ARCHIVE  ENTRY  COMMENT  TRACKBACK  CATEGORY  LINK  PROFILE  OTHERS     
<< January 2012 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
2012.01.25 Wednesday

フォトンベルトとマーヤ




質問)


さきほどのバガヴァッドギーターで、プルシャとプラクリティっていうお話がありましたけど、

神の位置からして、プルシャとプラクリティって自分を分けて認識しますかね?


神から見て?

知らない 笑

それは神が見てることだから、神がどう思ってるかは神様が考えることだよ〜? 笑

 

質問)

納得です。

きっと説明のためにそう言ったんだと思いますけど。



まあ、推測するならば分けてるかも。

プルシャとプラクリティ。


なぜならば、僕なんかはプルシャとプラクリティの感覚っていうのは、

う〜ん2つは同時には存在していないかな?

プラクリティの面というのを見てるときは常にマーヤが働いてるから。



だからプラクリティを見てるとき、マーヤが働いてるときっていうのは俺みたいな非力の者からすれば

プルシャの完全なる状態っていうのにとどまることはまず不可能だから、いったら。

非力であるがゆえに。



だからプルシャの状態に留まろうと思ったらプラクリティ以下、

一切をマーヤとして否定しなきゃいけないっていうことになるわけだよ。

ね?




質問

バガヴァッドギーターの中でプルシャとプラクリティの説明ってその言葉を使ってないにしても、

ずっと流れてるじゃないですか、その話が?

非顕現っていうのが最後の究極の話で、それを心得ろよって言ってるわけですよね?




うん、



それは答えっていうのは常に非顕現であるところにあるっていうのは明白だからね、

やっぱりね。




質問)

すごく繰り返し繰り返し(ギーターの中で)言ってるから…



うん、見えないからね、非顕現はね。

見えないぞ、見えないぞ、ってね。



質問)

それは言われるほうがツラいよねなかなか、っていう…




結局、見えないってことっていうのを受け入れるっていうのはすごく大事なことなのね。

いったら、神が非顕現であるって言ってるわけでしょ、神の口を通して?

神が非顕現であると断言してるからには、人によって、人にとって、

神は顕現するわけではないということなわけ。


例えば僕は、神の体験を自分がしたときに、神を見てはいない。

神を体験はしたけれども。

神を見てはいない。


なぜならば、イブン・アラビーの言葉にあるように、


「神よ、あなたが私の前に現れるとき私はあなたをどんな目で見るのでしょう?

それはあなたの目であって私の目ではない、

なぜならばあなた以外にあなたを見るものはいないからです。」


っていう詩があるわけ。



僕は自分が覚醒して間もなくこの詩に巡り合ったんだけど、

なんとパーフェクトな詩だろうって思ったわけ。

いったら、神を見る自分の目っていうのはもう、自分の目じゃないんだよ。



神を見ている目っていうのは、もう自分の目は神の目になっているってことなわけ。

なぜならば神以外に神を見る者はいないからなんだよ。

人の目が神を見るということはないということなわけ。

非顕現だから。


だから神を見るのは常に神の目であって、人の目ではないということなんだよ。

だから例えば、一週間断食したりして、マントラ唱えて、暗がりの中で瞑想したりしてると、

そういうようなものをヴィジョンとして見るってことは確かにあるわけ。

観音様を見るだったりとか、お不動様を見るだったりとか。

そういう経験を、見るっていう経験をすることはあるわけ。



俺もある、かつて。

でも、それでも自分は何も変わらないんだよ。

ああ、観音様が見えた〜とかっていうのはあるんだけども。

だからと言って自分の何かが変わるわけではないわけ。

だから全然、べつにこの経験じゃないよな、って思ってたわけだ。



ところが「わかる」って体験をしたときには何も見えていない。

何も見えていないんだけれども、明らかに変わっちゃったの、その瞬間にね。


それっていうのは、見えてるわけじゃないけども自分の何かが変わっちゃってて、

それは神以外に神を見るものはいないっていう言葉にほんと集約されていると思うんだけども、

いったら、神というのは見えるものではないということなんだよ。

いったら物質じゃないから。




非顕現っていうことっていうのは、いったら目とか五感にとってなんだよ。

でも神を経験するっていうのは五感を超越したところで経験するから。

五感を超越したところで経験するから。


だから、五感でとらえられるのは顕現したもの。

神が顕現しないってことは、それは五感ではとらえられないものだって。

超感覚でとらえなければならないってことになってくるわけだよ。



だからいったら、そういう神仏だったりだとか、幽霊だったりとか、

見えるっていう経験ってのは確かにあるし、それをまあね…


それを与えるのも神だってことなわけだよ。

だからいったら、それも神を経験していることではあるけれども、

それはまだ次元的には低いものだということなわけ。

だから非顕現であるってことをひたすら言うわけよ。



だからたとえば霊能者だとかいう人は何かが見えるっていうわけだけども、

インドの聖者であなたは神を見たことはありますかって質問はけっこうあるんだけど、

僕が知るかぎり、私は神を見たっていう答え方をしてる人ってのは、ほぼいない。

まったくいなくはないよ。



でも、例えばそれをラマナに質問すると、ラマナマハリシは適当にごまかすんだよね。



「なぜ自分の外に神を見る必要があるんですか?」

ね?


「あなたが求めてる神はあなたの内側にあるものです。

もし外からやってくるものならばそれには始まりがあるし終わりがあります。

やってきたときあなたは高揚した気分になるかもしれないけれども、

それが去っていったときにあなたは不幸な気分になるのは間違いありません。

しかし私が言ってるものは始まったり終わったりするものではありません。

それは最初からあるものです。

それは永遠であり、それが与えてくれる喜びというのは終わることのないものです。

だからそこにたどりつかなければなりません。」


と、ラマナは答えるわけだよ。



で、マハラジという人がいたけれども、

マハラジに神というものを見たことがありますかと聞いたときに、

「今までに神を見た聖者は地球上にただのひとりもいない」

って答えたって話 笑



僕はやっぱりそう思ってたことなんだけども、

そういう聖者たちがはっきり断言してるのを見て

「うわ〜すっげ。やっぱほんとそのとおりだな〜」って思って。


ああ、こう来てくれなきゃなって。


痒いところに手がとどいたなっていう感じとして僕はとらえた。



だから、やっぱり人間の側頭葉の影響でね、

こっちを打ったとか、ここに圧迫が加えられたとか、

なんかによってなんかを見るっていう経験っていうのは確かにしちゃうわけよ。



死後の世界を見るだったりとか、前世を見るだったりとか。



でもそれっていうのは側頭葉からくる刺激によっていくらでも見ることが可能である

というふうに実験結果でいわれてるわけね、

これは医学的な実験結果としてね。



だからいったら、医者たち、そういうのを研究してる人たちから言わせれば、

そういう霊の世界だったりとか死後の世界だったりとか不思議な世界を見る人っていうのは

何かによって側頭葉が特殊な刺激を受けたせいだっていうふうに結論づけていうわけ。




俺はそれでかまわないと思うんだ。

そこに重要性っていうのがないから、結局。

俺も今まで修行してきて、いろんな神秘体験みたいなのを経験してきたわけよ。

でも、なに見たって、どんな経験したって、変わんねーんだから自分が!

いったら。



俺は空中に…




* ここからはちょっとディープなお話が続くので一般公開は不可ってことで、

気になる人は直接聞いたほうがいいかも 。。。


 

やっぱり、(不思議な奇跡体験とか)そんなことが日常的に起こってても、

こいつは変わらないんだよ。

いつまでたっても自分は自分のままなの。

なに見てもどんな経験しても。



でも、そんな経験っていうのはあったけども、

僕のなかではここはゴールじゃない、ここはゴールじゃない、

全部序の口みたいに思ってた。

だって何も変わらないからさ。



ところが、2000年にその経験をしたときってのは、すべてが変わったの。

すべてが変わった。


これは、ほんとに、俺もCTとか撮りたいんだけども、

脳調べたらなんかドクロマークの形になってるとか、

なんか違う形になってるんじゃないかって気がする。

それぐらいなんか物質的に変わってる感じがするんだよね。



そしたら、最近急に、ちょっとマーヤな話なんだけども、

ちょっとフォトンベルトの話…





最近フォトンベルトの影響かなんかで、

アメリカあたりでDNAの螺旋が3重螺旋になってる子供たちっていうのが

見つかってきてるんだって!

あり得ないじゃん!?



地球上の生物のDNAってのは必ず2重の螺旋なんだよね?

みたことあるでしょ、テレビとかで?こういう。

あれなんだよ、ところが、トリプルなんだって!



そういう子供が見つかってきて、DNAを研究してる人たちは

もうやっきになって子供たちの操作を今してるらしいけども、

ともかくこういう子供たちの免疫能力ってのがハンパじゃなくて、

病気にまったくかからないらしい。


病気とは無縁らしいよ、どんな病気にもならない、っていう報告が今でてる。

…という話を昨日、真が嘘が知らんけど、書いてあった。 笑


いったら、DNAが2重螺旋だったのが3重螺旋になっちゃうってのは

すっごい物質的な変化じゃない?


そういう感じ、だから。

なんかそんな気がするとか、変わった気がするとかじゃなくて、

変わっちゃったんだよ!みたいな。

もうそれぐらい明確なんだよ。



なんか見た、とかじゃない。

なんか瞑想してて、なんか見た〜とかじゃなくて、

完全になんかこう見るとか見ないじゃなくて、

自分のここが完全に、別のものに、火星人の脳をすげ替えられたみたいな、

もう臓器移植みたいな、それぐらいの違いを感じてるの、俺は。



だから、もう2000年から2008年まで、僕はもうまったく違う人の脳で生きてる。

35歳までの脳と、今の脳はまったく別ものなの。



それはもう、どっか、金星人か知らないよ?

なんかの脳味噌とすげ替えられてる。

間違えなく火星人じゃないよ、あんな頭大きくない 笑い

マーズアタックみたいな頭 笑



でも、やっぱそれぐらい明確な変化なんだよ、いったら。

だから、やっぱりそんな気がするとか、かもしれないとかじゃなくってね、

いったら明確なことであって、で、それだけが僕にとって唯一のリアリティなので、

それ以外のことはマーヤだっていって却下するっていう理由ってのはそこにあるってことなわけ。




例えば、今のフォトンベルトの話じゃないけども、

フォトンベルトの影響で人間は2012年にアセンションするだとか、

ある一部で信じられてるわけだけど 笑



で、僕は、それはないとは言わないわけよ。

ある可能性はじゅうぶんにあるって思う。

ある可能性はじゅうぶんにあるけれども、

それが起こるということを僕には保障することはできないわけ。



で、保障することができないものっていうのはマーヤなわけ。

僕からすれば、確実なものじゃないから。



ただ、脳はここまで、神の力によれば、

脳はここまで劇的に変化するよっていうのだけははっきり言うことができる。

なぜならばそれは自分の経験だからなんだよ。

だからそれはマーヤじゃない、僕にとっては。

ね?



でもそれ以外のこと、例えば、おじいちゃんがマグロ食いたがってるとか、霊界で 爆

ね?

そういう話ってのはさ、わかんないじゃん、やっぱ 笑


そう感じるとかってことはあるかも知んないけどさ。

ぜったいおじいちゃんがむこうで悲しんでるよ、とかさ。

そういうのってのは、そのように感じることってのはあるかもしれないけどさ、

そうだってはっきりしてることじゃないわけじゃん、いったら。

ひとまず自分の脳がそういうものをつくりだしてる可能性ってのがあるわけだ、いったら。




だから、そういうものってのは僕からすれば、僕的には却下だってことなわけ。

でも、ないっていってるわけじゃない。

ぜんぜんあり得るよ、ってことなわけ。



だから、それはそうだ、ってはっきり証明することができないものってのは

僕からすればマーヤってことに結論づけてしまう。

僕の中にね。

逆にそれがリアライズされれば話は別だけども。



で、天変地異が起こって、すごいじゃない、ここ2週間、

20万人ぐらい死んでるでしょ人が?結局。(2008年5月当時)

ハリケーンで何万何千とか、行方不明者何万人とかって全部あわせて

ヘタしたら10万人とかになっちゃうじゃん。



中国だってそうでしょ?行方不明者だったりとかさ。

いったらそういうのだったり入れると、やっぱり

10万人ぐらいになっちゃう可能性がある。



でやっぱりこの甚大な天災がくるってことだったりとか、

自分の体調の悪さね。

腰が痛いとか。

久々に腰痛てぇんだよ、ずっと痛くなかったのに。

なんか、ここ数日おきに頭痛がしてるだとか。

激しい下痢とか。

そういうのがちょっといつもと違うからなんか怪しいなって思ってた。



昨日セッションしてて、フォトンベルト?怪しいかな〜とか思って

ちょっと調べてみたりしてたわけ、結局。

なんかフォトンベルトの影響として天災とか出てるわけ。

地震雷火事オヤジ、とにかく。

それらがやってくると。



で、体ではやっぱりこういう影響を受けると。

電磁波のすごい強烈なやつだから、いったら。

光子だから、フォトンベルトっていうのはやっぱり。

光子。




いったら最初フォトンベルトを見つけたのは天文学者だといわれてるわけよ。

でも、今天文学者の中ではそれにたいして肯定的な人と否定的な人が半々、

というか否定的な人のほうが多いのかな?

見えないから。目視できないからね。




でも、ニューエイジャーたちは大肯定派になってるわけね。

それによって5次元にアセンションしちゃうんだ、ピョ〜ン!

みたいな感じになってるから 笑



だから、ニューエイジの人たちってのはそういう感じになってて、

天文学者の人たちってのは半々みたいな感じなんだって、

なんか調べてみたところによると。



で、僕もだから見てて、僕としては半々である、ニュートラルな、

クリシュナムルティとか私は中立者の道である、

みたいに中立者の道であろうとしてるけれども、

なんか具合が悪かったりだとか、天変地異だとか、

なんか関係あるかもな〜みたいな。




かもな〜と俺が思う、みたいな程度。

だから真に受けちゃだめだよ、先生こんなこと言ってる、フォトンベルトって、とか。

これはもうね、そんなこともあるかもね、みたいなレベルの話だからね。




いったら、僕の過去っていうのを振り返ってみても、

僕は1999年の夏ぐらいからすっごくなんか上から降りてきてる感じがして、

何かが僕にすごくプレッシャーかけてきてるってのがわかって、

なんか後ちょっとでわかっちゃうみたいな感じ、

悟っちゃうみたいな感覚ってのが確信みたいな感じがあったんだよね、感覚的に。




これはね〜1999年7の月、空から恐怖の大魔王が降ってくるってやつだよ。

ノストラダムスの大予言の、ね?

で、いったらほんとに、そんなこと思っててね、

自分の母親にも言ってたの。



俺なんかさ〜ついに来ちゃいそうなんだ〜なんてね、来る1か月前に言ってたの。

あっそう、ついに来るのね、よかったわね、なんつって 爆

なんか来そうなんだよ、ま〜わかってくんないだろうけどさ〜みたいなことをね、

なんか言ってたの、うちの実家で。



そしたらその一か月後に来ちゃったから、うわ〜と思ったわけね。

そんときは僕だけに起こった変化だったわけだけどね。



2003年に僕が教えてた人の中で数人がババババってわかっちゃったじゃん?

で、あの時期だけなんだよ、やっぱり。

その前もなかったし、その後もなかったわけ。



で、あの時期だけなんかこうわかっちゃった人が数人ババババって出た。

そして、今年になってからまたなんかこうキてる人多くなってきてるんだよね、うん。



だから、なんだろ、いったらフォトンベルトの影響だったりとかは

それによって5次元に進化するすごい高次元のエネルギーだとも言われてるけども、

逆に物質に対しては破滅的なエネルギーを持ってると言われてるんだって。



だから、それがあるとすれば体調不良だったりだとか天変地異だったりだとか起こる。

でも、意識だけはどんどんどんどん上昇していく、みたいな。

なんかやっぱりそういうことってのがあるのかもしれないな、みたいなね。



なんかそういうふうに僕の中では今認識されているという、今、調査中!どうなるか?

でも今年になってからすごく調子がよくなってきてる人がすごく増えてきてるから

なんかこうね、一歩抜け出してきてる人たちってのが増えてきてるから、

なんかそういう影響もあるのかな?っていうね。




わからないですけど。

目に見えないもんだからね。


でも、僕がここと繋がっちゃたんだけども、

半年後の2000年の自分の誕生日のときにお母さん(マザー)が来て、

それによってマーヤってのを教えてもらったことによって、

もう、完全にブレない状態になった。



そんときね、宇宙を流れるね、青いベルトを見たの。

目で見たわけじゃないよ?感覚で見てたの、それを。

こういうね、ガラスの板みたいなのだったんだよ。


でね、そのガラスの板もね全部ね、あの〜六角形のね、

ハチの巣じゃないけど、あの模様がビシっと描かれた青白いガラス板みたいなのが、

こう宇宙を飛んでる石版みたいな、でっかいのがダ〜っと地球に降りてきてるイメージ

っていうのを見てたのね。



それがなんかこう、俺にとってのお母さんなの。

お母さんはこういう感じで来るんだよ、みたいな感じなの。



で、その感じの中でお母さんの意識ってのがパ〜っとこうやってわかって、

その、横にパ〜っと広がっていくみたいなのがね、

その版みたいなのがこうやってこう、流れてくるみたいな感じのイメージ

ってのを僕はしてるんだけども。




それも見たわけじゃないわけ。

なんかこうね、脳の中でイメージが流れてるみたいな、

またちょっとヴィジョンを見てるときとも違う見え方だったんだけども。




なんかそういう…あれ、フォトンベルトかな?みたいな 笑

ああ〜マーヤな話しちゃった 笑



こういうのは僕は今までは、今もだけども、マーヤとして扱ってるわけ。

たとえそれが我々を進化させるにしてもね。



だって、それが進化させるからって来い来い来い来いって願ってたとしても、

もしそれが自分に来なかったらショックじゃん?



だから、そういうものよりも、やっぱりラマナじゃないけども、

今確実にあるものを探求したほうが、はるかにいいってことなわけだよ。



そこへいくとだから、さっきも言ったように、自分っていうのと神っていうのは探求の余地があるってことなわけよ。

なぜなら自分は今ここに間違いなく存在しているから。



自我は当然ここにある。

自分の本質を探究することってのは容易だってことなわけ。



神を探求することも容易なわけ。

だって宇宙がある、地球がある、大自然がある、

その背後に横たわってるものが神だから。




いったら虚空の中を風が吹くように。

この空間の中にすべてがあるように。

いったら神ってことも今あるものだし、

私ってことも今あることだし。

それは探求の余地がある。




でもフォトンベルトってのはやってくるものだから、来ないかもしれない 笑

だから、来ないものってのは探求した場合…いいんだよ、探求したって全然。



願ったっていいし、それでいけたらラクだな〜みたな。

でももし来なかったらショックがでかいな〜みたいな。

それを裏切られた〜みたいに思ったら、いったらこう、ソンするだけだから。




でも私は存在する。

万物は存在する。



私の背後に横たわる、万物の背後に横たわる、

それっていうのは今あるもの。

ないわけじゃなくてね。


それが非顕現であるけども、明確にあるというもの。

ね?

だからその、非顕現であるってことを言っておくってことが

大事なことだと思うんだ、俺は。



非顕現なんだよ、非顕現なんだよ、っていっておくってことは。

顕現するよ、顕現するよ、っていってるとなんかこう

別のものになっちゃう可能性があるかなと。



あくまでも非顕現。

神も非顕現だけど、悪魔でも非顕現 笑


悪魔も非顕現だからね、うん。

悪魔も顕現しないよ?サタンもね。


そんなとこだね。

ほかに質問は?





質問)

・・・・(沈黙)  




もっと僕が混乱させるようなことを言えばいいんだよね、きっとね 笑

納得させるから質問が出なくなるんだから、いったら、そういうことだ。

これからは適当なことを言って混乱させて煙にまいたほうがいいんだよ、みんなのことを。



質問)

クリシュナですよ、常に逆のことを言うのは…笑



そうかそうか 笑



続く・・・・・

JUGEMテーマ:見えない世界の真実

free counters
2012.01.24 Tuesday

クオンタム・エントレインメント 伸びる指




ちょと面白いもんを見つけた 笑

クオンタム・エントレインメントっていう気づきの技法なんだけど、伸びる指ってやつ。

やってみると面白いかも。。



これ、最初は手を合せなおす時に誤差が生じるのかと思って、指だけ離してやってみても伸びるから不思議だよね〜

他にも動画あるから、気が向いたら見てみればいいかもよ。

で、基本的なテクニックをダウンロード出来るみたいなんで、見てみた。

http://www.qejapan.jp/freedown.html

なかなか、いい感じにまとまっていると思う。

このクオンタム・エントレインメントの開発?者のドクター・フランク・キンズローっておっちゃんは瞑想オタクだったらしくて、自身が大病した時にこのテクを開発したらしいけど、なんか色々まぜこぜな感は無くもないよね。

例えば、PDFであるゲートテクニックはTMのマントラの唱え方とフォーカシングを足して2で割った感じだし、あとはフェルデンクライスやヴィパサナーのライト版って感じがしなくもない。

とはいえ、シンプルにまとめて、ある程度誰でも使えるように説明してあるところがいい感じだよね。

あんまり余計な概念がくっついてなくて、気づきだから比較的マーヤっぽく無いし。

気づくだけっていうのがいいよね〜

ちなみに、前に紹介したリリーステクニックなんかは離すという意図を入れたりするケースがあるけど、これは気づくだけ。

それが体の外にも拡がっているってところまで、うまくすれば一人でもいけるかもね。

ちなみに、和平先生もマーヤ解きの説明の時、気づくだけのバージョンで説明したりする場合もあるけど、まあ、いったらゾクチェン・バージョンとも言えるのかね、わからんけど。


まだ本は日本語では出てないみたいだけど、そのうち出るらしいよ。


あとはあれだよね〜

海外ではセミナーが200ドルとかそんくらいらしいから、日本でやるときに10万円とかにならないといいよね 笑






JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
 
free counters
2012.01.20 Friday

悟りは描けないけど伝わるもの




 前回の続きから・・・・

 

質問)

小さなことでご飯が美味しいとか緑が綺麗だとかってことがありますよね。

気持ちも軽く楽しくて喜びもあって。

でも朝起きて気づくと、昨日はあんなに調子よかったのにそれが当たり前になってるっていう。

今日なんかも先生ともう一期一会かもしれないって、無理やり喜こぼうとして。

ハンドルを喜びのほうへ切ってるんだけど、無理喜びになって事故起こしてるんですよ。

 

そっか、う〜ん、なるほどね 爆

でもそういうとこあるよね、人間はね。

これ楽しいからこの楽しみキープしなきゃいけないみたいなね。

それは人間誰でもあると思うよ、やっぱりね。

やっぱりいいと思うよ、それでも。

それで悪くないと思うよ。

それはそれで。


というのは自分をいい状態でキープしようとするってことは、

少なからずわれわれに求められる努力だから、やっぱり。

じゃないとヘタすると、やっぱり舵が効かなくなっちゃうと、

目的の場所に行きつけないで漂流して終わっちゃうってこともあるからね。


忘れるから。

それを忘れないようにするってことがすごく大事なことだから。

その状態を楽しむっていう、楽しむことっていうのをとにかく無理やりでも持ってく、

そっちに舵を切るっていうことってのも、時には必要なことだよ。


いったら、マーヤ解きなんかにおいてはその精神っていうのがある意味すごく重要。

というのは、調子悪いな〜なんか、これはマーヤだろうな〜、ま、いっか、

と思ったら解けないままになっちゃうじゃん、いったら。

そしたらどんどんどんどん忘れていっちゃうじゃん、神のことを。

マーヤがどんどんひどくなっていっちゃうからね。


そこで、ちくしょうマーヤだなって思ったときに、

いや、神があるときはあれだけすごく喜びに満ちてるんだ、

あの状態に戻らなくちゃいけないから、とにかくこのマーヤを解かなきゃって思って

そっちのほうにギャーってハンドル切るってことっていうのは、ある意味必要なことなわけ。

とのとき解けなくてもね、マーヤがね。


そのとき解けなくてもこのマーヤを解いてやるぞっていうような意識っていうのもまた、

時には必要だったりする。

じゃないとマーヤの力っていうのはやたら強いから、やっぱり。


で、それやったときに、なんだよこれもまたやっぱり(マーヤに)やられてただけだったんだな

っていうことに気づくってところがね、みこころの不可思議なんだけどね、いったらね。


うん、でもいいと思うよ、どっちも。


いったら、流れに従うことだから、行動することでもそうだし、

瞑想することでもそうだし、なんでもいいし、

とにかくやっぱりその流れに身をまかせることだよ、うん。


あとでわかるから、全部。

全部わかるからあとで、あ〜これはああだった、こうだったって。

いま答えがわからない状態で答えを描いてるわけだから。

でもそれっていうのはそのために向かっていくっていう必要性ってのがあるじゃん。


例えば、例えばだよ?

目の前にすっごい美味そうな鍋料理があるわけだ、写真で。

で、もう見ただけでヨダレがダ〜って出てくるぐらい美味そうなわけ。

で、これぜひ食いたいと。

で、つくり方書いてあるわけ、料理本だから。

で、その材料とかを買ってくるわけだ、自分で。

で、鍋を火にかけて必要な具材を仕込んで、こうやって味をつけていって煮込んでいくわけだね。


で、味見をしてみるわけ。

でもなんかこう、自分のイメージしてる味と違うわけ、ちょっと。

よくあるでしょ、こういうことって。

おっかしいな、もっとこう、こんなんじゃないぞっていって、

よし、本には書いてないけどこれ入れたらいいかもしれないとか、

もしかしたらこうかもしれないとかっていって、

やっていってひょっとしたら失敗するかもしれない、もしかしたら大成功するかもしれない。

でも、失敗したからっていっても絶対あきらめはしないわけよ。

写真から漂ってくるこの、雰囲気っていうのってのは俺がつくった鍋とちがうぞ、

また明日トライしてみよう、でトライしていくうちにほんとの味ってのがさ、だんだんわかってくるわけじゃん。


チャングムでさ、味を描く能力っていうのがでてくるけどね、

チャングムってあったでしょ、韓国のドラマでね、宮廷女官チャングムってのがね、

チャングムがこう料理をするわけだけど、

師匠に「あの子は味を描く能力がある」って言われるわけよ。

で、その味を描く能力っていうのは料理をするうえでもっとも重要な能力だっていうわけよ。


っていうのは、できあがったものがどういう味がするのかっていうのを

イメージでもう完全につくりあげることができる、

いったらこれまぜていったらどんな味になるかわかんないけどハイ、できました

っていって出てくるものっていうのは味にまとまりがないわけだ、いったら。


でも最初っから味を描く能力がある人っていうのは、

その味のために何をしてどうしていったらいいかってのがもうわかってるってことなわけ。

これはね、きっと料理の天才っていうのは、こういうことをいうんだと思う。

味を描く能力。

ね?


いったらその通りのものができました。

いったらまただから、悟りだとか自己実現に関していっても、悟りを描く能力がある、みたいなね。

あり得ないんだけど 笑

いっつも、そこに至ったらびっくり、どひゃーってびっくりすることしかないんだけど 笑


というのは、悟りっていうのは人間の想像を超えてるからなわけだ。

想像の延長線上にはないんだよ、悟りってのは。

悟りってのは、この考え、思考とか思いとかを完全に超えたところにあるから、

思考によって描くことができないっていうのが悟りの摩訶不思議なところであって、

それ以外のこの現象の世界のものっていうのは思考でもって描くことができる。


料理にしても、音楽にしても、モノを作るにしても、なんかをクリエイトするにしても。

まず描くことができるわけ。

そしてそのイメージに近づけるように、それらのものに細工をしていくっていうのはこの現実の世界のことじゃん。


ところが悟りっていうのはそれを超えてるわけ。

だからたぶん悟ったらこうなるだろうな、なんてのはだいたいもろくも崩れ去るね。

覚醒するとぜんぜん違う。

え〜?みたいな。

びっくり〜みたいな。

それが悟りのすごいところだと思う、僕はね。

想像では想像することができないってことなわけ。


ただ、そのために向かっていく悟りを描く能力ってのはあってもいいと思うし、

それを描いてそれに向かっていくっていうのも必要なことだと思うわけ。

まったく無駄な努力なんてことはないからね。

いったら、例えば、行動する、瞑想する、行為をする、

それらのことっていうのはある意味で必要なことなんだよ。


それはスパイスとかを入れて味を調えていく作業みたいなもんなんだよ。

料理人がね。

で、描いたとおりの味になるのか、実際はどういう味になるのかっていうところなわけ、結局。

とにかくやる、やる、なんでも、いまなんでもやるでいいと思うんだ。


やれるならね。

やれないなら、しなくていいんだから。

なぜやれないならしなくていいかっていうと、無理強いしてうまくいくこともまた何もなから。

やれることだけがやれることだから。

 

質問)

私は、先生とお話してても会話になってないのがわかるんですね。

キャッチボールできてない。

こっちはエゴで走って、先生からは私の知らないものが返ってきて、

それが多重構造で、意味がとれてるのかとれてないのかっていう…

 

それはみんなそうだよ、全員そうだよ 笑

あのね、僕のとこで、僕が面倒みた人で最初に覚醒した人が、最初に漏らした言葉っていうのが、

「全然ちゃうやんけ!!」って言ったのね。


で、その全然ちゃうやんけっていうのは、俺がいってた意味っていうのがその、

みこころにしても神が遍在してるにしても、すべてが完璧だったりとかにしても、

その意味ってのがほんとに言葉面でしか頭の理解できる範囲でしか理解してなかったから、

ほんとに自分がわかっちゃったときにその意味のすごさっていうのにもうドッヒャーって衝撃をうけたの。


はじめて言葉が伝わった瞬間、いったら、僕のね。

でもなかなかそういうことっていうのがその後起こらずで、

いったら僕のいってることってのは、特ににずっと来てる人はだんだん物分りはよくはなってきてる、ね?

物分りはよくはなってきてるけど、じゃあ完璧に理解してるかっていったらそうではないわけじゃん、まだ。


こう、完全に一緒の状態になってるわけじゃないから、まだ。

で、それっていうのはね、その状態になってみてはじめて理解されることだから。

そのギャップっていうのは、ジレンマっていうのはみんな感じてるはず、ね?

みんなうんうん言ってる。

それは一人じゃないから大丈夫、大丈夫、君はひとりじゃないから 笑

苦しんでるのは君だけじゃないよ、みたいな 爆


で、だからこそ、それを理解しようとしてみんな努めてるわけじゃん。

それを理解したいと思うから、ね、こうやってここにも来るし、

がんばってトライするわけじゃん、いろいろなことに。

で、神様はそれを理解させるために、それぞれにいろんな経験をまた与えていくわけ。


それは日常的な部分からもこうやってやってくるわけよ。

そしてそれらのことっていうのが、こう、経験を積み重ねていくことによって

だんだんだんだん俺の言ってることっていうのがにわかに真実味を帯びてくるわけだね。


あれ?先生の言ってることってのはほんとにリアルなことなんじゃなかろうか?

みたいに、だんだんだんだん身近になってくる、ね?そういう経験っていうのは。


こないだあったよね?

なんか、俺の言ってた意味ってのが、ああ〜そうか、そういう意味だったのかみたいな?

あれなんだったけ?

なんの言葉の意味だったっけ?

 

質問)

人間は窓だっていうお話。

ブラフマンが宇宙で、アートマンは小宇宙で、人は窓だって。

その意味がわからなくて比喩ですかって聞いたら、いや事実だよってそういう話でしたけど。

 

俺が(その話を)してたんだね。

それが、なんのきっかけで?

おおお〜〜っとかって言ってたじゃん?

その数日後か数週間後かに?

 

質問)

その話をしてたときに、あっほんとだほんとだ、ただ先生は事実言ってただけなんだ、

比喩じゃないんですね、みたいな。

 

あ、それが話してるときに伝わったんだ?

あ〜それはエネルギーだな、明らかに。

エネルギーだよね。

だからね、こういう風に経験していくわけ。


いったら言葉で理解するんじゃないんだよ。

エネルギーで理解するの。

まずエネルギーなんだよ。


俺はね、その答えっていうエネルギーをぶわっと飛ばしてるわけ、こう言葉にのせて。

ところが、みんなの側でまだその準備ができてないと、そのエネルギーを受け取れてないわけ。

で、言葉だけこうやって来ちゃうわけよ。


そうするとこの言葉の意味ってどういうことなのかなって考えると

その言葉の意味って理解することができないわけ。

いったらエネルギーが大事だからなんだ。

そしてそのエネルギーがわかったときに、

おお〜!この言葉は!!みたいな感じになるわけ、いったら。


だからそれはね、こうやって対話を繰り返していくうちに、

そのエネルギーが相手にふぁっと伝わる瞬間っていうのがあるわけ。

そしてそのエネルギーがふぁっと伝わったときに、

言葉っていうのはあとからついてくるって経験をすると思うんだね。


で、そうするとああ〜先生が言ってた意味ってのはその意味だったのか〜っていうのが、

なんていうんだろ、ここが、じゃなくてこのへんでわかるっていうかね。

もう、全体でわかるみたいなね。

うん。

エネルギーとして。


だからそれはノイローゼになるよ。

最初は何いってるんだこのオヤジは、みたいなね。

わっかんね〜よ、みたいに思うわけだ、みんなは。

でもこうやってセッションを重ねていくうちに、ほら、エネルギーが近くなってきた感じがするじゃん、

さっきいったみたいにね、こうやって最初っから比べると

どんどんどんどんどんどんどんどんエネルギーが近くなってくるわけよ。


そしてエネルギーが近くなってきたときに、

僕が伝えたいと思ってるエネルギーと自分のエネルギーが一体化するわけ。

そしてその一体化したときに、ふぁ〜っと言葉の意味ってのが理解される現象が起こるわけ。

だから、最初の個人セッションなんてのは、もうほんとにね、チンプンカンプンな会話してるよ。

誰とのセッションでも。

ほんとに。

 

質問)

先生が遠くなってくのが見えるんですよね。

あれ〜どこ行ってるの〜みたいな 笑

 

遠ざかっていく 笑

もう〜終わり〜だね〜♪みたいな 爆

先生が〜小さく見え〜る〜♪ 爆

大丈夫だ、みんなそんなところだよ 笑

で、それでどんどんどんどん、どんどんどんどん俺はこれから巨大化してくるよ〜

デカくなってくるよ〜高崎観音みたいに〜 笑

気がつけば巨大な俺が立っていた、みたいなね。

そうなるから。

これが摩訶不思議なところでね。

うん。


(生徒の)O君なんかもね、最初のころはまったく逆に興味のない人だったの。

(生徒の)彼女の彼氏だったもんだから、なんか意味もわからずつれてこられて、

それで僕の話を聞いてて、最初はそうとうチンプンカンプンだったでしょ?


最近はね、もう(エネルギーで)ひたすらフラフラになってて 笑

いまもみんなのほうから見えないけどね、すっごい顏してるよ。

すっごい顏して、みんなに見えないでしょ?


俺が絵で描いてあげる。

見せてあげる、あのね。 (絵を描く)

こんな顏をしてる。

もっとすごい顏してる、目をひんむいてる、こんな感じ。


質問)

それは死にかけてる…?

 

そんな感じ 爆


質問)

頭が働いてない?


O君)

いや、意識はあるんですけどね。

根本的には。

 

質問)

(そんなフラフラで)帰れるんですか?

 

あのね、俺が話終わってエネルギーが収束すると、ふ〜っと戻ってくるから。

でも〜あの〜Yさんにしてもそうだしさ、最初はみんな、え〜?みたいな感じして立ってるのが、

だんだんみんなこんななってくるから。

そうやってどんどんどんどんこう、近づいてくるとやっぱりエネルギーの交流ってのがこう、

もうほんとわずかな力も見逃さなくなってくるから。


そうすると一瞬でば〜っとこう、そういう感覚に戻れる、神様の感覚に戻れる。

たとえば日常の生活してて日常のマーヤがいっぱいで、なんか勉強会だったりとかに来たときに、

(マーヤに)やられてるなって思っていても、なんかやってるうちにバ〜ってなることもあるわけ。

で、またエネルギーが収束するとまた戻っちゃった、みたいなこともあるわけ。

戻らないようにちゃんと持って帰ってね、みたいな 笑

そういうこともあるわけなんだけども。


でもそれはほんとに考えすぎなくていいんだよ。

とにかくなんかもうこうやってやってるうちにこうやってパーっとはいってくるようになるんだ、って思っておけばいいから。

今日明日で答え出そうとするからおかしなことになるんだよ。

みこころのままにだから、いったら。

恩寵はくだるべきときにくだるわけだから、やっぱり。

やってくるときって。

ね?


だからそれまで、瞑想したり行動したり何やったっていいから。

ね?

無駄な努力かもしれないけど無駄な努力はないから。

いいよ〜なかなか。

楽しいよ〜。

ね?


他、質問ないですか?

ない?

じゃあ、これでおしまい。

終わります。




JUGEMテーマ:スピリチュアル

free counters
インドの神様 ヒンドゥー