったんだと
思うし、逆に今度そうなると病的になっちゃうから、きっとそれは○○さんにとって
必要じゃなかったってことなんだよね。

質問)
私、明るいって言われるんですけどぜんぜんわかんないんですよ。
なにが?どこが明るいのかわかんない、って…

いや、明るいですよ 笑
それも困ってないですよ、明るいっていわれて。
お前は暗い、とか、お前はイヤだと言われると自分としては困るわけですよ。
だから悩みの方向性にいくでしょ?
そういう人はやっぱり自己探求だったりとかいうのに入っていくと思うのね。
たぶん、○○さんの場合、根底に悩みがないんですよ。
で、ある意味できっと自己完結もしてると思うのね。

たとえばサイババのところに行ったらワ〜っとそれを楽しめる人なのね。
で、それでよし、なんですよ。
たとえばネパール行こうっていったらワ〜っと楽しめる。
で、それでOKなんですよ。
だからそうやって完結してるんですよ。

たとえば、僕はサイババのところへ行ってサイババに会ったとするでしょ?
そうすると、サイババは俺に何を教えてくれるんだろう?とか考える。
だからサイババに会ったってこと、その状況を喜べる自分っていうのがいなかったわけ。

どうやったらサイババに教えを得られるか?とか、たとえばネパール行ったら
この地では僕は何を得ることができるだろうか?とか
そういうことを難しく考えちゃう。
だからその瞬間瞬間ってのをちっとも楽しんでなかったわけ。
そこが正反対 笑

でもね、世の中にはそういう出来事だったりとかをひとつひとつ
すっごい楽しめる人たちっているわけ。

たとえば、畑やっててナスとれたりとかキュウリとれたりとかして
それがすごい喜びだったりとか、
旅行して見たことない景色をみてワ〜っと喜んだりとか、
きれいな海をみてワ〜って喜んだりとか、
海できれいな貝を拾ってすっごいお宝発見!って大喜びできたりとか、
家で野球の観戦してタイガースの鉢巻してハッピ来てメガホンもって
家の中でビール飲んで行け〜!っていって勝って、今日はやったぞ〜って
ガ〜っと大の字になって寝られるという、そういう瞬間瞬間に楽しみを満喫して
自己完結できる人たちっていうのがいるわけ。

そういう人たちっていうのはそれでいいんですよ。
幸せな人たちなの。

でも、僕なんか何やってても悩んでるから。
いますっごい楽しいことをやりながら悩んでるから。
たとえば映画を見てるでしょ?
映画見てるんだったら映画見て楽しんでればいいのに
映画みながら悩んでるわけ。

これは今はじまって10分ぐらい経ったから、2時間映画だから
あと1時間50分後には終わるんだな、儚いな…  笑

おもしろい映画であればあるほどそう思うわけ。
コンサートとか行くでしょ?
コンサートとか行っても僕はちっとも楽しめない。
ほんと楽しみにしてたグループとか来て、よ〜し行くぞ〜!って行くでしょ?
で、はじまったらもう心配してるわけ。
ああ終わっちゃう、終わっちゃう、って思うわけ。
あと何曲あるの?って、まだ2曲しかやってないのに 笑
それを心配してぜんぜん楽しめないわけ。

旅行もね、成田空港行くまでが楽しいわけ、僕は。
前から用意して、飛行機にのって、ワ〜って飛び上がるでしょ?
で、機内食たべてるときは楽しいわけ。
で、現地着くじゃん?着いた瞬間ブルーになるわけ。
ああもう5日したら帰りの飛行機だな、って思うわけ。

なにやったって楽しめないようにできてるの、もう。
なにやったって楽しめないように神様は僕にプログラミングしてるんですよ。
だからこそ、その満たされなさっていうのが探求心になるわけ。

もうこれじゃダメ、これじゃダメ、あれじゃダメ、なにやったって楽しくない。
終わることばっかり心配してるわけ。
ね?

でも今はそんなことないですよ。
この10年間は楽しめる。
ひとつひとつのことに。
やっと楽しめるようになったわけ。

だから、行け〜行け〜タイガース〜!とかやってる人の気持ちがやっとわかるようになったわけ。
あ〜この人たち自己完結してるんだな〜っていうのが。
それで満足できるってことをやっと理解できるようになったってこと。

だから、いったら普通になったってことでしょ?それっていうのはね?
昔はほんとに何をやったって楽しくないんですよ、
だから僕の趣味っていうのは昔からすっごく変なわけ。
それっていうのは確かに極めようと思えばそこに行くよね、みたいなね。

だから基本的に日本の歌謡曲だったりとかJポップだったりとかってのはまず聴かなかったよね。
ほとんどバカにしてるっていうか、イヤだった。
穢れた感じがするっていうか 笑

やっぱりクラシックでしょ、みたいな 笑
で、クラシック聴いててもさ、やっぱりこの中で天才と言えるのはベートーヴェンだよな、とかね。
だって耳聞こえないのに曲書いてるんだもん。

で、音楽聴いててもそうだけど、ベートーヴェンの曲っていうのは聴きづらい部分ってのもあるわけ。
ワ〜ってこう…
でも、すごい重厚で重みがあってやっぱり天才が創った作っていう感じがすごくするわけよ。

バッハだったりとかってのは几帳面でマトモな人だったんだなって。
逸材だけどもベートーヴェンのような天才ではなかっただろうな、って思うわけね。
で、モーツァルトはなんだったかっていったら、彼はきっとヒーラーだったろうなと思うわけ 笑

やっぱりちょっと変わったヒーラーなんだよね。
でもやっぱりベートーヴェンじゃないんだよ。
それはヘンデルにしてもそうだし、メンデルスゾーンにしても、あれはただの気功師だろ、みたいな 笑

そういう才能のそれぞれの発揮のしかたっていうのはあるけど、
やっぱりベートーヴェンってのは僕は偉大だと思うのね。
だって、音楽を聴くのに一番必要なのは聴覚じゃん。

目の見えない画家っていうのと一緒ですよ。
目が見えないと画家って絵が描けないわけだけど
それと同じように耳が聞こえないでどうして曲を作ることができるんだって。

ふつうは音を確認しながら曲を書いていくわけだけども、
ベートーヴェンの場合、完全にイマジネーションの中だけで
ピアノだったりヴァイオリンだったりヴィオラだったりチェロだったりコントラバスだったり
クラリネットだったり管楽器だったりティンパニーだったりとか
それらのすべての音が混ざったときに出る音っていうのを聴くんじゃなくて
イマジネーションだけで書いてるわけでしょ?

ほんとの天才だよね。
だから音も違うんだよ、ベートーヴェンの音っていうのは。
ゴチンとくるわけ。
なんかね、ゴチンなの 笑
電信柱とかに頭ぶつけたみたいな衝撃がね、ベートーヴェンを聴いたときはくるんだよね。

僕なんかは音楽聴いててもそういう聴きかたしちゃうわけ。
でも、チャイコフスキーとか好きだよ、すごくメロディアスで綺麗だし聴きやすいし。
そういうものは単純に喜べるけど、ベートーヴェンってのは覚悟して聴かないといけないんだよ。

で、覚悟して聴くとやっぱりこれすごいよな、って思うわけ。
それはやっぱり正座して聴かないとダメなんだよね、ベートーヴェンは。
やっぱり気楽には聴けるものじゃない。

で、僕は中学校のときにロックに目覚めたっていってやるわけ。
で、一年もしないうちにもうロック卒業するわけですよ。
で、今度どこに行くかっていったらプログレなんだよね。

プロフレッシブロックっていって、ヨーロッパとかアメリカで人気あったんだけど、
日本ではちょっとヘンな人しか聴かない 笑
クリムゾンキングだったりとか、イエスだったりとか、ELPだったりとか、ラッシュだったりとかね、
曲も変拍子なんですよ。
4分の4拍子じゃなくて、サビのところだけ変拍子にいきなりなるとか、
そういうヘンな展開をするのが好きみたいな。

そういうのから今度はドラムを叩くとかそういうテクニックに走るわけ。
そうすると当然なことながらフュージョンとかになるわけ。
で、フュージョンになるとジャズを今度はやるようになるわけ。

で、ジャズのフュージョンの中によく入ってくるラテン系のスパイスっていうのがあって
今度はラテンにハマるわけ。
で、最終的にルンバってとこに入っていくわけ。

ルンバっていうのは社交ダンスとかのじゃなくて、ほんとは土着の音楽なのね。
(机を叩きながら)ドンツクツクツクドンツクツクツク、ア〜エ〜アエアエ〜とか
なんかそういうのがルンバなんだけども 笑
なんかそういう、もう誰も聴かないような世界に入っていくわけですよ。
もうぜったい輸入盤でしか買えないCDみたいな。

で、ぜったいジャケ買いしてる人からは考えられないような、
なんかヘンな、女の人がスパンコールつけてるようなジャケットの写真とか
こんなCDよく買えますね岩城さん、っていわれたことあるけども 笑

いや〜、そりゃジャケ買いするキミからすれば想像もつかないだろうけど
この中にある音はすごいんだから、みたいな。

やっぱりこう、常に悩んでるんですよ。
常に悩んでるからそれで満足しなわけ。
だから次から次、次から次へと展開をしていくときに音楽の世界旅行をしちゃったわけですよ。

それでなんか行きつくところっていうのってのは今、ハープだったりとかね、
クラシカルなもとからある、ブラスじゃなくて木でできた楽器が出す音みないな?
ハープとかクラリネットだとか、その音の質ってこと自体の世界にのめりこんでる、
なんか今はそんな感じ。

でも、常に満たされない、それを聞いてそれでよし、ってならなくて、
なんか常に混乱し続けてるっていうか。
だから○○さんなんかの場合は、
あ、これ美味しいって美味しいのに出会って、また今度これに出会ったらこれ買いましょ、
って思うわけ。

でも僕なんかこのお茶飲んだら、ぜったいこれ以上美味しいのあるだろうって思っちゃうわけですよ。
だから全部飲み比べてみないと気がすまないってところに行っちゃうっていう。
常に悩んでる。
それが不幸のはじまりだってことなんですよ。

この不幸を正すためには、やっぱり自分がわかるだったりとか、
なんかそこに辿りつかなければその解決にはならなかったってことなんだよね。
だから、今は楽しめるようになった。

今はひとつひとつがあるものっていうのが楽しめるようになった。
今は幸せですよ、だから。
昔は不幸せだった。

うん。

なんか質問ないですか?

質問)
たとえば、急にどこかに行きたいって思うことがあるんですよ。
それで、私なんかも、なんでそこに行きたいかって悩んじゃうんですけど。



つづく。。。



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悟りってどんな感じ?



はい、じゃあ質疑応答いきたいと思います。
なんかある?質問?

質問)
悟りみたいな覚醒みたいなそういうような状態になったときって
どういうような感じ?感覚なのか?わかるとわかるのかな〜って。
感覚とかあるんですか?

うん、うん、うん、あのね、悟るとか覚醒するとか
僕は特別のこととは考えてないんですよ。

なんかこう、多くの人はブッダは悟りに至って
教えを説いただったりとかそういう話を聞いてたりだったりとか
インドの聖者とかの話を聞いてるから、やっぱりなんか
悟るだったりとかってのをスーパーマンになるような印象を持ってると
思うんだけど、スーパーマンになるってことじゃなくて
悟るってことは気がふれた人が正気に戻るって感じ?
僕の認識でいくと。

気がふれてる人ってのは自分が気がふれてるってことを
ちょっとわかってて、治りたい治りたいと思ってるわけですよ。
でもどんな薬飲んでもなにしても自分がおかしいってことを
変わらず思い続けてるわけじゃない?

ところがある日なにかの力によってハっとおかしくなる前の状態に
戻った、あ、治った!っていう感じ?

基本的に僕は悟りだったりとか覚醒だったりとか修行だったりとかを
目指す人っていうのは生まれつきおかしいと思うの 笑

俺もそん中の一人なんだけども。
なんていうのかな、健康な男女はですね、普通に金儲けして結婚して
子供をつくってっていうことに対して何も疑問を持たないってことなんですよ。

で、それで子供ができて年取ってまた子供が結婚して孫ができて
孫をあやしたりとかして、それで田舎のほうに行って余生を送って
あ〜幸せな人生だったなっていって死んでいく人はいっぱいいるわけですよ。
世の中にはいっぱいいるんです、そういう人たちが。

僕は、そういう人たちがいるのも悟りだったりとかを目指す人がいるのも
これもすべて神の采配だと思うけども。
やっぱりこういう人たちがいて
こういう人たちがいるっていうのでバランスを取るっていう、
神様のこの世界を維持するためのひとつの理論なんだと思うけども。

僕はやっぱりおかしかったんです、子供のころから。
子供のときから俺はなんのためにここに存在してるのか、とか
俺が生きるどういう意味があるんだ、とか
そういうことをずっと考えてて、他の子たちはサッカーやったりとか
野球やったりとかそういうこと楽しんでるんだけど、結局僕はなにやったって
楽しめないわけですよ。

だから楽しめることがない俺が悪いって思うわけですよね。
だから楽しめることをとにかくいっぱい探す。
で、その挙句、小学校のときから本格的に油絵描いちゃったりとか
小学校のときからいろんな楽器やってみたりとか踊りやってみたりとか
ありとあらゆる考えられるうる可能性っていうのは僕なりに試したわけですよ。

で、ドラム叩いたりとかパーカションやったりとか踊り踊ったりとか
そういうのをやったりしてある程度、打楽器なんかでもやりこんでいって
教えたりとかそういうことができるレベルまで行っても結局満たされない自分が
いるし、結局なんかガールフレンドができて一瞬はバラ色になった気がするんだけど
でもその状態が続くのかっていったら続かない。
彼女を前にして、あ〜無常だな〜…と。 笑

せっかくこんなバラ色な気分っていうのがあるんだったら
ずっとこのバラ色が続けばいいのにって思うわけだけど、それは続かないわけですよ。

だから僕からすれば結局、なにごとも移ろうものだと。
やはり絶対的なものはないと。
でもそれがないと絶対に満たされないに違いないっていうふうに僕は思うわけですよ。

だから若いときからずっと修行をやり始めることになるわけですよね、
15歳ぐらいから瞑想をやっていって17歳からインドのアシュラムに入って。
高校は一年で中退して。

最初はイギリスに留学したの。
したんだけどそこでもなんかこう…当時はね、まだヨーロッパ人は日本人に対して
意地悪だったんですよ。
ジャップとか言われて、いじめられて。
なんかこう居場所じゃない感じってのがすごくして。

で、いろいろなヴィジョン見たりとかそういうのがあったりして結局
インドに流れ着いて行って修行することになることなんだけども。
それが18歳。18から29歳まで最初ヨガやってチベット仏教の修行やってって
そのへんの修行ずっとやり続けたんだけど、29のときに断念するわけですよ。

見悟者にはなれない、って放棄するわけですよ。
でもその3年後ぐらいしたら、そのままでいいんだよ、ってことになって
そのままでいいってことに僕はなったっていうことなのね。

そのままっていう状態っていうのが、今までは「そのまま」がなかったわけですよ。
やっぱり生きているってことに満足するだったりとか自分の存在を立証するだったりとか
何か満足を得ることをやり続けなくちゃいけなかったりとか
そういうことをいろいろ試したわけですよね。

29で修行を断念したときも、ただ断念するほど虚しいことはないじゃないですか。
そうなったら自殺しかないよね、その後ね。

で、じゃあ僕をその後補ったのはなんだったのかっていったら、
中学校のときからドラム叩いたりしてるでしょ?
だからちょっとパーカッショニストになろうかなって思って
30ぐらいからはパーカッションをやりはじめて、サルサの踊りとかも
やりはじめて、で、まあなにげに楽しくは過ごしてたの。

でも、当然のことながら満たされないんですよ。
しょうがないんだ、これは。人生ってのはこういうものなんだ、と。
で、友達がいうわけ、結婚して子どもでもできたら変わるよ、って。
人間っていうのはしょせん動物で、子供ができることが満足することなんだから、っていう。

たしかにそのとおりかもしれないな、と。
結婚して子供もいないうちにそんなこと言えないだろうな、って
結婚して子供つくってみたんだけど、結局サルサとかよりはぜんぜんマシなんだけども 笑

でも、サルサで得られる満足感と、うちの子供で得られる満足感と同じだとかいったら
うちの子供に失礼極まりない話だから 笑

それはもうはるかにいいものにあることには変わりないけども、
やっぱり自分自身のおかしさっていうのはやっぱり変わらないんだよね。
やっぱりこれでもないんだ、じゃあなんなんだ、ってときに
最終的にまあ、なんかの奇跡的な力がちょっと働いて、普通に戻ったんですよ、僕は。
正気になったの。

で、あれ?なにやってたんだろう、俺いままで?って。

質問)
瞬間だったんですね?変わったのは?

それはちょっとね、いろいろあるの 笑
プロセス自体は半年ぐらい続いたりとか。
そういうのはやっぱり普通に説明すると神秘体験だし、ってことなんだけど、
内容的にいったらぜんぜん自分がイメージしてたものとはまったく違う。

いったら、お釈迦様が悟ったときには木が全部おじぎしたとか
天から花が降ってきたとか、いろいろそういう逸話あるじゃない?
生まれたばっかりのとき7歩あるいただとか、天上天下唯我独尊っていったりとか
物理的に不可能だから、生まれたばっかりの赤ん坊が7歩あるくなんてのは 笑

でもそれぐらいすごかったぞ、みたいなそういう誇張だよね、いったらね。
絶対っていったらアレだけど、100%、僕はブッダが生まれたときに7歩あるいて
天上天下唯我独尊と言ったとは思えない。
それはありえない。

ブッダってのはいかにスーパースターなのかっていうのを
印象づけるために後付けでつくられた話だと思うし、いろいろとそういう逸話みたいなのが
あるから、当然修行者は自分が悟るときってそういうことが起こると思ってるんだよね。

だからそういう奇跡っていうかそういう神秘体験が起こるって思ってるし、
悟ったらなんでもわかってスーパースターになるもんだってみんな思ってるわけでしょ?

それが大きな間違いだってことなわけ。
もう基本的にこの道に入ってくる者っていうのは最初からおかしくて 笑
それでその覚醒するっていうのはなんなのかっていったら正気に戻ると、
やっと普通になるっていう。

あるがままの状態でよくなるってこと。
なにもそれ以上を求めない。
自分に与えられている以上のものを求めるわけじゃない。
与えられているものの中で満足をする。

でも、与えられたものでこの日本茶美味しいからもっと美味しい日本茶飲みたいよって
エゴが言うとするじゃない?
それはアリなんだよ、べつに。

だってここにいる限り、もう一杯べつの日本茶くださいっていうのは罪でもなんでもないでしょ?
でも、ここでいきなり誰かワシにチベット茶よこせ、とか言ったら
みんな混乱するわけだよ。
チベット茶をつくろうとしたら撹拌する機械も必要だし、
ヤクのバターだって必要だし、そんなものをね、自動販売機で売ってたら大変だよ?笑

僕がチベット茶を生まれてはじめて飲んだときに、なんだこの不味い飲み物はってなったの。
だってバターが入った塩味なんだから。
だからなんかすっごいなんか、労働者が脂汗をかいて、その汗をとってなめたら
油と塩の味が口の中で広がるみたいな、脂ぎった汗みたいな。

それがチベット茶だと思ったほうが的を得てるみたいな、そんな恐ろしげな飲み物。
そんなのがペットボトルで売ってたら超恐ろしいって話だよね 笑

いったら、それを望んだときに許されるレベルのものと許されないレベルのものがあるわけじゃん。
で、わかるだったりっていうそういう状態になるってことは
許されるレベルのことを望むわけであって、許されないレベルのものは特に望まない。
手に入れることのできないものを手に入れようとするって、そういうことははなから望まない。

人間ってものの苦しみってのは、手に入らないものを一生懸命手に入れようとするから
発生してくるものじゃない?

最初っから手に入るものは手に入るのでOKだけど、手に入らないものは求めないって気持ち
があれば常に平安でいられるわけでしょ、人間っていうのは。
だから、ある意味ではそういう心の状態でもあるし、
でもなんかそれってそんなことさらすごいことでもないわけなんだよね、僕からするとね。
いったら自然な状態とか普通の状態がわからないから、普通の状態のよさがわからない。

たとえばね、こういうことがあるんですよ。
なんとなく静かな部屋、音がない部屋にいると、なんかこう落ち着かなくて
テレビつけたり音楽つけたりふつうの人はするでしょ?
静かだっていうことっていうのはあんまり好きじゃないのね。
なんで静かなのが好きじゃないかっていったら、本当の静かのよさっていうのを知らないからなんだよ。

で、たとえばチベットだったりとか、日本だったら車山とか乗鞍高原だったりとか上高地だったりとか
あそこで天気のいい風がない日っていうのは劇的なわけですよ。
それは音がないことっていうのをわかる経験なのね。

面白いのはこっからあのビルぐらい離れたところにあるペンションとか
蛇口をひねる音が聞こえるわけ。
キュって。で、ジャーって流れる音が聞こえる。

で、そこのおかみさんが食器を洗ってる音が聞こえるのね。
キュキュキュキュ、カチャン、キュキュキュって。
それがこのぐらいの距離はなれててもそれが聞こえるわけ。

似たようなところでは山梨のほうですっごい静かな場所があって
そこにいるとバ〜って畑があってここのおばちゃんとこっちのおばちゃんが
普通の声で話してるの。
ありえない距離で。
「なにとれた?今日?」「さつまいもがとれたわ〜」とかって。
普通の声で会話してる。

それをこっちにいる俺が聞いてるの、難聴の俺がだよ?
すごいなって思ったの。
静かであるっていうことはあらゆる音を際立たせて、音が本来ある姿っていうのを
見せてくれる。
でもその静けさっていうのは特殊な環境に行かなくちゃ経験できない。
耳をすませて本当に音がない音を聞くっていう経験をしないかぎり
音がない音っていうのを知らずに生きてる人が多すぎるってことなわけ。

でもその音がない音を聞く喜びっていうのを経験すると
音がない音を聞いてると心は一瞬にして静まりかえる。
なんにもいらない。

瞑想とかしてがんばって禅定に入っていこうとする集中力っていうのを
最初5分10分あえてやらなくちゃいけないじゃない?
こうやって活動してるのが座わけだから、雑念がでてきてる。
最初5分ぐらいは雑念が出ては追い払い、出ては追い払い
ってことを、自分の心を見張り続けてやり続けなくちゃいけない。

で、5分10分見張り続けたときにだんだん雑念が出てくるインターバルが伸びてくる。
伸びてきたときについに、この雑念から次の雑念までのインターバルが長くて、
この長い瞬間に空白が発生する。
空白が発生すると、その空白っていうのは次の雑念を発生させることなく
バ〜って心の中に生じた空白っていうのが意識を支配するっていう状況が起こる。
瞑想の中で。

でも、どんな瞑想の達人でも、ふつうに生活しててパっと座ったら
そこから5分10分はその作業を必ずやらないとダメだと思うのね。
僕なんかもそうしてるけど。

でもあの静かなところに行って瞬間、耳をそばだてたときに
一瞬にして雑念が止む瞬間ってのがある。
パ〜って来るわけ。
油を水に落としたときみたいにパ〜と広がる、ああいう感じで
静けさっていうのが広がるっていう。

あの感覚っていうのは音のない場所に行って音のない感覚ってのを経験しないと
理解することができない。
でもそれって本来ならばきっとこの辺でもあったことだと思うわけ。
野原だったころに。風が歩いていく音が聞こえた。

草がバ〜っと生えててサワサワサワサワって風が通っていくとさ、
一面野原だと足跡が見えるわけじゃない?
で、風が通っていく音が聞こえるわけ。
そういうのが昔の人たちは見ながらふつうに生きてた。
そういう静けさだったりとかも自然に経験してた。

今の人たちってのはそういうのも経験しない、つねに音がある状態の中に
身を置いてるから、これを消すために別の音を必要とするわけ。
それが、テレビだったり音楽だったり、別の音を発生させることによって
余計な音を消すってことをしないとしょうがないってことなわけ。

ってことはそれはあるがままの状態ではなくて、あるがままの自分の状態に
何かを付加させることによって、あるがままじゃない状態を超越することを望んでるってことでしょ?

それっていうのは悟りだったりとかを目指す人の心の状態と実に同じだと思うわけ。
あるがままの状態を知らないから、あるがままの状態になるべくして、
いろんな修行だったり神様に祈るだったりとかそういうことを持ってくるんだけど、
それっていうのは今いったように何かを付加することだから、大いなる勘違いなわけなんだよね。

だからそういうふうにすることによって我々が本来たどり着けるものにたどり着けなくなっちゃう
って僕は解釈してる。

だから本当はただ元に戻ること。
我々でいったら赤ちゃんのときの状態にただ戻るだけのこと。

あの、ただお腹がへったといえば泣き、おしっこしてオムツが気持ち悪くなったら泣き、
愛が不足してママだっこしてっていって泣き、その3つでしか泣かない赤ん坊の心
の状態にただ戻るってことが僕はその、覚醒するってことだと思ってるわけ。

でも、世界はものすごく多様でめちゃくちゃなことになってて、とにかく
マーヤが横行してて、そのマーヤってのは悟るだったり覚醒するだったり、
確かに欲まみれになってる人間からすれば赤ん坊になることって奇跡なことなんだよね。

だから奇跡なことだって歌い上げるわけよ。
でも我々はかつてそれを生まれたとき誰もが経験してることに変わりないじゃない?
あそこに戻るだけだ、余計なものをいろいろ入れすぎてるだけだ。
だから僕はみんながやることはひたすらマーヤ解きっていってるわけ。
マーヤを解くこと。

いったら、学校に行かないと幸せになれないよ、とか、いい会社に入ってお金持ちにならないと
幸せになれないよ、とか結婚して子供できないと幸せになれないよ、とか
家を持ってないと幸せになれないよ、とか思い込まされてることっていうのは実に多い。

逆に、それがおかしいんだって思う人たちもいるわけ。
自由だったりそういうのを愛する人たち。
でも、その自由を愛する人たちからすれば周りを見渡せば不自由ばっかりなわけじゃない?

それで、これが自由じゃない、これが自由じゃない、っていってることが結局
不自由になっちゃってるってことなわけ。
自由を愛するあまり不自由になっちゃってるわけ。
そういうこともありうるわけ。

多くの場合、ナチュラリストだったりとかって原発の反対運動だったりとかやる人とかって
そういうことになっちゃってるわけ。
だって、原発やだっていってたって、あるわけじゃない?
逃げられないんだもん、原発から。

原発から逃げようったって逃げられないんだから、結局受け入れるしかないわけじゃない?
だからそうすると頭おかしくなっちゃうみたいな。

やっぱり僕からすれば、ほんとにその、あるがままの状態っていうのはある意味で難しくて、
でもなんでそれを難しくさせてるかっていったら、それはマーヤがあるからってことなわけ。
僕の理論からいくと。

だからとにかくマーヤを取り除くこと。
その、既成概念、固定概念、思い込み、条件づけ、
それらの「こうでなければならない」とか、なんかどっかがそう思ってるわけですよ。

逆に、多くの人が「こうでなければならない」って思ってることは、
「そんなことはぜったいないはずだ」ってことをまた思っちゃってる。
「そんなことはぜったいないよ」って思うことがまた、それに固執するマーヤになってる。

それだってこれだって別にいいんだよ、っていう状態になることがほんとに自由な状態だと思うのね。
だからやっぱりそういう状態っていうのを得ること、
それが僕からすると真にあるがままの状態だと思うわけね。

とらわれない心っていうのが。
そういうものっていうのを得ていくために、僕なんかはマーヤ解きをとにかくしましょうと。
やっぱり自分の心、気持ちがのびやかじゃなくて、
今日はちょっと閉塞的だな、なんでこんなに閉塞感があるんだろう?っていったら、
今日一日なにがあったのか?って考えて、
ああ、あの人と会話してあの人の常識感っていうのがちょっと自分によくない影響をあたえて
気づけばポっとそれがとれるし、今日見てたテレビで原発が必要だっていってる人がいるのを見て
うん、やっぱりそうだよな、って思っちゃったのがマーヤだよな、って
ほんとまったくそのとおりだよな、ほんと腹たつよな、なんで原発なくさないんだよ、っていって
自分も一緒になって怒ったことがマーヤになっちゃってるな、って
結局、原発にしても、賛成するのもマーヤだし、反対するのもマーヤだし、ってことなんだよね。
本質的には。

でもきっと、なくすんだったらなくすっていう方向性でいったほうが地球のためにいいって
ことっていうのはあるから、マーヤのレベルでマーヤと戦うってことも
たまに要求されたりとかもするから、たまにややこしくなっちゃうんだけども。
でも僕からすればマーヤっていうのが我々の足を常にひっぱり続けてるっていうのは
変わりないから、そのマーヤに気付くこと、マーヤを取り除くことっていうのが
僕からすればなによりも重要なメソッドってことになってくるってことなのね。

でも僕からいわせれば、そのマーヤがあることで、あるがままの自分の状態で
あることができないわけだから、悟りだったりとかが確かに必要になってくるな、ってことに
多くの人がなるってこというのも仕方がないことなんだと思うわけね。

でも、ぜんぜんそんなに特別なことではなくて普通のことだと僕は思ってます。
だから僕は自分でも認めてるし、ほんとに子供のときからおかしかったんですよ 笑
いまもおかしいかもしれないけど 笑

質問)
おかしいっていうのは自分で気づいてるものなんですか?


つづく。。。




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エネルギーの感じ方 その5



前回の続きから〜 


お話を聞いていると、何が起こってもいいんだぐらいの態度でいないとマズイんじゃないかって気がして

でも、そういう感覚ってマーヤじゃないかってのもあるんですけど、どういうバランスでいけばいいんですか?




結局、執着しなきゃいいんだよ


こうなっちゃマズいなっていうのも、ひとつのマーヤだからね


そうなったら、そうなればいい


そうなったら、そうなって、その日はそれでいいんだよ


次の日はまた変わるから、どうせ



それを維持しようとしなければいいんですか?


うん、維持しようとしなければいい、でも否定しなくてもいい


あのね、例えばさ


その人がその日やらなきゃいけないことってのがあるんだよ


これは面白いんだけどね、俺もマーヤ解きしててね?


なんか、最終的にどうしても行き着くのが勤行だったりするわけ


なんだよ、お経かよ、お経読まなきゃいけないのかよ、みたいな


で、それやるとメチャクチャ凄くなっちゃたりしてね


「すげー これだ!」


みたいな、馬鹿みたいな感じになっちゃたりするわけ


で、そうなると、これからは毎日、この時間に勤行しようってなるんだけど


次の日にやると、身体が重くてお経も読めなくなってきたりしてね?


何が起こっているんだって、最初の頃は良くわかんなくてね


なんかね?


この日はお経読まなきゃいけないとか


この日は瞑想しなきゃいけないとか


なんかね、そういう事ってのがあるんだよ


そういう御心っていうのがあるんだよね


で、そういう時は道具として使われるしかないんだよ



じゃー基本、ノープランでやった方がいいんですか?



そうそう、踊りたくなったら踊ればいいわけ


それで、貢献しているわけ


世界に


なんかさ、地球が動いていったりとか、必要な条件が満たされて動いていくんだと思うわけ


ギリシャ神話の神々様なんかだとかはさ


俺、観てないんだけどさ、「タイタンの逆襲」とかやってるじゃん?


あれはさ、人間が神々の事を信仰しなくなって


供物とかをあげなくなってくると、神の力が無くなってくる


で、神の力が無くなってきた時に悪い神の力が強くなってくる


その時にペルセウスだっけ?


半分人間なんだけどね


そいつが悪い神様を倒すしかないっていう


神に力が無くなってしまったんで、半分人間の方が強いみたいなさ


そういう話らしいんだけどさ


そういう話聞くと面白いなと思うのは


結局、人間が信仰しなくなったら神々の力が衰えるってこと


神々っていうのは、基本的にこの森羅万象を動かす力じゃん?


結局、神が計画をたてて


マザーがこの世界を成り立たせて


それで、神々が動かしてるんだよ


だから、太陽の神様だったり月の神様だったり、海の神様だったりいるわけじゃん


それぞれのバランスで成り立っている、物事を進行させる為のプログラムなんだよ


でも、人間の信仰が無くなると力が無くなるっていうのは面白い話だなってね


俺が良く言う話で、例えば会社があるじゃん


上司がいるじゃん? 課長とか部長とか


例えるなら、自分と縁のある菩薩が課長なんだよ


観音様に縁があるとか、弥勒菩薩に縁があるとかいう人の場合、それが直属の上司なんだよ

で、部長は阿弥陀如来とかなんだよ


で社長が法身普賢(クントゥサンボウ)みたいな最高位の如来だったりね


そういう構図や人事があって会社って動いていくわけだけれども


会社を成り立たせる為には電気、ガス、水道とかが必要なんだよね


で、電気がアマテラスだったり


水道がサラスワティ、弁財天だったり


ガスだったり火の神様だったりね


こういったシステムが神々だっていう話なんだよね


結局、人間がそれらのものを信仰しなくなる


たよりにしなくなるって事はそれらの力が無くなるって事なんだよね


原発だって必要無いとかいう風にね


だから、信仰が無くなると神々の力が衰退していくっていうのは凄くわかるわけ


神々が成り立っているのも人間あってこそみたいなね


そうやって考えると面白いんだよ


神々っていうのはプログラムとして人間や世界を支えている存在なんだっていうね


そこでね?


神々にしても人間にしても、そこですべき事ってあるんだよ


例えば、マーヤだなって思いながらも、大宮に来たから氷川神社に行っておこうかなってするじゃん?


そうすると、氷川神社が活気づくんだよ


我々は神様からもらっているつもりでいるけど、神道の神様もシステムなわけだから、我々がパンパンってお参りする事によって、なんかもらえるかも知れないけど向こうも活気づくっていう事なんだよ

お参りする人が増えれば増えるほど、どんどん活気づく


海のところ行って弁財天にお参りしたら活気づく


そんでもって豊漁になったりね


スサノオのところへ行ってお参りしたら豊作になったりさ


神々が活気づく事によってその場が活気づいて多くのみのりをもたらすみたいなさ


そういう関係性?


だから、マーヤだから行かなくていいんだじゃなくて、今日は行きたいみたいな感じだったら行ってってみようかみたいなさ


そういうのは全然ありだと思うわけ


マーヤだから切ってしまう必要は無いわけ


すべき事をすればいいんだよ


で、夜になって・・・・


「あれ? なんか神社にいったらマーヤっぽくなっちゃたかな?」


ってなったら、そのマーヤを取り除くっていうね


なんで神社行ってマーヤになったかって言ったら、その神社の神様から過度になにかもらうのを期待しすぎただったりとか、結局、自分のエゴが悪さするからね


その場合はもう神社へ行かないっていうのもアリだし、そこんとこ気をつけてまた今度行くのもありだしね


結局、その時々で自分がそこから何を学ぶかっていうことが大事な事になってくるわけ


それ以前に、今日成すべき事を成すっていうのが大事な事になってくるんだよ


それはこの世界を動かしていく為のカロリー的な貢献なわけ


カロリー的な貢献っていうのは、今日は気功的な事で貢献したりね


俺の場合はマントラ唱えなきゃいけないとか、瞑想しなきゃいけないとかね


でも、人間はそうやって必要なエネルギーを供給する存在だと思っているからね


グルジェフは人間は月のエサだって言ってけど、俺はそこまでは思わないけどもね


我々が何かするって事はひとつひとつがその時すべき正しい行いなんだって理解した方がいい


今日、駅まで自転車で行くか歩きで行くかっていうのは決まっているんだけど、チョイスすればいい


チョイスするには、それをチョイスした理由がちゃんとあるって事なんだよ


それが自分が今日、選ぶべき道だったという事なわけ


だから、マーヤな行為に手を染める日っていうのもあるわけなんだけれども、だからといって「しまった。。マーヤだったな」と思う必要も無いわけなんだよね


それはそれで、その日、必要な事だったんだから


ただ、それがマーヤだって理解出来ていればいい


理解出来ていないと、そのまま持ってかれちゃうからね


マーヤだって理解すれば、それはそれで、その場で終わらせる事が出来るから


おしまい


今回のお話1〜5のまとめはアーカイブにアップしておきました。



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エネルギーの感じ方 その4



 前回の続きから・・・


自分はあっているのか、間違っているのかっていうのが凄く気になるんですけど


それはね?


ある程度、育ってきた環境っては悪く無いと思う


「あってるのかな? 間違っているのかな?」


で悩むっていうのは、育ってきた環境がまあまあだと思うんだよ


それは、なんでかっていうと


これはあっているか間違っているかってことは、迷っているけれども、少なくともあっている可能性は認めているってことなんだよ


それは、ちゃんと自信もあるっていう事なんだよ


自分が経験していることに関して自信もあるわけ


で、迷うって事はちゃんと立ち止て確認する事も出来る注意深さも持っているから、凄く大事な事なんだよ


そういうのは育ってきた環境によって左右されるから、自己評価が凄く低い人は


どうせ自分なんて


って思っているから、凄い経験しても大した事ないかなって評価に貶めちゃうっていうね


お前はダメな奴だって言われ育ってきていると、そうなっちゃうわけ


でも、甘やかされて俺様キャラが確立されちゃっていると


間違っていても「これでいいんだ」みたいな事もあるんだよね


大事なのは、それを経験したときに


正しいのか間違っているのかってジャッジしない事なんだよ


とにかく、純粋にこれは今、経験していることなんだよ


いいとも悪いともジャッジせずに経験するんだよ


これがね、なかなか難しいんだけれども


育ちが良ければ容易に出来る 笑




さっきの木の話なんですけど、いつも話すわけじゃないんですよ木とは

夜、家に帰って、空を見上げて

たまに頭に引っかかって抜けない時があるんですけど、毎日、おなじようにしててもなるときとならない時があるんですけど


そうね、やっぱり自分が既に空を観ている時にいっちゃっているんだと思う


俺が経験あるのは木






芍薬


あと、苺


なんていうの、こう


繋がっちゃうみたいな、物凄く愛しくなるの


苺みて 「ああ〜〜苺ちゃん」 みたいな


もう食べれなくなっちゃうの 笑


なんか繋がるんだよね


生き物みたいなの


あれはね、向こうが許可した時に繋がるんだと思うの


こっちが行こうとしても、あっちが許可しないと繋がらないの


ナイトシャマランのハプニングはそういう映画だったよね


植物が人を殺す映画なんだけど、植物はあるカラーのオーラの人だけは殺さないの


そういう話なんだけど


向こうがコンタクトする気になったら繋がれるみたいな


繋がる時っていうのは、なんか愛しいみたいな


そういうのも、ひとつの重要な経験だと思うし、ケースバイケースであれしてったらいいよ




お話を聞いていると、何が起こってもいいんだぐらいの態度でいないとマズイんじゃないかって気がして

でも、そういう感覚ってマーヤじゃないかってのもあるんですけど、どういうバランスでいけばいいんですか?


続く・・・・・



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